“登場人物が自分を裏切って動き出すと映画は面白くなる”『純喫茶磯辺』吉田恵輔監督インタビュー
2006年ゆうばり映画祭のオフシアター部門(自主映画のコンペ)で『なま夏』がグランプリを受賞以降、2007年に『机のなかみ』(あべこうじ主演)で初商業作品監督デビュー、そして2008年、宮迫博之・仲里依紗・麻生久美子を主要キャストに迎えての新作『純喫茶磯辺』と順調なペースで新作を発表し、若手新鋭監督として注目されている吉田恵輔監督。
前作2本では、可愛い女子高生に恋してしまう主人公の変態チックな純愛をコミカルかつエモーショナルに、共感を呼ぶストーリーへと描く手腕が高く評価され注目を集めた吉田監督だが、今回は、宮迫と仲が演じる、喫茶店のマスターになって女の人にモテたいともくろむお調子者の父親としっかり者の娘の父子関係を軸に、何も変わっていないようでいながら、観た後ちょっとだけ前向きな気分になれるキュートな映画に仕上がっている。
原作ものの映像化が隆盛の日本映画で、監督によるオリジナル脚本で魅せ、オーソドックスな作りのなかに見える独自の遊び心や、観客を画面に引き込む演出力、巧みなストーリーテリングが際立っており、この作品で吉田恵輔は、今後さらに表現の幅を増やし、次回作が期待される監督の1人となっていくのではないだろうかという予感をさせてくれる存在だ。
−−宮迫さん、仲さん、麻生さんのメインキャスト3人のバランスがすごくよかったですね。
「ほとんど第一希望のキャスティングができて、みなさんスケジュールが忙しいのに、すごく運がよかったんですよ。高校生の娘がいる設定なので、宮迫さんよりもう少し上の年齢の人なのかと思ってたんだけど、僕はイラストを書くのも好きで、最初にプロデューサーに、「主要人物3人のイラスト描いてみて」といわれて描いたものが、すごく宮迫さんっぽかったんです。あと、麻生さんの役は、あて書きしてるような感じだったんですが、当時の髪はまだ長かったんですよ。でも実際、麻生さんいきなり髪の毛をばっさり切っていて、俺が最初に書いたイラストと同じになっていたんですよ。そしたら、里依紗ちゃんも少し髪の毛がイラストの絵よりも長かったのに、「髪の毛切りました。」って、イラストで描いたものと同じような髪形になっていて、みんなそのイラストは見てないはずなのに、まるで呪いのイラストのように、みんなそれと同じ格好になって、クランクインの時に居たんですよ。不思議ですよね。」
—— 『なま夏』『机のなかみ』とか、これまでの作風って可愛い女子高校生に恋する男の変態チックな純愛を連続して撮られてますが、今回は父子ものというところで若干マトモ、というか変態っぽいの要素は抑え目ですね。
「自分がお客さんで他の監督の映画を見て、いつもと全然違う作風の作品を撮っていたら「この監督どうしたんだろう!?」とか思ったりするんですけど、でも自分も実際に作ってると、あえて得意なものと違うものを作りたくなるんですよね。だからこの作品もあえて家族向けだって思ってエロを封印しているわけじゃなく、そういうカラーの映画をつくってみたいっていう欲求でエロをやらなかったんです。すごく楽しんでやっていましたね。ラストもどうっていうこともない終わり方なんだけど、「暖かく終わる」ということ自体がこれまでの俺にとっては、ありえない展開なんですよ。片思いの話をずっと撮ってたけど、こういう着地点も案外いいなってはじめて思いました。でも、俺は爽やかなつもりで撮ってても、変なエロさがあるねって言われたりしました。なんか滲みでてるって(笑)。」
—— でも基本やっぱりアンサンブルというか三角なり四角関係で、複数の人間の感情がぶつかりあうというのは今回もベースになってますよね。
「登場人物それぞれの思いのベクトルが対峙するものが好きで、今回、『純喫茶磯辺』の中で一番やりたかった部分は、3人の居酒屋のシーンなんです。お父さんはモッコ(麻生さん)を口説こうとしてて、モッコはモッコで別の思いを抱えてて、娘はモッコとお父さんの関係を邪魔したくって…。3人が全く違う思惑を抱いてるところ。」
−− それぞれの思惑がかみ合わなくて露出する、という部分に関しては前作とも共通してますが、前作ではその露出の仕方がいきなりドロッとダイレクトに出てきてちょっとショッキングな見せ方でしたけど、今回はちょっと引いているというかまた違う見せ方をされていると思いました。この作品の見所のひとつというか、観ていてハラハラするシーンですよね。
「あのシーンは俺のなかでは奇跡的で、長いカットの中で力技で見せたいと思っていたんだけど、現場での時間も全然なくって、それでよくみんな長い台詞を、あのテンションでやれたなと思って。もう一回やれっていわれたら、もう無理でしょうね。最初のシナリオでは、単純に宮迫さんと麻生さんの2人のシーンだったんだけど、キーになるシーンだから里依紗ちゃんがいないのはどこか変だなと思ってて、でも登場する必然性がなかったので、「お母さんへの思い」というのが理由になるんじゃないかと思って、そこから逆算してシナリオにお母さんを何箇所か登場させていったんです。お母さんへの思いで、宮迫さんとモッコがいる居酒屋へ邪魔しにきちゃうっていうことにするには、お母さんとどういう関係性を結べばいいんだろうっていうのも最短で描くようにして、後はそれに対してのオチをつくってゆくようにしていくっていう考え方でした。その図式をだしていくまでが一番大変でしたね。」
—— あと喫茶店の常連さんのキャラクターとか、ギャグなんだけど実際よく考えたら、こういうヘンな人っているなあ、とか思えたりするんですけど、監督の作品にあるギャグ感覚とかコミカルな視点て、図らずしも、なのかもしれませんが日本映画としてみたときにリアルな日本の風景を切り取っているとも思えるんですが、どうですか?
「どうなんでしょうね〜。俺の中での“面白い”って言う基準を入れてるだけなんだけどね。「最近なにが面白かった?」っていう友達の話が全部こういう感じだし。でも本当のギャグ映画みたいなことって、あんまり現実に起きないでしょう? 『純喫茶〜』に出てきた、外国人が居酒屋で「とりあえず、ビール」って注文するエピソードも、俺の友達が居酒屋のバイトで本当に見たことだし、喫茶店の常連客のキャラクターも、ある店に入ったら、店長がやたら俺らの会話に入り込もうとしてきて、全然関係ないのに「あのーあれですか、出身、九州??」って聞いてきたのとか、そのまんま。九州関連の話を一つもしてないのに、そこから話の糸口をみつようとしているのか、「違います」っていったら、入れずに去って行ったんだけど、そうやって人と仲良くコミュニケーションをとっていく人なんだなって思って。すごい変な人ですよね。でもいるんですよ。そういう身の回りで起きた話しか思いつかないんですよね。」
—— なるほど、実話なんですね。日常風景も見方を変えるとギャグというか奇異な、コミカルな風景になるのかもしれませんね。
「意識してそういうのを取り入れているわけじゃなくて、書いているうちに勝手に入ってきちゃうところがあるんですよ。僕、基本的にすごく恥ずかしがり屋なので、例えば、好きな人に告白したくても、照れて出来ないんですけど。だから実際にシナリオを書いてても、告白しようとするシーンなのに、なぜかそこに通行人を横切らせてしまったり、チャチャを入れてしまう。自分の書いているものに自分で恥ずかしくなっちゃうんですよ。」
—— 自分で書いているのに、登場人物をコントロールできないんですか?
「自分で書いておきながら、自分が思うように登場人物が動いてくれないんです。なんか、よくわからないキャラが出てきちゃう。「お前、何しにここに出てきたんだよ」って思うんだけど、とりあえず進めてみようって書いていくと、そいつが後々意味があってつながったり。あと、誰かに会いに行こうとするシーンなのに、全然相手が出てこなかったり。「なんで、出てこないんだろう?」って。自分で書いている自分がわかっていない。でも、出てこないものは仕方ないなと思いながら、物語を進めて・・・なんかそういうふうに本を書いて、登場人物が自分を裏切って動いてくれるとなんか面白くなるかなという気がしますね。」
—— 面白いですね、それでつじつまが合う話になるってところが。
「うん、そういうときもあるし、壊れているときもある(笑)。皆がどうやって書いているのかわからないけど、俺は書いているとそうなっていっちゃう。最初プロットを見ながらこうやってやろうって書いていても、あれそうなってないじゃん?って。お前次駅に行かなきゃいけないのに、家に帰ってるじゃん、と思ったり。」
—— でもそれが監督の中での生理なのでしょうね。そこから作家の文体とか、作風がでてくるのかもしれませんね。
「そうですね、ただ、色々な人に映画を伝えていく上で『純喫茶〜』では、その生理もちょっと曲げなきゃなって、強引にギュギュっと、「普段俺はしないぞ」って思いながら変えた部分はあります。普段の俺なら絶対ここは走らない、ってところでも、ここは主人公が走っておかないと、お客さんに伝わらないんじゃないか?!と思って。俺の性格上では、絶対走らないんだけど。走りたいんだけど、走れない、その願望を入れて、俺の代わりに走ってもらおうって初めて思いましたね。なんか、俺の映画っぽくないんだけど、そうやって撮ってみたら意外と面白かったですよね。悪くないなと思いました。」
—— シャーッ(自転車で駆け抜ける音)っていう感じがいいんですよね。
「そう、その爽快な「シャーッ」ていうのが俺っぽくないけど、なんか見ていてこれは悪くないなぁーと。自分の生理に外れたものでも、うまくやれば、自分の中で納得できるんだ、ということがわかって、そうならば、もっと自分の幅は広がるかなって感じましたね。」
—— お客さんとしてもそこで「シャーッ」て主人公がなってくれるのを期待しているところってありますもんね。
「うん、そうそう。自分だけの欲望だけで作るんじゃなくって、もう少し広げてつくらなきゃということも学んだなって。みんな普通そうやってるんだろうなって。」
—— 父と娘の関係の描き方とか、自分の感覚にすごく近かったので、共感できる部分が多かったんですが、実際誰か女の人に聞いてみたりして書いているんですか?
「全然聞いたりしてませんね。『机のなかみ』の時も、女子高生のことに関して、「よく気持ちがわかりますね」って言われたんですけど、全然わかってないですよ、“わかった風”みたいな(笑)。でも実際、男女でそんなに差ってないんじゃないかなって思うんです。お父さんに対して、「気持ち悪い、触らないでよ」っていうのも、男もあるしね。だって、お父さんと一緒に風呂に入るのいやになるわけでしょう?それって女の子とも一緒でしょ?逆に女の子はお母さんとは一緒にお風呂入れるけど、男なんて、お父さんともお母さんとも風呂に入るの嫌だし。だから、男なのに女の子の気持ちがわかるとか、そういうのってそこまで気にしないですね。恋愛に関しても基本に、男も女もそんなに変わらないと思う。だから台詞でも、「〜だ」ていう男言葉と、「〜なのよ」ていう女言葉かどうかというだけで、発言している内容って、男女を逆にしても結構成立しちゃうでしょ?」
—— じゃあ吉田監督のシナリオの書き方って、自分から離れているものでも、どこか自分の中にある共通するものから広げていくみたいなやり方なんですかね。
「そうっすね、だからわからないものとか理解できないものは完全に避けちゃうと思います。例えば、法廷ものとか。自己犠牲をする主人公、とか絶対無理ですね。なんか、俺絶対そういうことしないから(笑)。誰かの為に、とか命を投げ捨てるとか・・・。もし出来るとすれば、「なんか、みんなに見られてるから」って、「これいまさら引けないよな・・・」、ってやるかしない、って情けない感情で背水の陣で望む主人公とかならできるかも。だから、ヒーローものみたいなのを自分が作るのは難しいかもしれないなって思います。『インデペンデント・ディ』みたいに、敵の陣地に入り込む!とか、そんなのあり得ない。すごい好きな女の人がいて、かっこつけるために行こうとする奴とかそういう設定にしない限り、自分の中では成立しないって思う。で、敵の陣地に行って、怖くてブルブル震えてるっていう(笑)。あとホラーとかはやっぱり難しいかな?今まで見たホラー映画のいいところばかりきっと、並べてしまいそう。
もし俺がホラーを撮ったら、幽霊が出るのにお金がなくって引っ越せない話とか。「うわぁー、まだ給料がでないから、引っ越せない!」とか。それなのに、だれも泊めてくれないとか(笑)。でも、今更彼女のところに戻れない・・・とか。そういう男の話。「うあぁー、今日も又出たー!」みたいなね。
—— ホラーのはずがオモシロの方に?
「うん、そうそう。とりあえず、酒飲んでごまかすっていう(笑)。そういう話になっちゃうかもしれないですね。」
執筆者
綿野かおり