『線路と娼婦とサッカーボール』は、スペインのグアテマラ・シティの線路(リネア)と呼ばれる貧民街で毎日危険と隣り合わせの中家族や恋人を支えるため、自分の夢を叶えるために娼婦として生活する女性たちがサッカーチームを結成し、差別をはじめとする社会問題を提起していく実話。

娼婦として生活する彼女たちに受け入れられるまでに時間を要したという本作。「女性であり母親である」と強く主張する彼女たちの姿に胸が打たれます。

17歳から世界各地を旅し始めトラベルライター・作家として活躍した後、ドキュメンタリー映画の監督としてデビュー。
本作で第56回ベルリン映画祭観客賞を受賞し、2007年9月14日〜24日に東京と大阪で開催された第4回スペイン・ラテンアメリカ映画祭での上映に合わせ来日したチェマ・ロドリゲス監督にお話を伺いました。







—本作に登場する娼婦たちを知ったきっかけは?
15年くらい前にグアテマラに事情があって引っ越したのです、そこで3年前にグアテマラのギャングについての本を書こうと思ってたんです。しかし、ストリートギャングたちと取材をしているうちにこういう地域があって、そういう娼婦たちが住んでいてっていう話を聞いて、彼女たちがサッカーチームを作ろうとしている話を聞いて面白いと思いストリートギャングの話を書くのをやめて、まずはこっちをやろうと思いスペインに帰ってカメラ(小さい3DCGカメラ)を買って、グアテマラに戻りました。

—本作を撮りたいと彼女たちに話したときの反応はどうでしたか?
これまでのマスコミからの彼女たちに対する扱いが酷かったので、説得するのに時間がかかりました。私たちはその間彼女たちに彼女たちの人間的な部分を撮りたいんだということを伝えました。SEXに関しては、わざわざ取り上げることでもなく、彼女たちがどういうことをしているっていうのはみんなが知っていることですから、心理的な部分について知りたいと思いました。そして彼女たちだけでなく、家族や夫たちと過ごしていきながら少しずつほぐしていきみんなにわかってもらえるようになってきました。

—彼女たちの家族と少しずつ打ち解けて、撮影をしていったと話していましたがこの映画の撮影日数はどれくらいかかりましたか?
まず、撮影前のプリプロで6ヶ月かかりました。その時に彼女たちの信頼を得るのに6ヶ月ですね。その後撮影をしまして撮影自体は大体2ヶ月かかり、170時間撮影しました。それからあと1年グアテマラに残って編集を仕上げました。

—治安の悪い地域での撮影でしたが、撮影中に何か怖い体験はしましたか?
あの場所は本当に危険な場所で、武器や麻薬の売買が常に行われている場所で特にギャングが仕切っているので、私たちはもう政府とか市役所ではなく、一番悪いギャングに許可を取って彼らが守ってくれたのでそんなに危険な目にあうことは無かったです(笑)

—娼婦の人たちはかなり虐げられてきた人たちでありますが、そういう人たちの心を開いて語り合うという状況を作りあげるのに苦労した点は?
一番難しかったのは、不信感ですね。その不信感さえぬぐってしまえば後は、自分たちが喋りたいと思ったことを喋ってもらったので、マスコミとカメラに対する不信感を拭うのが一番難しかったです。それというのも今まで入ってきながら、好奇心や蔑んだ目で見たりって言うのがあったので、そこさえ突破できれば平気でした。

—なぜ彼女たちが選んだスポーツがサッカーだったか知っていますか?
始めに自分たちの権利の回復を訴える手段としてサッカーが出てきたんだと思います。というのも、普通の人たちが中央広場で訴えてもすぐ警察に排除されてしますので何も聞いてもらえないんですね。
だからどういうふうにしたら好奇心とか注目が引けるのかっていう所からサッカーという意見が出てきたのだと思います。
良かったのが、サッカーをすることでマスコミが全然違った形で彼女たちを追い始めた事と彼女たちはいつも同じところで商売をしているので言わばライバルなんですね、しかしチームプレーが必要なサッカーというスポーツによって団結とか協調といったみんなで力を合わせることが彼女たちにとって新鮮だったと思います。

—ベルリン国際映画祭で観客賞を受賞しましたが、この作品を見られた方の感想や反応はお聞きしましたか?
そうですね、ベルリンだけでなく色々な映画祭に出品させていただいて、そこの人々からの反応っていうのはみんな同じなんですけれども感動したと言ってくれます。
というのも、彼女たちが観た人の心の中に入ってくるんですね。
みんなそういう個性を持った女性たちで、本当は社会の外からはみ出て生きている人たちなんですけれども、周りの人たちや多分映画を見る人たちも始めは半信半疑で見ていたと思うのですけれども、自分たちとはまったく違う人たちだと思っていた人たちが、同じように夢を持っていたり、泣いたり、笑ったりしているその姿にすごく胸が打たれるって言うのですよ。
特に東京に関して言いますと昨日が上映日だったんですけど、驚いたことに日本人の方がみんな拍手をしてくれたんです。文化が違うし、日本人は自分の感情をあまり表に出さないって思っていたので、まさか日本であんなに拍手をしてもらえるなんて思ってもいなかったですよ。私はとてもそれに感動しました。またその後のQ&Aでも積極的に手を上げて下ってみなさん非常に興味を持ってくれていましたね。それが驚きでもあり、幸せでもありましたよ。

—旅を始めようと思ったきっかけは、他の国の人や文化に興味がわったからなんですか?
私にとっての旅は逃走です。17歳からの旅の始まりっていうのはその当時の自分の過去や置かれていた状況から逃げるというとこから始まりました。
でも私の旅は終わっていないし、まだ結論が見つけられていません。だから一番のきっかけっていうのはその自分の暗い過去から逃走したいっていう所からですね、だから未だに私の旅は逃走や逃亡だと思っています。

—監督は17歳のときから世界各地を旅し、トラベルライターとして活躍していましたが、そういった経験がドキュメンタリー映画やロードムービーをとることに繋がってきているのですか?
そうですね、17歳から国を旅するチャンスを頂いたんですけども、その時からずっとあるのは人への好奇心なんですね。
だから旅をしながら人に会って凄く興味が沸いたらなんとかしてその人をわかろうとするんです、まぁ結局ここまで旅をすると人間は理解できないって事がわかりましたけどね(笑)
本であろうがドキュメンタリーや物語であろうと旅というものからは離れられないと思っています。それと私は、人と共に現実(実際の世界)に凄く興味があるので、これからフィクションを撮る予定ですが、ドキュメンタリーに限りなく近いフィクションになると思います。

執筆者

大野恵理

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