木村威夫の存在は戦後の日本映画界においてあまりに大きく偉大だ。1941年に日活に入社してから現在までの66年間、200本以上の日本映画で美術監督として多くの監督たちの映画づくりに貢献してきた。特に鈴木清順とは彼の「清順美学」と呼ばれるその独特の映画表現の構築を支える右腕として広く知られている。

その木村威夫が85歳で初監督に挑んだのが2004年に公開された『夢幻彷徨』でのことだ。そして今作監督3作目となる『馬頭琴夜想曲』を89歳で完成させた。

雪の夜に馬頭琴とともに教会の前に捨てられていた赤子・世羽の夢や天空・未来への憧れを軸に、老齢の世羽(演じるのは盟友・鈴木清順!)と彼を追いかける妖しの存在・ザロメの永遠の追いかけっこのような不思議な因縁関係、長崎原爆の記憶、ゴシック調の静かな教会、砂漠の中の夢みるような音色で映画を優しくつつみこむ馬頭琴のメロディ。

シーンごとに膨張しつづける芳醇なイマジネーションの数々とその連鎖は、無限に広がる宇宙のようでいて一瞬の夢のようでもある。まるで木村威夫自身の頭の中にそのまま入り込んでいるかのような世界がそこには広がる。現在も第一線で活躍する映画美術の巨匠である一方で、89歳にしてなおアバンギャルドであり、自身の映画表現という新しいフィールドを模索するその冒険的姿勢は、後世につづく若いクリエーターにとっても大きな自由と勇気を与えるのではないだろうか。








映画美術としての60年あまりの映画人生の中で、ご自身で映画を監督したいという気持ちはずっと持っていたんでしょうか?
「いや、まったく監督するなんて思っていなかった。むしろそれだけはやるまいと思っていたくらい。だって絶対失敗するんじゃないかって思っていたから。でも実際やってみたら、結構いけるかなって思ったり(笑)。最初の『夢幻彷徨』の時だって、美術作品を映像に撮るっていうので誰かが作るんだと思ってたら自分で撮ることになって、それで慌ててどうにか作品を作ったっていう感じだったんだよ。」

セリフがなくほとんど歌と朗読で語られる映像詩で、セットの使い方やカリカチュアされた人物像など、手法は演劇にも近いですね。
「演劇ぽくというのは意識してたんだよ。映画的というより、演劇的な誇張した世界を作りたいと思ってたね。シナリオも細かくは書いてなくて、ほとんどあらすじだけだね。セリフははじめから入れないつもりでいたんだけど、ある程度語りを入れないとストーリーがまったくつながらなくなるからね。セリフをしゃべらせると、そこからリアリズムが求められてくるから、この映画でやっている世界が嘘っぽくなってしまうんだよね。絵ができてから歌詞の語りと曲をつくっていったんだよ。」

監督自身は映画でのリアリティとフィクションについてどのように考えていますか?
「リアルな動きや表現をどうやって変えることができるかだよね。現実に即したリアルな芝居ではなく、どうしたら違う表現をできるかというのは私にとって勉強です。
リアリズムで映画を撮るのはうまい監督さんがたくさんいるんだから、とてもじゃないけど太刀打ちできない。違う形でなにか表現したいんだよね。人がやっていないようなことをやってみたいというのが前提にあるんですね。セリフを言わないほうが、楽しく重層的な世界を描けると思っていた。セリフをいっちゃうと、そのセリフの限界の世界でしか表現ができなくなってしまうし、上手い下手でしかないよね。」

馬頭琴を奏でると音楽に合わせて空から小さなバレリーナがクルクルと舞い降りてきたりだとか、非常にポエジーがにじむ豊かな映像表現がたくさんでてきます。そうしたイメージやアイデアはどのように発想するんですか?
「ひとつのアイデアをどうやって思考を拡大させていくかだよね。考えも及ばない表現がふっとでてくるような。たとえば、『夢幻彷徨』の時に、衣裳が普通の服だと面白くないと思ったので、アメリカと日本の国旗にしてみたり。そういうアイデアにたどりつくまでには迷うよね。今回の映画だと少年のシーンと世羽とザロメがおっかけっこしている世界と、静かな教会のセットがあって、バレリーナのダンスというイメージがバラバラにあったんだけど、それぞれの要素をどう組み合わせていこうかなって。うーん、むずかしいね!」

すごく自由なスケールで描かれながらも、どこか内的宇宙というか箱庭のようなものを感じます。シーンごとのイメージは最初から具体的に決まっていたんですか?
「ぼわーっとしたものが頭の中にあって、撮影が終わってから編集していきながら少しずつイメージを作っていったんだよ。色んな素材を膨大に撮影してたので、ああでもない、こうでもないっていいながら。映像をゆっくりとスローでダブらせてみたり、色んなエフェクトを使って作っていったね。2ヶ月くらいずっと編集してたんだけど、すごく面白かったなあ。はじめから自分でも具体的にわかっているわけじゃなくて、わからないながらもやっていくうちに段々つながりがでてきて展開もできていったという感じだね。」

映画監督と美術監督では作品づくりにあたって、気持ちの違いはどういう部分でしょうか?
「美術の時は監督のやりたいことを監督の気持ちになって、自分はお助けしなきゃいけない立場なんだけど、自分が監督するときは失敗してもいいや、好きなことやっちゃえ!っていうのがある(笑)。人の映画で失敗しちゃ悪いじゃない。遠慮しながら自分の世界をどう出してくかなんだね。美術の時は、責任はもちろん大きいけれど監督のためによりいいものをって思ってやってます。でも自分の映画なら自分で責任とれるから。自分が監督だとなんでも思ったものをパッと決められるんだけど、美術をやってるときは悩む時間が長いねえ。責任あることだから考えちゃう。」

映画監督を経験されたことで、美術監督のお仕事に変化はありましたか?
「現場で俳優さんの動きが気になるようになったなあ。俳優さんの芝居に関しては、今までは傍観してた世界で、自分は入れ物だけを作ればよかったけど、監督やってからは“入れ物の中における人々の動き”が自分の頭のなかにできてきちゃった。いい悪いは別にして頭の中が複雑的になってきた(笑)。だから監督をしてみたことが美術をする上でもいい勉強になっていると思いますよ。現場の見方が変わってきたね。」

今回で3作目ですが85歳で初監督されたということは、若いクリエーターたちにとっても勇気を与えていると思うんですが…
「わたしはもうふらっとやってるだけですよ(笑)。でも作品を撮っていく上で重要なのは、自分の思いを変えちゃだめっていうことだと思うんです。どんな人間を撮ってもその真髄は自分自身なんだから。監督するとどうしたって自分の考え方が入ってくるじゃない。嘘はつけないよね。
映像表現ていうのは無限だから、どういう風にもできるでしょ。かなり魅力のある世界だよね。オクターブが高いジャンルだと思う。だから若い人はみんな監督やりたいっていって勉強している人が多いんだけど、でも美術とかカメラとか色んなスタッフがいて映画が出来ているから、そっちの仕事も面白いよって私は自分の生徒に勧めたりもしているんですよ。私はずっと美術をやってきていたけど、監督だけを目指すんじゃなくそういう仕事も大事なんだよって思うんですよ。」
今後の作品の展望はありますか?
「やっぱり普通の世界ではないことをやっていきたいね。全然現実とは違う世界。今はCGも発達しているしいろんな表現ができるよね。表現がどんどん複雑になってきて面白いと思う。」

執筆者

綿野かおり

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