2005年秋、小泉劇場まっただなか。東京で気ままに切手コイン商を営む「山さん」こと山内和彦さんが、川崎市宮前区の市議会議員の補欠選挙に出馬することになってしまった!

『選挙』は、これまで政治にはまったく縁もゆかりもなかった山さんの一世一代の奮闘をつぶさに観察したユニークなドキュメンタリーだ。ナレーションや音楽、説明などを一切省いた「観察映画」と銘打ち、選挙のしきたりに翻弄され続ける山さんの悲喜こもごもをユーモラスに描き出している。

本作は、今年のベルリン映画祭に正式招待され、世界の批評家から大絶賛された。その後も、各国映画祭からの招待が殺到。世界26カ国のテレビ局で短縮版の放送が決定するなど、世界的に注目を集めた作品がいよいよ日本上陸である。

監督はニューヨーク在住の気鋭の映画作家、想田和弘。本作が初の長編ドキュメンタリー作品となる。
今回は、監督と主人公となった山内和彦さんに登場していただき、映画の裏側を思う存分に語り尽くしていただいた。




■これは主観的な映画である

——おふたりは東大の学友だったそうですが、学生時代はどんな感じだったんですか?

山内(以下、山)「実は彼とはコンパと学園祭くらいでしか会ってなくて」
監督「彼はまったく授業に出てこないんですよ。それなのに、みんなで旅行に行く時とかになると必ず顔を出す」
山「そう。それは皆勤賞でした」

監督「本当に授業で見なかったよね(笑)。でも山さんって本当に誰とでも友だちになってしまう人だったんですよ。年上なんだけど、そういうのを全然感じさせない。特に男の間で人気がありましたね」
山「その後、監督はすぐにニューヨークに行っちゃったから、全然会うこともなくて」

監督「ただ、山さんはとにかくまめなんですよ。切手マニアだから年賀状は必ず来る。それで関係は続いていたんですけど、彼が立候補するというのを知ったのは本当に偶然で。僕たちの共通の友だちが川崎に行った時に、彼のポスターを目撃したんですよ」
山「1500枚貼ったんで、否応なく目に止まるという」
監督「何じゃこりゃ、と撮った写真を僕にメールしてきて。山さんどうなってるの、と」

山「こっちに聞けばいいのにね(笑)」
監督「それで写真を見たら、もうおかしくて。ツボに入っちゃったんですよ。なんで山さんが自民党からって(笑)。山さんにメールして、どうなってるの?と聞いたら自民党から出るんだよ、と。それで映画を撮りたいんだけど、と言ったんですよ」
山「ちょうど僕も記録に残したいなという気持ちがあったんですよね」

監督「山さんは記録魔だから、本当は自分でカメラを回したかったんだと思うんですよ」
山「でも、僕よりももっと強力な記録魔がここにいるから(笑)。
 選挙対策本部の人もいい記録映像になるからいいよと言って、すごく好意的にしてくれましたね」

監督「だから逆に、自民党の皆さんがここまでオープンなのかと驚いた部分もあるんですよ。撮っている最中に撮影を止められることはなかったですからね。
 それと面白かったのが、撮影中に山さんが何度も僕に謝るわけですよ」

山「だって映画を撮るからには、やっぱりいい画を撮らせてあげたいじゃないですか。本当はいろいろしてあげたいんだけど、こっちもいっぱいいっぱいで、そんな余裕がなかったから」
監督「でも、その方が僕は逆に都合が良かったんです。僕の映画は観察映画ということで、一定の距離を保って、そこで行われる自然な姿を記録したかったわけだから」

山「逆に自然な映像しか撮ってなくて、そんなんで映画になるのかなと心配になってしまって。今回こんなことになるとはゆめゆめ思ってませんでしたが」
監督「彼も僕のことをものすごく見くびってたみたいで」
山「それはあった(笑)」

監督「どうせ撮ったって、身内でミニ上映会でも開く程度だろうと思ってたんです」
山「それがベルリン国際映画祭に招待が決まったと連絡が来て。僕も映画は好きなので、宮崎駿監督が金熊賞をもらったあれ? と思って絶句しましたね。
 でも外国で上映するのはいいけど、日本で上映するのは勘弁だなと思っていたら、日本でもやることになって(笑)。ただちょうどその頃は、次の選挙は出馬しないことが分かってたんで、映画のための宣伝協力はいろいろと出来るようになったんですけども」

——この映画は観察映画と銘打たれています。観察ということは客観性という意味が含まれるかと思うんですが、一方で主観のないドキュメンタリーは存在しないという意見もあると思います。監督の中での客観性と主観性との兼ねあいはどうされたんでしょうか?

監督「ナレーションや音楽がないから、誤解されるところではあるんですが、この映画は全然客観的ではないです。むしろ、ものすごく主観的な映画だと思ってます。

 ドキュメンタリーは徹底的に主観でいいと僕は思し、客観的なドキュメンタリーがあるのかどうかも、僕には分からない。

 ジャーナリズムの世界では、「客観的真実」というのがあります。いろんな人の証言や証拠を揃えることによって、真実に近づけるという前提の元でジャーナリズムは成立しますよね。
 でも僕は「客観的真実」というコンセプトそのものがフィクションじゃないかと思っているんです。つまり極論すると、「客観的真実」なんてなくて、実際に存在するのは、100人いたら、100人それぞれの主観的現実だけなんじゃないかと思うわけです。

 だから『選挙』も、あくまでも、僕が見た選挙運動なんですよ。60時間テープを回して、58時間を捨てて、2時間の映画にしたわけですよね。しかもそれを順序を変えて、再構成して提示しているわけだから、これはもう主観的なもの以外の何ものでもない。
 」





■これは疑問についての映画である

——そして観察される側となった山内さんはどういう気分でしたか?

山「でも僕はほとんどカメラを意識してなかったんですよ。撮り方が上手なんですよね。気配を消しているというか、空気のような存在で、自然体のいい映像を撮ったんだろうなと。
 だから観察映画ということで、こういう風に観察されていたのかと。初めて観た時は唖然となりましたよ。これが先ほど監督が言っていたような、監督の主観で作られている観察映画なんですね。観察映画の意味がよく分かりました
 でも、僕だったら、こっちを省いてこっちを入れただろうなという部分はありますね」

——山内さんだったら、具体的にどのようなエピソードを入れたかったですか?

山「選挙の当日に選挙管理委員会に行って、ポスターを貼る場所をくじびきで決めたんですよ。そのシーンを僕は見たかった。面白いじゃないですか。みんなでくじびきをワイワイやって。でもそこはバサッと切られてました」
監督「あれは面白いシーンだから、だったから、実は最後まで残そうとしたんだよね。でも、泣く泣く切っちゃった。奥さんが自民党の議員さんと選挙管理委員会に行って、くじびきをするんだけど、くじびきのやり方というのがすごい複雑なんですよ。 
 たとえば、くじを引く順番を決めるためのくじとかもあるんですよ。確かにそれはそれで面白いから最後の最後まで迷ったんだけど、結局テンポの問題で」

山「やっぱり間伸びしちゃうところなんだね。これが3時間の映画だったら入ったんだろうね」
監督「でも、3時間の映画ではないなと思ったんだよね。この長さが自分の生理にしっくりきたし、一番過不足なく捉えてるかと思ったんです。
 他にも入れたいシーンはいっぱいあったんだけど、シーンとしては面白くても、どうしてもテンポやリズムとか、映画全体の構造を考えると入らない。」

山「ああ、なるほどね。ただね、僕はあのシーンが見たかったんだよね(笑)」

——この映画を通じて、選挙に対する認識も変わったのではないですか?

監督「今回、日本に帰ってきて、選挙カーが連呼しているのを見ると、クスッと笑っちゃいますよね。今までは何とも思わなかったですけど、やっとるな、という感じですよね(笑)。
 それこそ見方が全く変わったというか。海外の映画祭でも散々指摘されたことだけど、選挙カーで名前を連呼するのを聞いたから投票する人っているんだろうかと改めて思いましたね」

山「同感ですね。だから僕は逆にうるさくやってる人には投票しないんですよ」
監督「でもそのわりには自分はいっぱい連呼したよね(笑)」
山「それはしょうがないんだよ。やれと言われたから(笑)」

——今回の映画を取材する上で、選挙に対する矛盾や疑問が増えてくると、まだまだ語り足りない部分というのが出てきたのではないでしょうか? たとえばその矛盾を『選挙2』として発表することも可能じゃないですか?

監督「そうですね。それは大いにありうると思いますよ」
山「これは組織の選挙とはどういうものなのかを鋭い視点で語った映画ですけど、パフォーマンスで人気取りをしようというポピュリズム選挙が主流を占めるようになったら、その時はポピュリズム選挙を検証する『選挙2』なり、『選挙3』なりを作ることは可能だと思いますね。そういう表裏のある候補者の選挙の内情を語りたいですね、それはそれで僕は面白いと思うんですけども」

監督「いつの間にかプロデューサーのようになってる(笑)」
山「いやぁ(笑)」

監督「どっちにしろ、よく誤解されがちなんですが、ドキュメンタリーというものは結論を必ず教えてくれるものじゃないんですよ。あるいは社会的メッセージがあるはずんだと思われがちなんですが、僕はそれも必要ないと思っているんです。

 まずこの映画には政治的メッセージもないし、結論もないんです。だいたい僕自身が分からないですからね。選挙制度をどうしたらいいのか、なんて。分からないからこそ、みんなで考えましょうということなんです。

 だからこれは結論についての映画なのではなくて、疑問についての映画なんですよ。これを議論のきっかけにしていきましょうということなんです。だいたい映画一本で何かが分かるなんて、甘い気もするし。これってどういうことなんだろうなという引っかかりが生まれてくれれば、それで十分だなと思っているんですよ」

執筆者

壬生智裕

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