公開中の映画『洋菓子店コアンドル』で元・伝説のパティシエ 十村を演じた江口洋介。
恋人を追って鹿児島から上京したケーキ屋の娘 なつめを演じた蒼井優との初共演でも話題となった今作。
『60歳のラブレター』、『白夜行』の深川栄洋監督最新作、宝石のようなケーキの数々が
スクリーンを彩る本作。
ある理由でスイーツ界から姿を消し、悲しい過去を背負った影のある役どころを丁寧に演じた江口洋介に話を聞いた。

写真:渞忠之
ヘアメイク:勇見 勝彦(THYMON)
スタイリスト:山本康一郎

#——最初にこの映画の企画を聞いたとき、脚本を読んだときの印象は?

最初は台本をいただく前にプロットをいただき、パティシエという役柄とケーキを作る人たちの人間模様を描いた映画だということはわかったのですが、パティシエという職種の具体的なイメージが自分のなかで浮かばなかったんです。ケーキは嫌いじゃないけれども、そういう店にこれまであまり行ったことがなかったんですね。それで実際に行ってみて話を聞いたりするうちに、パティシエはある種職人なんだということがわかりました。デザインから何から追求して新しいものを作っていかないと時代に遅れてしまうし、ヘッドハンティングみたいなものもある、厳しい世界だなと。ニューヨークに修行に行ったり、思っていたよりもタフな世界だなと感じました。そんなところから入って、十村を演じていったら面白そうだなと思いましたね。

——十村は心に傷を抱えた人物ですね。

ある過去があってふさぎこんでいる、心を閉ざしている人間ですよね。きっとそれまではうまくいっていたと思うんです。ニューヨークで修行して、結婚して子どもも生まれ、自分で店を持って。でも男の人生で一番忙しく、大変なときにある事故があって、そこからケーキを作れなくなってしまう。十村を演じるのは、そういうところからのスタートでした。監督と話をして、ケーキのことには興味があるけれど、ほかのことに関しては心を閉ざしている男として演じていったのですが、あまり今までに体験したことのない役でしたね。たとえばこの映画のポスターにあるような印象よりも影がある感じにしたほうがいいのか、あまりリアルに演じ過ぎてもどうなのか。最初の頃はさじ加減について考えました。でも撮影が進むにつれ、家族のシーンを撮ったりしながら自然な流れにのることができましたね。上京して失恋したなつめと出会い、先輩後輩のような仲でありながら、ちょっと親のような目線もあって。パティシエとして彼女の腕を磨いてあげたいと思いはじめる。十村はなつめと出会うことによって、もう一度人生がスタートしていくんですね。恋愛でもないし、兄妹でもない、でもお互いエネルギーがぶつかりあうっていう、面白い関係です。十村となつめは最初すれちがってばかりだったので、そのぶん後半がさらに面白かったですね。

——お菓子作りの練習はいかがでしたか。

料理は嫌いではないのですがケーキを作るのははじめてで、専門学校で丁寧に教えてもらいました。学校での撮影があったのですが、たくさんの女の子たちが実習している姿を見て、こんなに憧れの的になる職業なんだということをより感じましたね。十村のキャラクター設定について“伝説のパティシエ”と聞いたときは、伝説って少し大げさではないかと思っていたんです。でもこの世界には、お菓子に対する愛情やセンスによって、レジェンドになる人が生まれるだろうなと思うようになりました。こういう役をやっているときは家でもやりたくなるタイプなので、調理器具を貸していただいて家でも練習しましたよ。かっぱ橋で道具を買ってきたりもしました。ショートケーキがきれいにできたときには自分も達成感があるし、食べてもらっておいしいといわれたときには、またより達成感がありましたね。フルーツの置き方ひとつにしても自由で、デコレーションするのも面白い。パティシエの方たちは味はもちろん色のセンスなど、いつも自分を磨いているんでしょうね。いろいろなものを見て影響されたり、他の店にも偵察に行くと思うし。とにかく人を幸福にする職種だなと思いましたね。

——十村はスイーツ評論家でもあるので、食べるシーンも多かったですよね。

作るほうはなんとかなったのですが、食べるほうが難しかったですね。びっくりするぐらい食べるシーンがあったんです。普通はケーキってフォークで食べるじゃないですか。でも十村は分析しながらフォークとナイフで食べる。タルトみたいに下が硬いと本番一発ではなかなかナイフが下までいかなくて、カツンって音がしてしまったことも。フォークで刺したほうがいいのか乗せたほうがいいのか、うまく食べるのが難しくて、僕の手元だけが入るときにうまくいかないこともありました。この映画はケーキが主役みたいなところもありますから、見栄えも含めてテイクを重ねましたね。ナイフとフォークを持ってここまでケーキと向き合う体験ははじめてでした。十村はパティシエという職を離れてもケーキに携わっていたかった人で、おいしい、まずいというより科学者が何かを分析しているような雰囲気でケーキを食べるんですよね。口に入れても無表情でやってほしいと監督からの要望もありました。朝から一日ずっと食べていると、なかなかこめかみにズキーンとくる感じはありましたね(笑)。

——好きなスイーツや幸せになる食べ物は?

スイーツは自分でも好きで食べるし、人にあげることも多いですね。ちょっと忙しくて甘いものが欲しくなったときは、買いに行くこともあります。おいしいといわれるケーキ屋さんはチェックしていますね。自分が好きなのはミルクレープ。層が細かければ細かいほどなんともいえない感じで、切ったときの弾力と口に入ったときの裏切らない感じがいいんですよね(笑)。シンプルなものが好きで、おいしいものに出会うと幸せになります。今はバームクーヘンでもロールケーキでも何でもお取り寄せできますが、先日いただいた何でもない谷中の寒天がおいしかった。豆とか求肥とかが江戸前のスイーツというか、敷居があまり高くない庶民的な感じでしたね。和菓子も好きで、やっぱり食べると幸福になりますよね。

——女子にとってはスイーツがご褒美だったりもしますよね。

女の子はいろんな理由があって食べたりしますよね。自分のなかのご褒美っていう感覚はわかる気がしますね。僕もおいしいもの食べたいとき、レストランで有名なデザートがあったりすると、予約しておいて、試してみたりします。スイーツは目で見て楽しいし、味わって楽しいし、何より人が喜んでくれるっていうのがいい。誕生日には絶対にケーキがありますからね。この映画はそれを作っている人たちの映画で、いろんな人生や困難が描かれているわけですが、彼らが作るものを求めている人たちがいる。ひとくちで幸せになる、そのやりとりが面白いなと思います。ケーキがすごくきれいに映っているから、観た人はきっと帰りにちょっとおいしいケーキを買って帰ろう、ってなると思いますね。

——蒼井優さんと共演した印象をおしえてください。

イメージ通りでしたね。すごく自然というか、素直で素朴というか。なつめというキャラクターも、彼女がやっているから、怒っていても四苦八苦していてすごくかわいい。彼女は福岡出身なのですが、鹿児島弁とは全然違うらしく、方言にはとても苦労したみたいですね。方言に縛られていたところもあったと思うのですが、その方言のニュアンスもとてもかわいかったですね。なつめという役の素朴さ、彼女が食べたときのニコッとした顔はこの映画を物語っていると思います。蒼井さんは子どもっぽいところと冷静なところが両方ある人で、共演していて面白かったですよ。テンションが高いキャラクターで方言も話すとなると朝一の撮影は大変だったと思うのですが。音楽を聞いて自分で盛り上げて、テンションをあげていたみたいです。あとすごく練習熱心で、チョコレートで文字を書くシーンでもすごくたくさん書いていました。自分でも作るのが好きなようでキャロットケーキを作ってきてくれたり、現場にもとても気を配ってくれましたね。すごい集中力とあの笑顔とのギャップが、彼女の魅力だと思います。

——深川監督の演出はいかがでしたか。

前の作品も拝見して、人間の深いところまで見せて下さい、というタイプの監督だと感じました。結構粘るし、こっちから出てくるものを期待して、いろんなアドバイスをくれる監督です。こうして下さいとはっきり言うというよりも、話をしているうちに違うニュアンスを提案してくれるというか。その日の正解を求めて下さって、あまり頭で考えてきていないところが好きでしたね。現場で役者同士顔を向き合って芝居をしているうちに納得いかない部分を変えていく、そういう瞬発力がすごくあったと思います。監督本人も職人肌である十村に対する思い入れが強く、明確な理想やイメージを丁寧に伝えてくれました。次に何を打ち出していかなければならないのか、葛藤しながら模索していくところは、パティシエと映画監督の共通点かもしれません。監督はケーキを通して人生の苦い部分、甘い部分を同時に表現したかったということだと思います。

——完成作をご覧になった感想をおしえてください。

やっぱり人間ドラマでしたね。ケーキがおいしそうに見えて楽しかった、ということだけでは終わらない映画でした。いろんなことが人間には起こるし、挫折もある。そこからどう立ち直るかが次へのステップにつながるし、そのきっかけは出会いだったり瞬間に起こる出来事だったりするんですよね。ケーキを作っている人たちの人間模様と、女の子が働いていくことの強さ、仕事か生活か恋愛かという状況のなかでの女の子の意地の張り合い。そういういろんな大変なところから解放してくれるのは、やっぱりケーキなんだよなってところも描かれていると思いました。日常とか人生を感じてもらえるし、観終わってやっぱりケーキを食べたいなって思うような映画になっていましたね。

——最後に、ご覧になる方にメッセージをお願いします。

ひとつひとつのケーキがアートのようにきれいに撮れていて、宝石を見ているような幸福な気持ちになれると思います。その奥に、宝石を作っている人たちの過去、そしてこれからみたいなものが描かれています。そこに自分を重ねてもらいながら2時間を共有して、幸せな気持ちになっていただけたらなと思っています。ぜひ劇場でご覧になってください。

執筆者

Naomi Kanno

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