舞台はヴィスコンティがかつて『山猫』で描いた時代。ヴィスコンティ自身、映画化を望んだといわれる小説を、10年の歳月をかけ、映画化。激動の波に翻弄されながらも、したたかに生き抜く名門貴族の姿を『マリー・アントワネット』など、3度に渡ってアカデミー賞を受賞したミレーナ・カノネロによる衣装をはじめ、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞4部門(美術、衣装デザイン、ヘアメイク、メイクアップ)を受賞した豪奢な世界が彩る。

スペイン副王の末裔であり、シチリアの名門貴族であるウゼダ家では、絶大なる権力を持つ極めて封建的な父と、嫡男であるコンサルヴォが激しく対立していた。
遺産相続のために父に失脚させられる叔父、母の死を悼むことなく父と再婚をする母。

そして父のために自らの恋をあきらめ、政略結婚をさせられる妹。イタリア統一の時代を迎えてもなお、したたかに生きる父の生き方を否定しながらも、一族の枠から逃れられないコンサルヴォ。
当主となった彼が一族を守るため、選択する道とは—。

滅びゆく貴族社会、新しい時代の幕開け、激動の中を生き抜く貴族たちがいきいきと描かれている本作のロベルト・ファエンツァ監督にお話を伺った。



——登場人物たちが暮らす建物の豪華さには圧倒されます。撮影場所、ロケーションについて教えてください。

ロベルト・ファエンツァ監督「映画の中で使われたお屋敷というのは、原作そのもののお屋敷を使っています。現在では美術館・博物館になっています。家具は無いので、美術や衣装の担当の人間と一緒に当時を再現するため手を尽くし、セットを作りました。
本作の貴族たちはスペイン系の貴族になります。当時のイタリアは北がサボイア王朝が支配していて、南はブルボン王家が支配しておりました。当時の貴族は裕福だったので、その裕福さを表すために美術には非常に気を使いました。」

——どれ程当時の貴族たちは裕福だったのでしょうか?

ロベルト・ファエンツァ監督「例えば、貴族がいかにお金を持っていたかを表すエピソードがあります。彼らはシャツのアイロンをかけるために、イギリスにシャツを送ってアイロンをかけさせて、またイタリアへ戻すという事をしておりました。イギリス人はアイロンをかけるのが上手いから、という理由です。そんな事をしていた位、非常にお金を持っていたのです。」

——これ程までに壮大で、登場人物も多く、人物同士が交錯し、多くのエピソードがぎっしりつまったストーリーを126分という時間に収めるのはとても難しかったと思います。撮影でもっとも大変であったシーン、泣く泣くカットされたシーンというものがあったら教えてください。

ロベルト・ファエンツァ監督「この映画には2つのバージョンがあります。一つはテレビ版になり、テレビの方はこの映画よりも1時間長くなります。そして映画版は、基本的にコンサルヴォとジャコモ(彼の父親)との関係にポイントが置かれています。テレビ版の1時間長いものに関しては、兄弟や叔父叔母など周りの人間をもう少し描いています。ただ、この2つというのは技術的には違う撮り方をしておりまして、カメラ自体も違うもので撮っております。
そのため、作品としては別のものですから、どこをカットしなければならなかったなどの問題は基本的にはあまりないです。」

——一番撮影が難しかったシーンはどこでしょうか?

ロベルト・ファエンツァ監督「一番難しかったのは映画の前半に登場する子どもたちのシーンですね。修道院で子どもたちを撮るシーンが非常にデリケートな部分がありました。神聖なものが置いてある場所なので、その辺は非常に気を使って撮影しました。」

 
——美術、衣装はとても美しく華やかでしたが、当時を再現する苦労はありましたか?

ロベルト・ファエンツァ監督「美術、衣装には非常に凝った分、大変な部分もありました。衣装はミレーナ・カノネロにお願いしました。彼女は衣装ではとても有名なイタリア人ですが、イタリアで仕事をしたことがない人です。アカデミー賞を受賞されていて、アメリカを中心に仕事をしている方ですね。
19世紀の衣装というのは、今のような服の着方ではありません。服の下にコルセットを着たり、時間がかかるので、役者たちは4時間かけて準備をしておりました。コルセットが窮屈で、中には失神してしまうような女性もいたくらいです。その点では非常に大変でした。」 

——最後のシーンで年老いたコンサルヴォが「イタリアは生まれた、しかしイタリア人はいつ生まれるのか?」というシーンがありますが、このセリフは何か監督の意図があったのでしょうか?

ロベルト・ファエンツァ監督「イタリアというのは、一つの国という事になっていますが、基本的にはアメリカ合衆国のように、州がいくつかあってそれを構成しているような国なのです。1861年にイタリア王国が誕生したわけですが、今でも北と南の格差というのが非常に強いです。
今は北の方が裕福なのですが、本作の時代背景は逆です。南の方がとても裕福な時代でした。それがイタリア統一運動で、権力が南から北に移っていった時点で、だんだんと変わっていくわけです。
最後のセリフ、コンサルヴォのセリフに関しては、今のイタリアの問題を現しています。イタリア人はあまり自分達がイタリア人であるという意識を強く持っていません。イタリアという国はあるのですが、イタリア人という意識は高くない。統一運動があった時も統一を拒否するような傾向が非常に大きかったわけです。
特にシチリアは非常に裕福だったため、イタリア統一を望んでいなかった。シチリアに関しては、イタリアから離れようという動きもあり、イタリアに対する思い入れが弱い地方になっています。今でも北と南ではそのような確執はあるんですね。それを最後のセリフは表しています。」

執筆者

椎名優衣

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