“ヴァネッサの人生最後は映画史に残る特別なシーンになった”『いつか眠りにつく前に』ラホス・コルタイ監督インタビュー
人生の終わりを迎えるとき、最後に思い起こすのは誰の名前だろう。2人の娘に見守られながら、最後の時を迎えようとしているアンの脳裏に浮かび上がったのは、過ちの記憶と共に封印してきたハリスという男性の名前だった。
アカデミー賞をはじめ数々の賞に輝くゴージャスな女優陣、死の床で現実と夢の狭間を漂うアンをヴァネッサ・レッドグレイヴ、アンの親友ライラにはメリル・ストリープ。ストリープの実娘エミー・ガマーとレッドグレイヴの実娘、ナターシャ・リチャードソンの母娘共演も大きな見どころの1つ。
監督は、アカデミー賞の撮影賞にノミネートされた『マレーナ』や『海の上のピアニスト』、『華麗なる恋の舞台で』など、これまで数々の名作で撮影監督をつとめてきたラホス・コルタイ。本作でも映像詩人の本領を発揮し、夕焼けの海に白いヨットが浮かぶ幻想的な夢のシーンや、どしゃ降りのニューヨークを舞台にした再会シーンなど、心に残る美しい名場面を作り上げている。
——脚本を始めて読んだ時の印象は?
とても詩的であり、人間的な映画になると思った。過去のよき時を思い、日々の決断や人生の不安など、ハリウッド映画でこういう人間ばかりの映画を作るのは珍しいと思ったよ。
——ヴァネッサ・レッドグレイヴはイギリス人ですがアメリカ人の主人公として起用した理由と、ヴァネッサの演技で驚かされたところは?
彼女はイギリス生まれかもしれないけど、イギリス人としてではなく一人の大女優としてしか見ていないし、誰もがそう思っているんじゃないかな。脚本を読んだ時、死の床に就く人で思い浮かぶ顔はヴァネッサ・レッドグレイヴしかいなかった。本当に素晴らしい演技だと思うね。彼女はほとんど寝ているだけで身体を使って演技をすることができない。痛みをいかに表現するかぐらいだ。あの病は痛みを隠して戦っている演技なので、それができる彼女は大女優だと思うよ。
——大変美しい印象的なシーンがたくさんありますが、監督ご自身が気に入っているシーンを教えてください。
やはり、まず冒頭のシーンだね。脚本には「船があり、岩がある」としか書かれていなかった。そのイメージを発見して表現するのが難しかったんだ。またそのイメージをスタジオに説明するのも難しかった。かつ、この映画の全ての言語を設定し、紹介するシーンでもある。朝の2時に特別なクレーンを用いて実際に撮ったんだ。みんなはコンピューターグラフィックスだというが、私はCGをできるだけ排除して、もし本当に何か必要な時だけ処理をする主義だ。明け方、少しづつ光が見えてくる。モニターで見ながら、なるほどこれがほしかったのかと納得してもらえた。太陽が早く出てきてしまい、夢の中の特別な空の色をキープするために、少しだけCG処理をしたよ。
二つ目は、バディとアンが一緒に家の中を延々と踊っているダンスのシーン、あれがフィナーレになるくらい彼らの自由と愛を謳歌しているいいシーンだと思って長く撮った。
もう1つ、ヴァネッサの人生最後、死の床のあのシーンだけでも見せてまわりたいくらい、映画史に残る特別なシーンになったと思っているよ。
——とても美しい映像で色使いにも細かく気を使われたように思いましたが、鮮やかな色彩やアンが死を迎える部屋の暗さの対比など、どのような意図で取り組まれたのでしょうか。
もちろん考えて作った。カラーは映画を作る上で本当に大切な要素で、死を迎える人もいるけれど、家族のつながりや人間の話なので温かみを考えた。過去を語るとき、多くの映画では写真や傷ついたイメージが用いられることが多いが、あえて少し逆にしたんだ。記憶の中はカラフルで美しく鮮やかに撮っている。フラッシュバックではなく、記憶が行ったり来たりできる映画にしたかった。また、ニューイングランドの自然の素晴らしさをそのまま生かしたかった。こうして3日間の思い出をビビッドに撮ったんだ。
——一人一人の感情の表現、女性の迷いや不安の感情の表現が細かくて感銘を受けました。脚本からキャラクターへのアプローチについて教えてください。
この映画のキャスティングは大切なことで、名前で選ぶのではなく、まるでドキュメンタリーのようにそこにいてもらわなくては困るとがんばったんだ。そこにいるだけで存在感があり、母であり娘であることが信じられる人を集めることに苦心して、実際に集まってもらった。私の監督第一作『Fateless』で子役を扱っているんだけど、キャスト達はそれを見てきてくれて、いかに演技をつけるのが難しかったかを理解し信頼してくれた。「あなたがやりたいようにあなたの言語で私たちは話す」ということをみんなは心を開いてやってくれたと思っている。
——俳優に対する演出の部分で監督自身はどういう風にアプローチしたのでしょうか?
秘密を話すことになってしまうね(笑)。私は、彼らを支える親密なやり方を選んでやっている。モニターの後ろで見ているのではなく、常に同じ空間にいて、同じ空気を吸い、何かあったら彼女たちにしか聞こえない声でささやく。何を言っているかはそのときで違うけどね(笑)。
——アンの歌のシーンがとても印象に残りますが、色々なシチュエーションで彼女の歌い方がちょっとづつ違いますね。
そうなんだ。クレア・デインズはダンサーで今まで歌はやったことがなかった。彼女はピアノを部屋に入れリハーサルを重ねていたんだけれど、実際のレコーディングと撮影は別に行っているんだ。クレアが、「私はこの時どういう風に歌えばいいのか指示して。どういう風に歌うかは感情によって違うわ」って言ったんだ。私もそれまでは気づかなかったんだけど、そうだなと思い、友人の結婚式のシーンはプレゼントだから与える気持ちがなければいけない、バーで歌うシーンでは仕事を早く終わらせて早く帰りたいという気持ち。そして3回目の子守唄のシーンで彼女は生活に疲れていて全てがうまくいかない、助けてと思う時は、普通自分の母のことを思い出すんじゃないか、そこで母が歌っていた子守唄を自分が歌うことで全てが救われる。そしてもちろん子供のためにも歌っているんだ。
執筆者
Miwako NIBE