中学生の少女が同級生を刺殺した。その瞬間から「加害者の父親」「被害者の母親」という決して相容れない対象として存在することとなった男と女。一年後、まったく別の土地に移り住んだ彼らがはからずも再び出会ってしまったことからはじまる物語、それが『愛の予感』だ。
インディペンデントで映画制作に取り組んできた小林政広は、脚本・監督・主演の3役をこなした本作で、第60回ロカルノ映画祭での金豹賞(グランプリ)をはじめ、CICAE賞(国際芸術映画評論連盟賞)、ヤング審査員賞、ダニエル・シュミット賞の4冠を受賞した。「事件を描きたかったわけではない。ラブストーリーが撮りたかった。」と本作を語る。
娘を殺された父親にとって、犯人の少女の母親はどういう存在なのだろうか。憎しみ、怒り、悲しみともつかない、深くて暗い穴がそこにはあるだろう。逆もまたしかりであり、立場こそ違えども、ひとつの事件によって人生が一変してしまった当事者同士でしか知りえない感情を彼らが共有していることは確かだ。同じ傷を背負った同士、それだけでこの世界に唯一お互いをつなぎとめる対象になり得るのかもしれない。この映画はもちろんフィクションであるが、人々が映画を観るのは、単なる娯楽以上のなにかをそこに見たいからだとしたら、この作品で描かれる『愛の予感』は、どんな絶望の淵にたたされていようとも、どうしようもなく再生せざるを得ない人間のある種のたくましさ、力強さの表明ではないだろうか。
小林監督に作品について聞いてみた。



—— 悲惨な事件の加害者と被害者の双方の親が主人公ですが、その設定上、04年の長崎小6女児同級生殺害事件を思い出しますが、作品の着想はどこから?
「今回の作品は、ラブストーリーを作ろうというのがまず最初にあった。中年の男女のラブストーリーでね。でも低予算だし、普通の恋愛ものを作ったのでは他の映画に勝てないし、自分が作る意味がないと思ってて、それじゃあどういうものにしようかというところで、前から作りたかった“道行”の話をやろうと思ったんです。近松物語みたいな。でもそれが成立するためにはタブーが必要だったんだけど、どういうタブーをもたせるのかというのがなかなか見つからなかった。
僕はあの事件を映画にしようと思ったわけではないんですよ。事件が起きた当時、報道で知ったときも「ひどい世の中だなあ」と思いましたが、普通に酷いなあと思う一般的な感情しかもっていませんでしたし。別の事件が起きたころなのか、どうなのか、きっかけは覚えていませんが浅野健一さんの「犯罪報道の犯罪」という本を読んでて、その中で、犯罪の被害者がマスコミによってさらし者になり、それが犯罪報道の“犯罪”であるというような内容で、そういえば長崎の事件があったなと思い出しました。その加害者の親と被害者の親という設定で恋愛ものを作ったら、社会的にはタブーじゃないだろうか、と思ってそこからホンを書き始めました。」
—— 昨年公開された『バッシング』では、主人公が周囲から一貫して迫害され続けるさまが描かれており、イラク人質事件の当事者であった高遠菜穂子さんの置かれていた状況とオーバーラップして語られることが多かった作品でしたが、作品の発想は前後しているんですか?
「両方の事件の相関性は僕のなかではないです。『バッシング』は「緋文字」というナサニエル・ホーソンの小説があって、ヴェンダースや他にも何度か映画になっているんですけれど、社会的に悪いとされている女に赤い印をつけてさらし者にするというピューリタンの裁きを受ける女性の話で、社会にさらし者になりながらそれでも崇高な意志をもつ女の子を撮りたいと思って、それを日本に置き換えるには?というところであの高遠さんの事件のことがあったんです。」
—— 最初にまず作りたい作品の輪郭があって、そこから現代の要素として同時代的な事件性を取り入れて作品世界がつくられていくという感じでしょうか。
「そうですね。だから、『バッシング』のように強い女、だとか今回の『愛の予感』のようにタブーを乗り越えて二人が生き直すだとか、そういうシチュエーションさえあれば、力強い絵になるんじゃないかって思うんです。それを思いついたときは勘だったんだけど。」
—— 『バッシング』もこの『愛の予感』も、実在した事件のモチーフを取り入れてドラマを作り上げていますが、シナリオを作っていくうえで気にされたことはどういうところですか?
「リアルであることですね。どのくらいテーマとしてリアルであるか。どのくらい具体的な登場人物であるか。どのくらいリアルな動きをするか、そこだけですね。殺された親と殺した親という設定はありますが、その設定の上でどのくらいリアルに映画のなかで、舞台となっている民宿での何日間を過ごすことがリアルに撮れるかどうか、でしたね。」
—— 冒頭双方がインタビューを受けているシーン以外はセリフがまったくないサイレントといってもいいものになっていますね。それはリアルを作り出す上での演出ですか?
「いやそういう計算ではありません。リアルにしようと思いながら書いてたらセリフが自然とまったくなくなってしまったんです。それは僕が思うだけのリアルなのかもしれないけど、ああいう状況におかれた双方が一年後にある街で暮らしていると。どういう心理状況で日々を過ごしているのかを考えると、全部を断ち切りたいと思って暮らしてたら人とコミュニケートしないんじゃないかって思った。話すというのはコミュニケートですから。まだそんな状況じゃないんじゃないかと思って。「はい」とか「うん」「ありがとう」とかそのくらいは言うだろうけど、ここまでまったくセリフがないものになるとは考えてませんでしたね。書いてて自分でも「…まだセリフでてこないな」とは思ってて、そのまんまラストまでいっちゃいましたね。セリフを書かなかったのはわりと必然的にそうなってしまったんです。」
—— セリフがない分、エンドクレジットで流れる歌が彼らのエモーションを雄弁にしています。この楽曲は監督ご自身の作詞作曲ですね。
「映画をつくる前にいつも必ずその作品のテーマ曲を決めてるんです。今回はイーグルスの「ゲット・オーバー・イット」をずっと聴いてたんだけど、本を書いてから一年くらい経ってて、時間があったので割と簡単に詩とメロディができてしまった。映画を撮ることになって、イーグルスと自分のと、どっちの歌でいこうかな、と思ったんだけど、結果的には自分の作った歌のリズムで映画を撮りました。映画のエンディングとして歌を使う気はなかったんだけど、海外ではそれでいいかもしれないけれど、国内公開の時にはちょっと彩りという意味でも歌をいれようということになって、ラストに歌を入れたんです。」
—— 今回監督主演もこなし、俳優として作品の中に入って演じたというのは監督にとっても大きな経験ではないでしょうか?
「それまでとはまったく違いますね。自分で演じてみるのと俳優が演じているのを撮るのは。自分が演じる方が精神的にすごく楽に感じました。これまで緒形拳さんや香川照之くん、柄本明さんといった一流の役者の方々と映画を作っていますが、俳優と監督はどうしても対立してしまう緊張関係があるんですよ。自分でホンを書いてて自分で撮る場合って、最初から頭の中に全部できてしまっているんですね。自分のイメージしていたものが役者さんが演じて変わってゆくのは、いい方に変わっていると信じて撮るし、出来上がり見てもいい方に変わっている、とは思うんだけど、最初に作ろうと思っていたものとはやっぱり変わってて、「こういう映画にしたい」と思って作り始めた地点からは全然別のところに行ってしまうんです。
だから今回は、自分で演じてみて、本当に作っている!という楽しさを感じることができました。純粋に作りたいものを作れている実感がありました。今までの十倍くらい現場は大変でしたけれど。」
—— ご自分で演じるのが一番ブレがなく意思を反映させやすい、と?
「それまでの現場では演出してても、「なぜおまえは俺じゃないんだ?!」という煩悶で撮影が終わってしまうんですよ。それに対してはある程度は納得させているし、それなりに出来上がりには自信があるから発表してきているんですけど、作品に対しては、やっぱり「なぜおまえは俺じゃない?」っていうのはどこかで思ってしまってて、これが俺なんですっていう作品をずっと作りたかった。僕の場合は自主制作で作った映画の方が制約だらけで、他からお金をもらって監督した作品の方がずっと自由に感じました。」
—— でも頼まれて監督する場合、内容やテーマなどご自分が描きたいものとはかけ離れていることもあるんじゃないですか?
「でも、監督ってテーマを描きたいから監督するんじゃないような気がするんですよ。僕の場合「絵」が撮りたいんですよね。スペシャルなカット、スペシャルな映画になってたらそれでいいって思います。野村芳太郎監督が「映画はオーケストラで監督は指揮者だ」なんて言っていますけれど、それは規模の大きい映画に関してはそうかもしれませんが、俺たちみたいな小規模の場合はどっかのライブバンドでロックやってるみたいなものだから、そこちょっと違うんじゃない?って別の楽器の奴に言おうものなら、「じゃあ俺帰るわ」なんてことになっちゃうんですよ。
そうそうこの作品は、準備期間もほとんどなくて、撮影まで一週間しかなかったんですよ、やるって決めてから。」
—— えっ、撮るって決めて一週間後にはクランクインしてたんですか?
「そう(笑)。役者さんも決まってなくていつも一緒にやってる助監督呼んで、一週間後にやるからねって言って。撮影の前に長く準備期間をとると、スタッフを雇ったりとかお金がかかってしまうんで、こういう方法でしかできないんです。だいたい毎年12月には撮影してるんですよ。『バッシング』が公開された年には『幸福』(東京フィルメックス2006にて上映)と『ええじゃないか、ニッポン 気仙沼伝説』(第一回けせんぬま映画祭にて上映)の2本を撮ったんです。でも公開はされてなくて、次の年には『バッシング』の公開も終わってたから、なにか作りたい、でもお金ないなぁなんて思っていたら12月が近づいてきたので撮ってしまった。やっぱりムズムズしてくるんですよね。毎年12月とか1月、2月にはなにかやりたくなってきてしまう(笑)。」
—— いま11月ですけれど(取材当時)来月はその12月ですが今年も撮影の予定はあるんしょうか?
「今のところないんですけど、撮りたいですね。でもこの作品の取材とか映画祭があるので今年は無理かもしれませんね。うーん、でも撮りたいなあ。まだわかりません。」

執筆者

綿野かおり

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