『オールド・ボーイ』で世界中を震撼させた韓国の鬼才、
パク・チャヌク監督のハリウッドデビュー作!
豪華キャストが集結、ミステリアスで美しすぎる衝撃のスリラーがここに誕生—

『オールド・ボーイ』(03)でカンヌ国際映画祭の審査員特別グランプリを受賞、『渇き』(09)では同映画祭審査員賞を受賞したパク・チャヌク監督。あらゆるタブーとバイオレンスを描きながら、全世界で高い評価を受けている韓国映画界の奇才が、ハリウッドからのオファーを受けて完成させた最新作『イノセント・ガーデン』。

パク・チャヌク監督に話を聞いてみた。

$red 靴や指輪は贈る相手のサイズが分からないとかえって嫌がられるプレゼントです。チャーリーがインディアに毎年靴を贈るというものは監督のアイデアだそうですが、それに込めた狙いは何だったのでしょうか? その他に監督のアイデアが盛り込まれている場面があれば教えてください。 $

監督 ウェントワース・ミラーが書いたもともとの脚本にあったのは、インディアは風変りな女の子で、なぜだか分からないけどサドルシューズばかりにこだわって履いているというくだりだった。そのことを想像してふくらませて、そのアイデアを思い付いた。幼い子には “あしながおじさん”を待っているようなところがある。誰かどこかに自分だけを守ってくれる未知の存在がいるんじゃないか、と。この映画の中には、自分のことを忘れずに毎年毎年プレゼントをしてくれる人がいて、自分の成長を知ってくれていて、自分の足に合った靴を毎年くれるという、そういうところを結び付けられるのではないかと思った。それを入れることによって少女の感性を生かせるし、おとぎばなしの部分を仕掛けとして入れられるという思いもあって、そのアイデアを出した。大人になってからはサドルシューズを卒業してハイヒールを履くことになるが、それも魅力的だ。撮影現場では、チャーリーがインディアにハイヒールを履かせる儀式は、“戴冠式のシーン”と呼んでいた。履かせる側はまるで騎士のようにひざまづいて、女王様に王冠をかぶせるような、そんな意味合いがある。狩りの場面も新たに付け加えた。








Q 本作にはもう一つ重要なキャラクターとして自然が役を果たしているようです。自然は、ストーリーや登場人物の両方にとってどれほど重要でしたか? また、庭に置かれている丸い石がとても印象的です。その意味を教えてください。

監督 確かに、本作には自然についてのメタファーがたくさんある。インディアは自分が持つ性質、その正体に気づいていない。彼女は自分の本性が分からないためにまだ混乱している。チャーリー伯父が現われて、外側から殻をつつき、彼女が殻を破る手伝いをする。結局のところ、この映画は、とてもか弱いヒナが自分の正体を知らないまま、卵の殻を破ろうと内側からつっつき、もう一人が外側からつついて手を貸している話だと言える。ヒナは最後には殻を破り、自分が猛禽だったことに気づき、大きな翼を広げて飛び立ち、ついには山から去って行くんだ。
この映画を作るにあたって資料を色々見ていて分かったことだが、西洋式の庭園にはああいう丸い大きな石が多いようだ。卵の殻にも言えることだが、視覚的にも丸いものが有効だと思って取り入れることにした。

Q 本作にはとても古い感じがあって、時代を超えたクォリティのようなものです。現代の映画ファンはどのように共感できるとお考えですか?

監督 こんなふうに説明してみようか。キューブリックや他の多くの巨匠の映画が同じ形式で作られ、新作映画として封切られたとしたら、今の観客は古い映画だと考えるだろうか? そうは考えないだろう。同じ一本の作品だとしても、今の新しい映画だったら、観客は絶賛するだろう。時代が変わってもそれほど大きな違いはないと思うが、すばらしい映画の価値は学者や批評家だけでなく、一般の観客にも分かるはずだ。だから、私は今の観客をワクワクさせることについては心配していないが、これから50年とか100年後の観客でも楽しませることができるかどうかを気にしている。

Q 一番こだわったシーン、苦労したシーンを教えてください。

監督 インディアとチャーリーのピアノの連弾のシーンを挙げよう。この映画にはふたりの肉体関係のシーンは出てこないが、その代わりと言えるのがこのシーンになっている。ただ楽しんで弾いているだけではなく、ふたりの感情、心の交流、それを超えた肉体的な交流という風に感じとってもらえるような、そういうエロティシズムを見せたかった。とても重要なシーンだが、実際演じたふたりはピアノが全く弾けなかったので、練習するためにも曲が必要だった製作に入る前にフィリップ・グラスにお願いして、先に曲を作ってもらった。ふたりはかなり早い段階から練習してくれた。その間、私は撮影監督と“どういうショットでこのシーンを撮ったらいいのか”ということを悩みつつ考えていた。曲の雰囲気に合わせて撮りたかったので、“このフレーズのところではこのアングルにしよう”とか、楽譜全体を前にしてひとつひとつ分析しながら事前に準備していたんだ。

Q 監督が『イノセント・ガーデン』という邦題を気に入ってくださっていると聞きました。その理由を教えてください。

監督 アメリカで作られたインターナショナルバージョンのポスターのキャッチコピーが、“INNOCENCE ENDS”(純粋さの終わり)だった。この言葉は、この映画の特徴をうまく要約していると感じて、この映画に限らず、今までの自分の映画全てに付けられた全てのポスターのコピーの中で一番気に入ってるんだ。今回日本のタイトルに“イノセント(純粋)”という言葉が入っていて、真っ先に気に入ったことを覚えている。『イノセント・ガーデン』がタイトルになることで、“純粋さの終わり”とは真逆の意味になるから、逆説的な意味を持たせることができると思う。このタイトルを見て実際に映画館に足を運んだ人が、「これは逆説的な邦題だな」と感じてくれたら、映画を充分に理解してくれたことになるし、映画を理解する上でもこのタイトルが助けになるだろう。

Q ミアとマシューは二人共、セットでのコミュニケーションがすばらしかったと言っていました。通訳を通して演出することはどうでしたか?

監督 ミアとマシューがそんなことを言ったなんて驚きだ。撮影中、彼らの質問に対して適切な答えが出せずに何度も大汗をかいたというのに。私はいつでも頭の中に映画全体の完全な地図を持っていると考えているが、セットに行って、役者から質問されると、びっくりして油断していたことに気づかされることもよくあるんだ。『ああ、まだ深く考えていないことがたくさんあった』と思い知らされる。だから、この点は、通訳を通してコミュニケーションをとることの良さかもしれない。困っていることを簡単に隠せるからね。

<通訳を介すと>会話をするのに通常の2倍の時間がかかるから、大変なことになるだろうと思っていたんだ。でも、人間というのは環境に適応するものだから、結局、不必要なことを詳しく説明しなくなる。そのように意識しているからだ。最後には、普通に<通訳を介さずに>話をするのと同じぐらいの時間になる。もちろん、直接、話をすることに比べたらそれほど親しい関係にはなれないだろう。でも、優れた通訳者というのは、通訳を通して意志の疎通をしていると感じさせないものなんだ。話し合いを始めて、5分とか10分とか続けていると、同じ言葉で話し合っているような気がしてくる。

韓国から連れてきた撮影監督は、10個ぐらいの英単語だけで、カメラから照明、グリップ・チームまで何もかも人に任せることができた。同じように、私が役者やスタッフと話している時には、お互いに教科書(脚本)を持っていて、会話はいつでもそれを中心にしているから、たやすく理解し合えたんだ。だから、通訳が訳し終わるよりも前に、分かっていることも多かったよ。

Q 次の作品にはどんな計画がありますか?

監督 すばらしい脚本を見つけた時に、新しい映画を作る計画を立てることにしている。アメリカ映画だけではなく、韓国映画も作り続けていくつもりだが、日本とか中国とか、どこでも映画を作る気持ちでいる。

執筆者

Yasuhiro Togawa

関連作品

http://data.cinematopics.com/?p=51028