両親を亡くし孤児院で育ったミンと、封建的な植物学者の父親に従うアンは湖に浮かぶ小島の植物園で出会う。ひそかに愛を育む2人だったが、この愛を永遠に続けることは許されなかった。

ミン役を演じるのは、フランス、エクス・アン・プロヴァンス生まれで中国人の父とフランス人の母を持つミレーヌ・ジャンパノワ。エキゾチックな瞳と官能的なスタイルから現在フランスでも注目されている女優の一人。対照的に華奢で色白なアンを演じたリー・シャオランはTVドラマなどで活躍し、本作が中国国外の初映画出演である。そのほか、厳格な父親役には中国映画・テレビ界のベテラン、リン・トンフー、孤児院院長役には、『夏至』や『モン族の少女/パオの物語』のグエン・ニュー・クインと豪華な顔ぶれが揃った。

2006年モントリオール世界映画祭では、エキゾチックな香りが漂うこの感動的な愛の物語が見事観客賞を受賞、撮影を担当したギイ・デュフォーも最優秀芸術貢献賞を受賞した。

フランスに長く滞在し小説家としても活躍。祖国・中国でタブーとされる同姓愛を本作のテーマにして挑んだダイ・シージエ監督にお話を伺った。







——フランスに住み、フランス語も堪能な監督が、あえて混乱の伴う中国を舞台にして撮られたのはどういう理由からなのでしょうか?
やっぱり一番よく分かっているのは中国人だし中国のことなので、描きたい物も中国だってことです。そのフランスの中国人が、中国の物語なのに中国で撮れなくてベトナムで撮っていて、しかもスタッフはベトナム人もいれば、中国人、フランス人、カメラマン組はほとんどカナダ人という非常に複雑な構成でした。ずっといろんな言語が飛び交っているんです。初めは誰もが、監督が誰なのか分からなくて、私はカメラマンの通訳だと思われていたんですよ(笑)。特にカメラマンと役者との間には共通の言語が無かったので、私が通訳していましたからね。何ヶ月もずっと撮っているのが分からない言葉ですから、カメラマンは大変ですよね。

——様々な困難があるにも関わらず、どうしても撮りたいと思ったテーマの魅力はどこにあったのでしょうか?
中国政府が撮影を許可しなかったのでしょうがなかったんですけど、この題材にこだわった理由の一つは、中国国内の監督は撮りたくても撮れない題材だと思うし、私だからこそ撮る自由があったと思うからです。もう一つはこの2人の運命です。これは実際にあったことですから。人権も自由も無い時代があったことを歴史として記録したかったのです。

——その2人の運命の事実を知った時からずっと映画にしようと温めていたのでしょうか?
私自身は『小さな中国のお針子』以前にラブストーリーを全然撮っていなかったので、もうちょっと撮りたいと思ったのですが、男女の愛は撮り尽くされている感があったので、そうではなくて、もっとロマンチックな愛を撮りたいと思った時にこのことを思い出したんです。この中に描かれた愛は私の理想とするロマンチックな悲劇的な愛でした。

——監督の視点には女性らしさが前面に出ているような気がしたのですが、その視点はどのように培われたのでしょうか?
前作『小さな中国のお針子』は完全に私の若い時の経験を映画化しているんです。あの役者みたいに私はきれいじゃないですけどね(笑)。すごくよく知っている世界を映画にしたので、今回は芸術家として全く自分の知らない世界を想像によって自分のものにしてみたいと思ったんですね。より深く入っていって近いものにしたい。これは芸術的には可能なのです。フランスの映画学校の先輩が学生時代に撮った作品が、カンヌで賞を撮ったことがあるのですが、女性が黒人と白人の男性の同性愛を描いています。男性が撮っている同性愛の映画とは比較にならないほど美しくて本当に素晴らしい映画です。

——光や、緑、水や霧などの描写が素晴らしいですが、映像に関してのこだわりは?
これは私にも分からないんです。なるべく水辺に近いロケ地は選んでいますが、そういう雰囲気がどうやって出るのか意識はしていないのです。ただそういう環境だと非常にリラックスして撮れるというのは事実です。それからもう一つ、中国映画ではわりと霧を使って雰囲気を出す映画が多いですよね。そこには中国の水墨画の影響があるのかなとも思います。

——植物学者の父と軍人の息子が女性を低いものとして見ていて、古い考え方の象徴的な人間のように描かれていますが、個人の自由に対する障害も作品のテーマの一つでしょうか?
まず、この2人の男性はあくまでもこの女性の視点から見て描かれているので、必ずしも本当に彼らがあの通りの人物だったかは分からない。それから非常にシンプルに、典型的に描いているところはあると思います。ただ物語で大事なのは、父は権力、兄はセックスを象徴しているということです。中国に限らずどの社会でも男女間の権力と性というのは切り離せないものだと思います。もし同じ話をお父さんの視点で描いたら、それはそれで感動的な物語になったかもしれません、そうなるとこの女性たちは悪女として描かれるかもしれませんね。

——前作では小説を映画化、今回は元となる事実はありつつオリジナルで脚本を手がけていますが、原作を映画化する際とオリジナル脚本を書く際のアプローチで違いはありますか?
もう全然違いますね。前作はすでにかなり売れている小説がありましたので、それを脚色するにあたってはあまり大きく変更はできないですよね。今回は全く原作の無いところからフランス人の脚本家と一緒に共同で脚本化していきましたので、細かい課程に色々な想像で膨らませる必要がありました。もちろん小説を脚色する方が全然楽です。でも前作にもそれなりに難しさがあって非常に文学性の強い小説、つまり人が文学にのめり込んでいくことを描いた作品ですから、実は映画化にふさわしい題材ではなかったのです。前作は中国での撮影が許可されたのですが、最初に脚本段階で政府に見せたものと現場で撮ったものが違うのです。そこで非常に問題があります。それからスタッフの中にも政府のスパイがいて監視しているわけです。私自身も撮っている間に分からなくなってきて難しかったのです。私自身は全然政治的ではないし、書いているものも政治的なものではないのに、政府と闘争しているように思われて不思議なんですけど。

——共同脚本はどのような役割分担で取り組まれてきたのでしょうか?
私に限らず多分監督と脚本家で脚本を書くときは大体こうだと思うんですけども、具体的なストーリーに沿って話し合うということはないんですよ。それぞれが思いついたことを、例えば「昨日こんなことがあった」とか、「子供の頃こんなことがあった」とか勝手に話し合って、感じたものを記録するんですね。記録したものを見せ合って話がこういう風になっているなというお互いに啓発があって、だんだんまとまって形になっていくっていう感じですね。

——今回も撮影中の脚本に変更は入ったのでしょうか?
撮影に入ってからの大きな変化はありませんでした。もちろん少し付け加えるとか少しの変更はありました。特にお金を得るために書いた台本はフランス語で書いていますので、それを私自身が現場で使うために中国語に翻訳しているわけです。そうするとフランス語では良くても中国語のセリフにしてみるとあんまり良くないなという部分もありますので、それは却下しています。

——キャスティングでミレーヌ・ジャンパノワとリー・シャオランを選んだ理由は?
中国で役者を選ぶ時にほとんど選択の余地が無かったのです。つまりたくさんの女優たちがこの題材に尻込みするんですね。中国はこんなに経済発展していますけど、人々の意識がまだ立ち遅れていて、別に政府がだめと言わなくても、レズビアンの映画を演じることに恐怖感があったと思うのです。中国人の女性、リー・シャオランの方は探しに探しぬいて見つけたのですが、彼女には父の側で甲斐甲斐しく奉仕していた雰囲気がありますよね。ミレーヌの方は中国にも行ったことがなかったし、中国語もしゃべれなかったので、ミレーヌとリーの2人は言葉も分からないのです。これは彼女たちにとっては大変だったと思いますね。相手の言葉が分からないで愛を演じなくてはいけないし、絡みの芝居でも相手のセリフがわからないのに反応していかなくてはいけない。これは本当に難しかったろうと思います。

——ということは、リー・シャオランは尻込みしなかったということでしょうか?
だから彼女は肝っ玉が大きいですよね。もし中国で見つからなかったら香港か台湾で女優を探そうかと思ったくらいなのです。彼女が出演してくれて本当に良かったですね。彼女の持った雰囲気もピッタリだったし、また私が香港や台湾の女優を使うとまた文化的な距離があるのでね。特に香港の人だったら私は広東語が分からないものですから。

——同姓愛を描く中で2人の女優の中でとまどいがあったと思いますが、言葉が通じないことも含めてどのように演出されたのですか?
2人ともすごく物語の愛に関しては同情的でしたね。もちろん2人とも同性愛者ではないんですけど。やっぱり女優さんだから演技はできるんですよ。その人になりきることができる。リー・シャオランから、ある部分は撮らないでという要求は出ました。だから今回ベッドシーンはあまりないですけど、ヌードシーンはありましたよね。あれはかなり彼女を説得する必要がありました。色々なところを彼女はガムテープで隠すんですよ(笑)。きっと日本の監督だったら有無を言わさず撮るんじゃないですか?女優を怒ったりしますよね。私はそんなことはできないので時間をかけて説得します。やっぱりお互い良い気持ちで仕事をしたいので、どんなに説得しても彼女がうんと言わなければ撮れないし。女性を題材にした映画ですから女優さんを尊重しなければいけないと思いました。でも最終的には彼女たちは、とても協力的だったのです。出来上がった作品を見たリーが「こんなにきれいに撮ってくれるんだったら、もっと撮っても良かったのに。」と言っていました。あんなに時間をかけたのは何だったのかしら(笑)。結構色んな人に頼んで彼女を説得してもらったんですよ。そこは中国人ですから私は女優だから何でもOKよというわけにはいかないところが難しいところで、両親がどう考えるかとか彼氏がどう思うかとか、そういうことを考えなくてはいけなくて、私も彼女に申し訳ないと同情しましたね。

——以前、他の監督が最近の中国政府は映画をプロバガンダではなくてビジネスの手段としてみるようになってきたので、検閲も以前ほどは厳しくなくなってきたという話を聞きましたが、あいかわらず監督の作品は中国社会で受け入れられていないという状況なのですが、どんどん経済が発展しているのに表現の自由がないというねじれ現象というのはこの先も続くと思いますか?
私は運が悪いんです。理由の一つとして、私はいつも外国の資本で映画を撮っているから厳しいのです。中国国内で中国のお金を使って撮る場合は、脚本を出さなくても大体のストーリーだけで許可が下りるんですけど。日本人でも同じですよ。もし中国で撮影しようとしたら細かな脚本を出さなくてはいけない、それをチェックされます。それと私自身の第一作から彼らは非常に面白くなく思っていましたので、そういう過去から警戒していることもありますね。あと彼らにとっても非常に難しいと思うのは、脚本だけではできあがった映画というのが想像つかないわけですよね。それは私にとっても予想がつかないので。政治的にもまだまだ中国はコントロールをずっと続けていくと思いますよ。特に彼らの堅持する原則がありますからね。共産党に反するものはいけない。少数民族問題を語ってはいけない。宗教もいけないという原則的なタブーは早々変わらないと思います。だけど私の作品は全然抵触していないはずなんですよ。だから逆にフランスでよく批判されるんですよ。「共産党に対する批判精神が足りない」と。私って本当にかわいそうでしょ(笑)。中国の共産党に嫌われているのに、フランスでは批判されるし。私が若い時の回顧録を書いたりするとね、中国共産党を美化しているとか回顧主義だとか言われるんですよ。どうしようもないですね(笑)。

——この映画は中国で公開されないということですが、映画を観た中国人からの反響とか反応は?
実際海賊版がいっぱい売られているようなのですけど、見た人がどういう感想を持ったかというのは、私に届てこないので、この作品に関しては分からないです。でも海賊版がよく売れているそうです。私の知り合いの中国人では、男の人は好きじゃないけど、女の人はすごく好きという人が多いです。男が好きじゃないっていうのは、見たいものが見られなかくて不満であると(笑)。よおく目を凝らしてみたけど、見られなかったという意見が多かったですね。だから彼らに申し訳なかったと思いますけど。

——同性愛の映画というより自我の目覚めみたいなものを感じたのですが
まさにそのつもりで撮ったのです。中国の女の子って女の子通しで手を握り合って一緒にごはんを食べたり、ベッドに寝たり。でもだからといって同性愛ではない。でもそれはなんらかの芽生えなのでしょうね。これは成長の一過程のある時期だと思うんですよね。

執筆者

Miwako NIBE

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