島根県出雲市出身の錦織監督が2002年に公開された『白い船』に続き”しまね3部作 第2弾”として作られた島根県雲南市を舞台の”神話をモチーフにした”作品
『うん、何?』。
2006年夏クランクインし完成。監督自ら塾長を務める「しまね映画塾」のスタッフが多く携わり、今までにない映画制作を心掛けている。
最新作『うん、何?』と「しまね映画塾」について聞いてみた。

$blue −−−「白い船」から6年、地元の人たちと一体となって作られた映画は、着実に成長している。 $
$red Q:監督と島根との縁は、『白い船』が最初で、今、島根で映画塾をやっていますよね? $
この映画『うん、何?』も、島根県で僕がやっている「しまね映画塾」からきっかけなんです。
映画塾では、映画を習ったことがない人たちが一緒にチームになって映画を撮ってるんです。
ワークショップ形式で2泊3日、参加している方も上は、100歳の方から下は、赤ちゃんまで(笑)。脚本を選んで、それを書いた人が必然的に監督で、なんの知り合いでもない人たちが集まって作る。そこで出来上がるものがすごくて。おもしろいんです。映画を学んでいる学生だと下手に映像を知っているだけに、2泊3日で撮れ、というとまず悩んでしまったりするのですが、撮影現場を知らない一般の人は、「監督がいうんだから撮れるんじゃないか」って、みんな撮ってしまうです(笑)。ホワイトバランスも知らない主婦が撮ったりしてるんですけど、でも意外にもアングルは斬新だったり。違った意味でバランスがとれてるというか。50歳くらいの監督に、カメラマンは高校生、ってこともあります。彼らがどうやったら限られた時間の中でやれるのか、ディスカッションしながら撮っていく。既成概念をまず外して、その中に面白さがあるんです。映画評論家の北川れい子さんも驚かれていました。僕は塾長となってますが、生徒たちの”撮りたい”という気持ちを後押しする立場でしかないですね。映画塾は誰が一番勉強になっているかというと、主催するしまね映画祭の事務局だったり、僕自身だったりするんです。

※「しまね映画塾」
塾長の錦織良成監督のもと、脚本作り、映画製作講座、そして実際に2泊3日の撮影合宿で5分程度の短編映画を撮影し、編集、上映会まで行う充実した内容、これまでに生まれた作品は約70本にのぼる。




Q:「しまね映画塾」の生まれた経緯は?
こういうことを思いついたのは、2002年に平田市(現:出雲市)を舞台にした『白い船』を地元の方々に協力してもらって撮りきってからですね。いかに僕たちは既成概念にうずもれてしまっているんだと気づかされたんです。今ではあまり珍しくなくなっていますが、『白い船』公開当時は「地方発信の映画は成功しない」ことが常識でした。僕たちはそういうバーチャルなものの中で、物事を作ってしまっているのかということに気づかされたんです。だから、「映画をかじってないと撮れない」っていう既成概念をなくしたワークショップができないか、それをやることで反対に僕たちも一般の方々に教えてもらおうじゃないか、と思って始めたのがしまね映画塾なんです。
塾全体の予算が80万円しかないので、みんなホームビデオを持ってこい!、から始まって。社会人の方がタフなんですよね。仕事で培ったつながりを使って、時代劇とか撮っちゃう人もいる。あと地元の方の協力もすごいんです。今回おもしろい脚本があって、巨大な男性のシンボルのついた縄文時代の土偶を飾るかどうかを迷ってるうちに壊してしまう、という話なんですけど(笑)。しまね映画塾だといったら、博物館の学芸員がOKをくれて、展示されている国宝のとなりで撮らせてくれるんです(笑)。そういう土壌が、島根ではできてきています。今、6年目なんですが、地元のテレビ局も認め始めてくれていて。年末に塾で作った作品を全てオンエアしてくれてます。長くなりましたが(笑)、その延長上に『うん、何?』を作ろうとしたきっかけがあるんです。

Q:映画という作品として、地元で文化を育てるという意味で、『うん、何?』は良すぎるなぁと。登場する舞台、人物、造形物のすべて意味があるんですよね。とてもいいものが映っているのでそこから情報を吸収することが見る側には楽しめる。いま、東京で公開されているような映画にはない、映画本来の楽しみ方ができる。最近は、映画の見方が人は変わっちゃったなあと感じますよ。『うん、何?』は、どうして生まれたのですか?
島根で映画塾をやっていると、一般の人たちが映画を文化としてとらえているかというと、やっぱり東京から発信される情報に影響されちゃっているなあと感じます。映画は、映画館のスクリーンで見てもらいたいけど、今は、DVDでしか映画を見ていない人や、自宅で子供をそばに、騒いでいるときはDVDを停止して、静かになってから再び再生するなど、集中して2時間を見てもらえない環境が多かったりしますね。作る側は、2時間なら最初っから最後まで見てもらいたいし、映画を見る見方を苦言して言いたいわけじゃないけど、観客の中で映画は文化としてとらえる前に文化の定義が変わってきているような気がします。
世の中、どんな年代にも受けるものが良い物かというと、そうじゃないですよね。だからお金を出して、例えば歌舞伎も見せなきゃいけないし、オペラも見せなきゃいけないって補助しているけれど、映画になったとたんに見るための補助はなくなってくる。テレビの延長線上のものとしか、実は文化を語っている人たちも思っていない、ということに僕は気づいてしまって。うわあこれは怖いと。僕が60歳、70歳になったときに映画が映画じゃなくなっているんじゃないかと不安になったんです。今ももう映画は映画じゃなくなっていると思われる方もいるかもしれないけれど(笑)、ただもっとこれが進んでしまうと、もう僕たちは本当に作りたいものが作れなくなってしまうんじゃないかと。そう思って「しまね映画塾」を始めて、3年目か4年目になって、『うん、何?』を製作するときに、プロデューサーを担当してくれる方が現れたりして、「しまね映画塾」のような既成概念にとらわれない作品を自分たちで作ろうじゃないかとなったんです。

−−−地方から発信する映画の難しさとは?
Q:そうして『うん、何?』を完成させたのもすごいですが、地方映画というのはいい意味でも悪い意味でも色がつき始めていると思います。そういう難しさについては?
確かに『白い船』みたいな成功例はあんまりないんですよね。偶然の産物かもしれないですね。
『白い船』は島根でまず7万人を動員して、それが噂になって、大阪、東京まで広まっていった感がありますね。公開してくれた地域ごとの、通常なら考えられない応援や協力もありましたし。本当は1ヶ月半で上映をやめないといけないのに、続けてくれた劇場もありました。当時、映画というのは最初の1ヶ月で決まる、2ヶ月目からは数字はどんどん落ちて行く、というのが、東京の配給会社の方々の常識でしたけど、でも『白い船』では全然落ちなくて、3ヶ月目の土日でピークを迎えたんですね。ここで常識を少なくとも破っている訳なんです。だから「なんだやれるじゃん!」と。島根先行公開が決まったときはすごく怒られましたけど(笑)。土地は下がらない、とかつてのバブルの崩壊期に皆思い込んでいたのと一緒で、映画業界も「3ヶ月目からは伸びるはずがない」と必要以上に思い込むことで、覆しがたい常識にしてしまっているんだなあと実感した。そして、そういう思い込んでいるだけの時代がいつかきっと崩れるんだと思ったんです。ただ、『白い船』でそのことに気がついたものの、それを東京にフィードバックする力がなかったんですね。今も決してあるとは言えませんが(笑)、ただフィードバックしても東京は『白い船』で起こったことを特例として見なしてしまって、残念ながら受け入れてもらえないんじゃないかな、とも思ってます。

Q:日々の数在る売り上げ報告書の数字の中に埋もれてしまうというか……。
『白い船』のときは異例の状況なもので、関西から先は全部、東宝系の映画館が上映してくれているんです。それは東京から見たら起こってはいけないことだったようでした。今まで過去にはない信じられないというか、見慣れない売り上げ報告が出てくるわけです。そうすると『白い船』は単館上映の作品が売り上げNo1を取った、となる。でも単館系ではないんですよ。メジャーのロードショー館にかけてもらっているので(笑)。そういう映画業界の常識ではあり得ないことが地方では起こり始めていたのに、残念ながら東京のマスコミは新しいビジネススタイルができるんじゃないか、というその可能性には、思いつかなかったようです。
映画はどうしても東京に一極集中しているので、今後は地方からでも成功するんじゃないかという、その可能性を見いだして欲しかった。もちろん東京のマーケットも大事なんですが、今までの劇場公開する映画の固定概念に捕われない、新しい公開スタイルのコンセプトワークはもっといろいろあっていいんじゃないかと思うんです。難しいことではありますが、良い意味で東京の常識を覆せたらいいですよね。

Q:作り手が、好きな街があれば、集められた金額だけで撮って行きたいという監督は何人かいるようですが、錦織監督も、撮りたいという気持ちを地元に伝えて、一人でも二人でも多くの賛同者を捜して、地道に作っていきたいなぁという一番いい方法なのかもしれないですよね? 大林宣彦監督が、尾道で、大分・臼杵市で成功していますよね。

実は僕はやり方も座組も基本的に強いこだわりはなくて、ただボディーブローのように撮り続けることが大事なのかなと。錦織っていう監督がやろうとしていることはこういうことだったのか、と思ってもらえることが大事だなと。例えば、岐阜に応援団がいてくれていて、『うん、何?』を公開するときには、「錦織ワールドシネマ」という特別番組が3週にわたって放送されました(笑)。東京では、あまり考えられないことかもしれませんが・・・。
こうやって応援してくれる人たちと一緒に、地道に地道にやっていくしかないなと、思うんです。
自分の年齢が、50、60になったときに何を作ってきたんだと本当にいってもらえるようにならないと、最近ここ数年で思うようになりましたね。
すでに、『うん、何?』の次回作である島根3部作の第3作目『バタデン』に取り掛かっていますし、既成概念にがちがちにとらわれず作って行こうと気づかせてくれたのは「しまね映画祭」であり「しまね映画塾」だったと思います。1つの例が『うん、何?』にも出てくる木次乳業だったんです。
木次乳業の牛乳って東京の高級スーパーで売り切れになっている品物なんですが、それでも生産ラインを増やして売り上げを上げていこうとしない、日本で初めて作られたパスチャライズ(低温殺菌)牛乳として手間ひまかけて作っているので、そこで利益追求して生産数を上げると品質が落ちてくるし、それはお客さんに申し訳ないから、という考え方なんです。映画もこういう時代がきっと来ます。制作費の何十倍も宣伝費をかけて、もうけるような映画のシステムをこさえてるけれど、何かがくずれたら一斉に成り立たなくなると思ってます。

Q:その中で錦織監督はどう映画を作られていくのですか?
答えとしては、自分たちが本当に作りたい、メッセージとして発信したいものは何かって所に目をそむけずに物作りをしていく。それがなかなか大変な作業なんですけど。
なりふり構わずじゃないですけれど、あまりかっこ悪くてもですね、やり続けられることをやっていくでいいんじゃないかと。
それをプロデューサーの方と話して『うん、何?』は配給も僕も一緒にやってきたんです。でもプロデューサーには「最初は半信半疑だった」って後から言ってましたよ(笑)。
『うん、何?』公開時に岐阜行ったり、広島に実際に行って、実感できたって。ぼくは『白い船』から応援してくれてる人たちのパワーを信じて作っていたところがあります。『うん、何?』もそうですけど、今後もこういった映画は作られて行くんだと思うんです。
木次乳業のパスチャライズ牛乳のように、物作りの原点に立ち返ると、お客さんのことを考えていかないといけないと。
僕の中で究極の映画である『うん、何?』みたいな作品が受け入れてもらえたらいいなぁと思いますし、100人にうち1人だけでも、何か感じてくれる人がいてくれたら作り続ける意味はあるなあと。今回は本当に究極ですから。企画がどうして通ったんだとよく言われます(笑)。
僕の地元ではありますが島根というものだけにはこだわってなくて、日本の良い物を撮ろうと思ったら、その風景が島根にあったんです。これまでいろいろ話しましたが(笑)、『うん、何?』には、既成概念を取っ払う“確かな本物”が映っていると思いますし、映そうと思って作った映画です。まずは観て、そのことを感じてもらえたら、とても嬉しいですね。

———筆者コメント
監督とは、劇場映画2作目の「守ってあげたい!」(’99)をプロデューサーからの紹介で知り合い、「白い船」(’02)の大ヒットを機会にスタッフとして関わった大阪・泉佐野市で開催された、いずみさの映画祭2002のオフシアターコンペティション部門で三原光尋監督と共に審査員をお願いした経緯もあり、その後の「ミラクルバナナ」(’05)でもインタビューさせていただきました。本作の『うん、何?』も完成したばかりの試写で拝見したのは、約1年近い前のことですが、これまでの作品同様東京では生まれることない地域に密着した土の香りがするような心温かい作品。今後にも期待したい。

執筆者

Yasuhiro Togawa

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