多発する日本の警察機構の犯罪事件の実態を。数々の実例をモデルに生々しく描いた衝撃の問題作『ポチの告白』。日本の警察、検察、裁判所、報道の癒着による国家ぐるみの犯罪が存在する事実を白日の下に暴き、権力が支配する社会の恐怖を描いたこの社会派エンターテインメントのなかで、時に弱さと脆さをみせながら。いつしか抜き差しならない悪に手を染めてゆく刑事の山崎を演じた野村宏伸さん、骨太な演出で3時間15分を描ききった高橋玄監督に話をうかがった。



——最近の日本映画には珍しく、撮影に入る前のリハーサルをみっちりやられたそうですが。

野村:リハーサルはけっこう長くやりましたね。あの時間はおもしろかったな。

高橋:だいたい僕のやり方はいつもそうなんですが、リハーサルに時間をかけるんです。配役をオファーするときにこちらがイメージして打診するんだけど、やってみないとわからない。そこでリハーサルをやるなかで、新人の人も含めてコミュニケーションをとっていく。僕の場合、スターシステム的な配役やいわゆるタイプキャストが嫌いなんです。その人が前に演じた役を参考にしてそのキャラクターを借りるみたいなことは好きじゃないし、映画的じゃないと思う。だから役者には僕のイメージを伝えてリハーサルに来てもらう。何度かやっていくうちにこっちのほうがいいんじゃないかと、役柄が変わっていくこともあります。野村くんも最初は新聞記者の役を演じてもらったりしたんだけど、だんだんやっていくうちに、刑事のほうがいいんじゃないかと役自体が入れ替わった。そのあたり、わりと自由に柔軟に対応していくことができます。役者さんの中には対応できないというか、こうした作り方を楽しめないタイプの人もいるでしょうが。

——野村さんはそうした映画作りの現場にとまどいはなかったですか。

野村:そうですね、こうした作り方はまるっきり初めてです。でも最初からこの役で、と決まって入っていないですから。リハーサルをやりながら監督と役を決めていった感じですね。若い役者たちのリハーサルを見てるのもおもしろかった。僕はこういうのが正しい映画の作り方じゃないかな、と思う。しようがないことなんですけど、人間はなんでもイメージから入ってしまう。それまでの印象で役者を見てしまうけど、それだとみんな同じ役柄になってしまう。役者だっていろんな役をやってみたいし、いろんな可能性を持っているはずなのに、現実にはなかなか新しい役柄がこなかったりするじゃないですか。これからは日本映画もどんどんこうなってほしいと思いますね。

高橋:役者は参加する時期がみんなバラバラだけど、リハーサルの期間は延べ三ヶ月くらい。低予算映画の場合、お金をかけられないぶん、時間をかけなければならないだろうと。今までも個人でやるのに東宝とか東映のようなメジャーと同じ作り方をしても無理があるし、焦らないでゆっくり作っていこうと。実際、そうやって失敗したこともありますし。幸いにも今回は出資者の方々が時間がかかってもいいからいいものを作ろうと言われて。内容もいっさい口出ししないで、高橋の作りたいものを待っていると言われたのはうれしかった。2005年に完成してから公開まで時間がかかりましたが、映画がよければ(公開の)いいタイミングが絶対にくるはずだと信じていましたから。

——野村さんの方から監督に対して、現場でアイディアを出したりするんですか。

高橋:それはリハーサルの段階でやってるから。現場でいちばん嫌なのは、考えて止まっちゃうこと。僕は早く終わる現場というのが優秀だと思ってる。僕らのリハーサルはある到達点を想像してそこに完成していくために芝居を稽古してるんじゃないんです。こうなったとき、どんなパターンがある?と、いろんなパターンをリハーサルでお互いに出してみる。だから撮影現場で斬新なアイディアを思いついたということはほとんどないですね。

野村:山崎という役が僕のなかに入っているから、撮影のときは山崎ならこうするだろうというのがごく自然に出るんですよね。

——野村さんはこうした高橋監督の現場を体験していかがでしたか。

野村:すごく楽しませてもらいました。こういう映画の作り方もあるんだろうなと。台本にない前後の部分まで、その場その場の雰囲気でアドリブをやりながら考えながらやったあと、そのシーンの演技に入っていく。画面に映るシーンの前後にも、その役の人生が必ずあるはずだと思うし。そういうやり方は初めてだったので、すごく新鮮で面白かったですね。

——最初は完成した映画とはかなり違った構想だったようですが。

高橋:きっかけは菅田俊さんと何かやろうかということから始まったんです。この間、いちばん最初期に書いた初稿シナリオが出てきたんですが、そこではドラマ性の強い完全なフィクションだった。要はもっとかっこいい刑事が活躍する物語。警察の悪い面を描くところは今の映画に反映されてるところもあるんだけど、それを詰めていくうちに、待てよ、本当のことをやったほうが面白いんじゃないかと。

——その「本当のこと」、つまり警察の犯罪は今の日本映画では異色の題材ですね。

高橋:今回協力してくれた警察問題では日本有数のジャーナリストの寺澤有さんとかねてから親交があったので、話を聞いてみるとやっぱり「生の話」が圧倒的に面白い。僕の中ではこの映画は「反警察」がテーマだと捉えていません。警察犯罪というのは何かというと、要は国家公務員が公務員法を守っていない。それは悪だというより違法行為ですよね。それは日本という国のひとつの風景でもある。でも外国の警察犯罪と圧倒的にちがうのは、警察庁が明確にその違法行為を指導していたということ。所轄署ごとに偽の領収書を作りなさいとか、これはアメリカだとCIAのトップが指導していたようなものですよ。僕は常識としてみんな知ってることだろうと思っていたんけど、そうじゃないんですね。じゃあそれを告発する、暴くというんじゃなくて、みんなが知らないことを映画の題材として取り上げたら、お客さんも観たいんじゃないかと。

——野村さんの演じる山崎という男は、彼の出自も含めてとても複雑な役だと思います。最初は警察機構の犯罪を目撃していた傍観者だったのが、いつの間にか自分も加担して悪事に手を染めてゆく。役作りにあたって何か気をつけたことは。

野村:役作りという感じで入っていったんじゃないですね。……山崎はもともと悪い人ではないし、彼を悪だと呼ぶなら、それは人間みんな持っているものなのなんじゃないか。人が生きていく上で誰もが持っているものなのかな、と思いますね。

——この映画にはいろんな警察官が登場しますが、交番勤務の巡査からトップのお偉いさんまで、ほとんどの人物が悪について麻痺しています。そのなかで山崎だけが逡巡や弱さも含めて、普通の人の感覚にいちばん近いようにみえます。

野村:ぼくもそう思いますね。それは警察だけじゃなくて、会社とか家庭とかいろんなところにも通じる話なんじゃないですか。

高橋:山崎の役が象徴してるのは、悪意がなければ悪じゃない、というのは成り立たないということ。その機構の中に入ってると悪になっちゃってるということ。彼を在日韓国朝鮮人にしたかというと、差別の問題がある。日本の警察犯罪が明るみになる場合、内部告発がほとんど。最大の原因は人事の不満からくる意趣返しなんです。意地悪されて昇進させないならあんたの悪事を暴いてやるよと。警察には完全な階級の差別意識がある。その象徴として山崎をマイノリティに設定した。力か金を持たないと生き残れない環境に育った彼は警察官になったとき、生きる術(すべ)として、悪を悪と知りつつ手を染める。韓国ののど飴をずっと愛用していた山崎は最後に飴がなくなった缶を捨てて、思いを爆発させて暴れる。そのとき、彼の抑圧されていた心が初めてわかる。

——そのラストの爆発も空想だったという点に、二重の苦さを感じさせますね。

高橋:社会的には弱いかもしれないけれど、人間的には強く描きたかった。彼だけはひとりで歩いて行く。ほかの人たちはみんな、つるんで歩いていくんだけど、彼だけはひとりで歩く道を選択した。

野村:山崎は在日韓国人として生きてきて、たぶん貧乏な家庭に生まれ育ったんですよね。いじめに遭ったり、日本で生きていくためにやりたくないことでもやらざるを得なかったと思うんです。その韓国というアイデンティティをも捨てて、ラストでひとりで歩きはじめた彼の次が見たいですよね。彼の今後の生き方が。

——主演の菅田俊さんにとっても代表作になりましたね。

高橋:菅田さんとは舞台の仕事をやったこともありますが、もともと劇団出身の役者で演出家でもあるから、いい意味でかたちを伴った芝居から入る人。ちょっとしたシーンでも身振り手振りのアクションがうまいんですね。アメリカ映画で評価されてるのもそんな要素があるからじゃないでしょうか。そこに野村さんの静かな芝居が加わって、いい対照を成していると思います。

——完成からずいぶん時間が経ってしまいましたが、ようやく公開になりました。

野村:タイミングとして今のほうがよかったんじゃないかと思います。警察の不祥事への関心もあの頃よりもっと高まっていますし、こういうテーマは受け入れられやすいと思います。観終わってから、みんなでいろいろと話せそうですよね。

高橋:警察の事件を聞かない月はないしね(笑)。劇中で2004年から2005年へのカウントダウンの瞬間が映し出されてるし、普通だったら内容が古くなってもおかしくないんだけど、賞味期限切れになっていない。むしろタイムリーになっている。試写会では、警察がこんな無茶苦茶であるはずがないと拒否反応を示すお客さんもいます。

——警察への信頼を根底から揺さぶられるんでしょうか。

高橋:いや、もともと信頼なんかないんだと思いますよ。何かあるとおまわりさんが守ってくれるはずだという幻想。それは自己責任の問題にもつながるわけで、自己責任を突き付けられるからじゃないでしょうか。ヨーロッパではむしろ権力への不信感はあたりまえだから、ドイツやイタリアでは小学校で子供に観せたほうがいいとの評価を受けました。

——現職の警察官や裁判官の方もご覧になっているそうですが。

高橋:おおっぴらには無理だからこっそりと(笑)。フィクションとして誇張している部分はあるけれど、基本的に間違っていない、そのとおりだと。現場の警官の方たちからは。うまいことやってるのはお偉いさんだ、よくぞ言ってくれたという声をたくさん聞きましたよ。

執筆者

磯田 勉

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