夏の甲子園。それは「清く」「正しく」「美しい」誰もが憧れる青春の象徴である。しかし、そこに到達できるのは、選ばれた一部の人間だけ。その華々しい舞台の裏では、3年間、死ぬほど練習しても、グラウンドの土さえ踏めない補欠達が存在する……。

がむしゃらな雅人を演じるのは、抜群のバイタリティとコミカルなキャラクターが魅力の新星・斎藤嘉樹。雅人とは対照的にちょっぴりクールなノブ役には「JUNON スーパーボーイグランプリ」を史上最年少で受賞し、映画『恋空』などでも話題沸騰中の中村蒼。また個性豊かな野球部員には、『サッドヴァケイション』や最新作『蛇にピアス』で注目を集める高良健吾、「仮面ライダー剣」など映画・ドラマに活躍中の北条隆博など、次世代スターが大集合。さらに市川由衣、竹内力、光石研など多彩なキャストが顔をそろえる。

また、主題歌には、本作にもカメオ出演しているRED RICEがリーダーを務め、若者から圧倒的支持を誇る「湘南乃風」が担当しているのも話題のひとつ。撮影の数ヶ月前から野球の特訓を重ね、エキストラにも元甲子園球児を揃えるなど、細部まで徹底的にこだわった野球シーンは必見! 友情と現実の間で悩み、葛藤する2人の“補欠”球児の姿を時に可笑しく、時にせつなく描いた疾走感溢れる青春ムービーの傑作がいまここに誕生した。

監督は弱冠29歳で本作が初監督となる森義隆。自らの高校野球体験を交えながら、青春の息吹をスクリーンに閉じ込めた監督にインタビューを行った。





主人公の高校生ふたりはどのようにして選ばれたのでしょうか?

「もともとは20代前半くらいの俳優さんで作ろうと思ってたんですよ。経験やテクニックがある程度備わっているような、ある程度名前の知られている俳優を使って。『パッチギ!』なんかそうですけど、自分が好きなこれまでの青春映画をいろいろと分析してみたところ、わりとそれくらいの役者を使って成功させているというのが多いなと思っていたので。
 だからオーディションでは、20歳から26歳くらいまで、ある程度幅を広げていたときに彼らが入ってきたものだから、『やばい、生身の高校生だ』と思ってしまったんですよ。20歳を過ぎた役者が演じる高校生とは違う新鮮さがありました。このふたりはすごく素直で、そういう部分がすごく伝わってきたんです。彼ら自身が持っているリアリティをうまく使えば、技術やテクニックではない部分がうまく出るんじゃないかなと。彼らはものすごく普通の高校生ですからね。いい原石を見つけたと思います」

とはいえ、そういった原石を役者に染め上げていくのは難しかったのではないでしょうか?

「ただ、まったく演技が出来ない子を選んだわけではなかったですからね。彼らにのびしろはあると思いましたし、何かをインプットしてあげれば、この『ひゃくはち』という作品を通して役者として勢いよく成長するだろうなという計算はありました。野球の練習でも、彼らを一番多く練習させました。それは彼らが一番下手だから。
 そうすれば、こんなに辛い練習をしているのに、なぜ劇中の雅人とノブは野球をやめないのか、ということを考えるようになる。そうやって彼らの中で答を出すように仕向けたというか。まあ、答を出せるほど賢くはないんですけどね(笑)。やはり練習でも彼らは泣いているんですよ。しんどくて。そんなとき、『お前ら、泣いてるのに何で野球をやめないんだ』と言って自分自身で考えさせました。
 特にこのふたりの個性を大事にしようと思いました。もし最初に考えていたように、20代前半の俳優だったら、同じ台本でも、もっと毒気のある作品になったと思うんですよ。最初の予定では、もっとどす黒い、補欠たちのドロドロの嫉妬を描く作品になるはずだったんで。そういう意味では、図らずも斉藤と中村というふたりに引っ張られたというか。彼らのピュアさが分かるにつれ、どんどん台本を変えていきましたね。やはり彼らの個性に寄り添っていくにつれて、こういう爽やかさが出たというのは、彼ら自身の個性が決めたラインだと思います」

補欠である高校生を通じて、監督が描きたかったこととは何なのでしょうか?

「挫折ですかね。万年補欠である彼らは、存在自体が挫折のかたまりです。だからといって、彼らが頑張って、最後は試合に出られるようになる話になんか絶対にするもんかという気持ちはありましたね。世の中はそんなに甘くはないし、高校野球だってそんなに甘くはない。絶対に勝てない状況の中でも、勝負を投げないとか、とにかくしがみつくとか、がむしゃらに出来るんだ、ということを提示したかったんですよ。

青春映画を撮りたいと思ったときに、青春って何なんだろう、ということをずっと考え続けていたんです。そうやって振り返ったときに、理由なき反抗じゃないけど、理由なきしがみつきというのがあるのかなと。絶対、試合に出られない彼ら、野球部を辞めない理由って、辞めるのはかっこわるいとか、友達がいなくなるかもしれないとか、そういう些細な理由なのかもしれない。答えとしては出ないかもしれないですけど、世の中はそういう理屈じゃないんじゃないかと。でも、最近の世の中には勝ち組、負け組などという言葉があって、自分にリミットをつけて頑張らない人がいますよね。

 彼らはそんなことを考える知性もないし、でもだからこそ、泥だらけになって頑張ることが出来る。その結果、叩きのめされたとしても、それでもいいじゃないかと。本当はそういう若い頃にしか出来ないようなガムシャラさを大人が見せてもいいはずなんですけど、そういう大人はなかなかいないですよね。
 逆境の中で自分を輝かせることが出来ますか? 今はまってる場所から、がむしゃらに抜け出そうとしてますか? と青春を終えた人に問いかけたかったですよね」

彼らはベンチ入りを目標にしています。しかしその目標となるベンチに入ったからと言って、試合に出られる望みは限りなく少ないのが現状です。それでもベンチ入りに挑もうとする彼らの姿は、ある種負け試合に挑むようにも思える、というと語弊があるかもしれませんが、とても厳しい現実だと思いました。

「劇中の台詞の中にもあるんですが、彼らは試合に出たいんですよ。試合に出ようぜと神社で話してるんですよね。あれは彼らの本音として書いているんです。ただ、試合に出たいんだけど、レギュラーを前にしてそんなことを言うと、馬鹿じゃないの? と言われてしまうから言わないでおくという」

彼らは自分のラインが分かってますよね。

「彼らは基本的に試合に出ることを諦めていないですし、出たいという強い気持ちも当然あるんですけど、その試合に出たいという気持ちを周りには絶対に言わない。それは言えば笑われて傷つくかもしれないし、自分まで笑ってしまうかもしれない。秘めておくことで何とかバランスを保って、辞めない自分を自己正当化しているんです。
脚本を書いているときに、青春って何だろうと考え続けたんですが、理由のない自己正当化こそ青春ではないか思ったんです」

そうでなければ、やっていけないという。

「ギリギリの状況で補欠にしがみつく自分がいるわけですけど、何で? と聞かれても理由なんてないんですよね。でも日々、自分の中で正当化をしてると思うんです。負け試合だと分かっている自分もいるし、どこかで望みをつないでいる自分もいるし、しがみついている理由を格好良さげに正当化している自分もいる。そういう青春の曖昧な状態を提示したかったんです。」

高校生を見守る脇のキャスティングがとても素晴らしいと思いました。高校生役の俳優さんたちにサポートがあったのではないですか?

「そうですね。特に(竹内)力さんは高校のチームの監督という設定なので、率先して現場をまとめてくださいました。グラウンド整備なんかもしてくださいましたからね。こちらが止めてくださいと言っても、いや、大事なことだからといって、率先してトンボがけをしてくださったり、とにかくチームにまとめようとしてくださいました。野球部は、スタンドにいる生徒も含めると40人ほどの大所帯だったんですけど、主役だろうが補欠だろうが、みんな合わせて部員という形で対等に接してくださったんですよ。若い役者が質問すれば、それに真摯に応えてくださってましたし」

ちなみに監督は高校時代に野球少年だったそうですが、その頃から映画好きだったんですか?

「いえ、高校時代は野球ばかりしてましたね。映画を観るようになったのは、大学1年くらいからですね。高校が終わったあとに、役者をやろうと思って。それで大学の劇団に入って、舞台に立ったんですけど、こりゃ駄目だと思って。演出の方に回ったんです。それからは演出の方が面白いということで、演出ひと筋でした。大学4年生に自主映画を撮り始めました。それからテレビの世界に行って、今に至るという感じですね」

生粋の映画少年だったわけでもなかったんですね。

「ただ、人を楽しませるのは大好きだったんですよ。人が喜ぶ顔を見るのが好きで。そういうのが根本にありましたね。それが演出にも繋がってくるのかなとは思いますね」

執筆者

壬生 智裕

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