本作は”特攻の母”として知られる鳥濱トメさんの視点から、若き特攻隊員たちの青春を描いた戦争群像劇である。製作総指揮は現・東京都知事としても知られる作家の石原慎太郎。トメさんと長年親交を温めてきた石原氏は、隊員たちの心のヒダに入り込み、その想いを汲み続けた彼女のことを「生きた菩薩」と呼んでいる。そして彼女自身の口から若者らの真実の姿を聞かされた石原氏は8年前に本作を企画し、自ら脚本を執筆した。

鳥濱トメ役には、石原氏の熱烈なラブコールを受け、日本映画界を代表する国際派名女優・岸恵子。特攻兵役には徳重聡、窪塚洋介、筒井道隆など、実力と人気を兼ね備えた豪華キャストが結集した。

監督は『オキナワの少年』(83年)『秘祭』(96年)など、自らのルーツである沖縄をテーマに意欲作を作り続ける新城卓。『秘祭』の原作者でもある石原氏と共同でこの企画を温めてきた同志として、お互い気心の知れた関係でもある。特攻と沖縄戦は切っても切れない関係にあるという信念の下、演出に挑んだ新城卓監督にお話を伺った。






石原慎太郎さんの原作は、沖縄の因習に翻弄される青年を描いた前作の『秘祭』に続いて2度目ですが、今回の映画とは非常にテイストが違いますね。

「そうだね。でも『秘祭』なんかも新城卓カラーが出ていると思うけどね。あれはオキナワのネガティブな部分を描いたわけだけど、あれを観て、石原さんが僕を認めてくれたというのがあるわけですよ」

今回、ビジコンを使わずに、直接俳優の前で演出したと聞きました。昔はそれが当たり前のことだったわけですが、最近では珍しいですよね。

「でも僕からすれば、なぜビジコンを使うんだ、という気持ちがあるわけですよ。僕にとって一番大きいのはスタッフとの信頼関係だから。例えばカメラマンに画作りを任せたら、俺はもう覗かない。それは信頼関係があるから。それをあえてビジコンを通して見る必要があるのか、と言いたいわけね。そういう意味では俺は古い人間なのかもしれないね。
それから、遠いところで演技をつけると、役者というのは何であんな遠いところから偉そうに、となるわけですよ。それより側にいて、役者の目を見て、今の視線は一歩遅かったとか言った方がいいわけじゃない。俺は今村昌平、浦山桐郎という人たちからそうやって芝居について教えられてきたから。そのふたりのおかげだよね」

伝え聞くところによると、その両巨匠は役者、スタッフを相当追いこんだそうですね。

「そうそう。それはすごいよ。ゴジ(長谷川和彦監督)なんかもそうだけど、そういう中から這いあがってきたわけだから。よく助監督で優秀な人は、監督として優秀にはなれないとか言うけど、僕なんか逆でね。助監督くらい出来ないで、どうして監督が出来るんだと思っているんだけどね。だから『秘祭』なんかもそうだけど、金策をしながらそれでも作ってきたというのは、まさに今村昌平の教えだよね。あの人は撮りたいものに対しては非常に貪欲に撮っていくし、それに対する執念が素晴らしい。そういう意味で、そういう心がけを教えられたよね」

今村昌平監督に影響を受けたわけですね。

「いやいや。影響を受けた以上に身体に染みついているわけですよ。今村監督が俳優の目を見て、芝居を付けているところを直接見て、そういう風に教えられてきたからね。そういえば今回、窪塚君が阿波踊りを踊るシーンで、今村さんが亡くなってね」

ちょうどその時ですか。

「俺の携帯に10件くらいメッセージが残ってたわけ。ああ今村さんだなと思ってね。その前に病院に会いに行ってたから、覚悟はしていたんだけども。やっぱり留守電を聞いたときは寂しかったよね。この映画を観てもらいたいと思ってたからね。でも今度の映画、今村さんが観たら何て言うか。答えは分かりますよ」

何と言いますか?

「『新城、お前の映画はうるさいな。特攻シーンでガチャガチャして』と絶対言いますよ。あの人は絶対に褒めないから。どこがうるさいんですか? と聞くと『全体だよ』って絶対に言いますよ」

でも確か『オキナワの少年』の時は褒めたそうじゃないですか。

「そう。あれは褒めてくれたんだよね。僕は今村昌平の助監督を何年もやってきて、いろんな人の作品のことを言ってるのを聞いてきたけど、褒めたのは『オキナワの少年』だけなのよ。『本当ですか?』って聞きなおしちゃったよ。『何だ、お前、耳が悪いのか』。そういえば『オキナワの少年』をやるときに、『おい、新城。お前『泥の河』のような屁みたいな映画を作るなよ』というわけ」

え! あんな名作を! 

「え? と思ったね。つまり若者は、テクニックや情感に行くなと言ってるわけ。直球で勝負しろ、と。お前がこの映画をやりたいと思うなら、堂々とやってみろというあの人流の言い方だよね」







石原慎太郎さんのトメさんに対する思い入れがものすごかったそうですね。

「そりゃ、すごいなんてもんじゃなかったね。トメさんの話を聞いていた時に正座をしていたと言ってたからね、あの石原慎太郎が」

その理由は何なのでしょうか?

「彼女はやはり観音さまというかな。そういう試練に行く若者たちに安らぎを与えてくれたと。日本人を代表して、そういう人がいてくれて良かったと。隊員たちも心が休まったんじゃないかと。それを聞いて、なるほどと思ったわけだよね」

石原さんと監督は、年齢的にちょうどひとまわりくらい違うそうですね。

「でもどこかで波長が合うんだろうね。随分可愛がってもらいましたよ。でも、やっぱり作家だよ、あの人は。この映画を改めて見返してみたけど、ラストで徳重が『我々があんなに思いつめたのはなぜでしょうか?』と聞くセリフがある。するとトメさんが『いとおしさでございます』とね。あんなセリフは俺は書けないなと思った。前に一度言ったことがあるんだよ。なかなか言葉がうまいですねって。そしたらバカヤローッ、俺は作家なんだよってね(笑)」

脚本では結構もめたとか。

「いつももめてますよ。でも話せば分かる人ですからね。一番大きくもめたのは、冒頭のシーンだよね。あの人はトメさんの話だから、トメさんから出したいと。俺は駄目だと。冒頭におばあさんが出てたら、若い人たちは誰も観ない、と言ったの。そしたら石原さん怒っちゃってね。何なんだ、お前その言い方は、と言って大ゲンカですよ(笑)。女中さん、びっくりしちゃってたもん。
で、翌日。お前の言う通りかもしれないなと言うんだよね。だから最初の棒倒しのところから始まったわけ。ああいう青春の躍動というものを描かないとね。
でも同い年なんだよね、石原慎太郎さんと岸恵子さんって。74歳。あのふたりは本当に元気だよね」

ところで石原知事って、脚本を書くような時間があったんでしょうか?

「あの人は根っからの作家なんだよね。毎日書いていて、寝るのは2時か3時かになると思うんだけど。俺も何回か家に呼ばれて、酒を呑んでご馳走になったことがあるけど、10時ごろになったら、お前そろそろ帰れよというんですよ。毎日書いてるみたい」

酒を呑んでるのにですか?

「だからそんなにがぶ呑みはしないみたい。9時か10時ごろまで呑んでいるんだけども、それから書いてる。奥さんに聞いてみたら、本当に毎日書いてますと。書かないと寝つきが悪いんだって。だからそういう意味では脚本なんて一生懸命。最初は奥さんと知事と僕とで3人で行ったのよ。脚本を書くために。俺は言うことだけ言ったら、ちょっと散歩に行ってきます、なんて言うわけ。石原さんはお前いいなぁとか言いながら、一生懸命やっているんだよ。それで、どうだ、というから、違うじゃないですか、なんて言いながら。隣りで奥さんがクスクス笑っているんだよ。監督は面白い人ですねと。その間は一歩も外に出ないよ。やっぱり作家だから楽しいんだろうね」

そういえば劇中に登場する戦闘機・隼(はやぶさ)を実物大で作ったそうですが、映画で観たら、汚れ方がリアルでしたね。

「あれは美術スタッフが頑張ったよね。当時の設計図を取り寄せて作ってるから、すごいよね。こういう映画ももうないだろうね。撮影の時に、当時の知覧の整備兵だった方とパイロットの方が常時ついていらしたんだけど、この飛行場でエンジンを始動させていたときに泣いてたよね。今回の映画というのはこれが大きいですよね。フィクションでカモフラージュしている部分はないし、全部本物だというのは大きいね」

執筆者

壬生智裕

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