『エマニュエルの贈りもの』義足のアスリート、エマニュエル・オフォス・エボワにインタビュー
西アフリカのガーナでは、障害を持って生まれた子供は呪われているとみなされ、物乞いの道しか残されていないというショッキングな現実がある。
生まれながら右足に障害をもって生まれたエマニュエルは、父親に見捨てられ、村社会では除け者にされた。だが、母親の深い愛情に支えられ、自らの人生と国全体の意識を変えるために努力を重ね続けた。支援団体から自転車を手に入れたエマニュエルは、片足だけでガーナ全土を走破する。エマニュエルの熱くひたむきなメッセージは遥かアメリカにも伝わっていく。
義足をつけトライアスロンに挑戦するなど、障害者スポーツを通して母国の障害者福祉を変えるべく日々精力的に活動を続けているエマニュエル・オフォス・エボワに話を伺った。
——映画化の経緯について
僕の活動をサポートしてくれている障害者アスリート基金 米国CAF(The Challenged Athletes Foundation)創設者であるボブ・バビット氏が本作の監督リサ・ラックス、ナンシー・スターンと仲がとても良くて、2003年4月に彼女たちに紹介したらフィルムにしてみたいということになりました。当時はプロモーションになるのか、映画になるのかという構想は決まっていなかったのですが、とりあえず僕を追いかけるようになり、最後には長編映画になりました。
——活動を起こすきっかけとアクションを起こすまでに抱えていた思いはどのようなものでしたか?
自転車でみんなの考え方を変えたいという目的の下、何年も前からガーナでスポンサーを探していたのですが、国内の現状は厳しいものでした。「自分のお金を稼ぐためだろう」、「自転車を売り払うのだろう」と言われ、全く信用されず苦しんでいました。その後、CAFに手紙を書いたらすぐにサポートしてくれました。“自分は絶対やってやるんだ!”と思っていたのですが、ガーナ走破をやり遂げた時、周囲の人達が変わっていきました。自分はいつか何か大きなことを成し遂げるだろうという野心を子供の頃から抱いていました。そういう意味で子供の頃に抱いた夢は大事だと思います。
——ご自身の行動が多くの人々に勇気や希望を与えていることについてどう思いますか?
“自分のメッセージを広げて協力しあうと色んなことができる”という証明を自分の人生や活動を通じてできることは素晴らしいことだと思います。みんなが笑顔になってくれることや、提供した車椅子でガーナの障害者が街を自由に動きまわれるようになったことも素晴らしいことだと思います。
——不屈の精神でガーナを変えたヒーローと言われていますが、ご自身にとってのヒーローは誰ですか?
僕にとって一番のヒーローは母です。いつも励まし、夢を持てば何かを成し遂げられることを教えてくれた人です。こうやって取材や映画を通して母の話ができることはとても嬉しいことです。
——母親の愛情を強く感じたエピソードを教えてください。
もちろん母はたくさんの深い愛情で私を育てました。僕が障害者だと分かって父は家出をしてしまい、母が市場で働いて家計を支えていました。母は障害者の僕を普通の小学校に通わせ、毎日登下校の送り迎えをしてくれました。何年もの間、片道6.7キロの道のりを僕を背負って歩き続けたたのです。
——2006年の障害者法成立後、国はどのような変化を遂げましたか?
障害者法によって、今年からガーナをベースにした企業に対して“障害者を必ず一人雇用しなければならない”という雇用法が成立しました。企業が障害者を積極的にサポートすることになったということが一番の変化です。
——映画によってご自身の生活は変わりましたか?
映画が公開されたことで色々なことが変わりました。例えば3週間前にアメリカ・カリフォルニアのガソリンスタンドで「エマニュエルさんですか?」と声をかけられ、「僕と弟が大ファンで、1日10回映画を見て自分の人生が変わりました」と言われてびっくりしました。自分の映画を通していろんな人に影響を与えていることは、人に出会う度に感じます。今回の来日も映画を通して実現しました。ガーナと日本は親交の深い国ですが、自分も積極的に関わり、電子部品の組み立てを学んでみたいと思っています。
——ルディ・ガルシア・トルソン氏やジム・マクラーレン氏との出会いはご自身に勇気を与えたと思いますが、彼らの言葉や態度で心に残っているものはありますか?
障害者アスリート基金から取り寄せたパンフレットに二人の様々な活動が掲載されていて、その後会うようになったわけですが、「義足を付けたら変わるのか?」と二人に相談したところ、「僕たちは世界が変わって、いろんなことができるようになったから大丈夫だよ。」と後押ししてくれました。実際、義足を手に入れたことで本当に世界が変わったので、そのアドバイスが大きかったと思います。
——映画の冒頭で「目標を持つのは立派なことだ、やり遂げればもっと立派だ」とおっしゃっています。現時点で目標はどのくらい実現したと思いますか?
ガーナは今年、独立50周年を迎えるんですが、自分はちょうと30歳なので、生誕30周年記念です。その重みを考えると30年でたくさんのことを成し遂げたと思っています。自分のメッセージを通じてたくさんの人の見方を変え、世界を変えてきたので、満足はしています。
——理想の社会像はどのようなものですか?
国全体が一つの大きな家族になり助け合うのが究極の社会だと思います。
——来日されて、日本の障害者設備について気がついたことは?
少し歩き回ってみて非常に感心したことは、車椅子が普通にアクセスできるランプや坂があることです。ガーナでは、障害者法成立によって整備が進んではいますが、まだ始まったばかりです。日本は障害者のことをよく考えているなと思います。ガーナでは5、6階建の建物でさえエレベーターが付いていません。日本は低い階層であってもエレベーターがついているのですごいなと思います。
——北京パラリンピックの出場など今後の活動について
北京パラリンピックに向け、車椅子のバスケットボールチームを2つ編成しました。僕はトレーニングを含めた監修を行っていますが、チームはよくできています。困難は大量のチームを北京に送るための資金で、一生懸命スポンサーを募っているところです。
——これまでの人生の贈りものを三つ上げるとしたら?
僕の人生はたくさん恵まれていると思います。一つは2003年以降、活動を通していろいろな国に旅する機会を持てたということ、もう一つは義足をみんなの支援によって手に入れたこと。最後の一つは妻と3歳になる娘という自分の家族を手に入れたことです。
僕はこの映画のタイトルを、世の中の贈りものとして差し上げたいという気持ちで、自分で考えて付けました。
映画を見たモハメド・アリがこの言葉をくれました。「エマニュエルの身体的ハンディキャップへの不屈の挑戦は、ガーナ全土の人々を心から感動させ、勇気づけた。不可能を可能にすることの素晴らしさを、身を持って教えてくれたのである。『エマニュエルの贈りもの』は、生きることへの贈りものなのだ。」 まさにこの通りで自分の人生をどういう風に社会や人に与えていけるかが人生の意味だと思うんです。そして良い心を持つことはとても大事なことだと思います。
執筆者
Miwako NIBE