“これも運命なんだろうなと思った” 『地下鉄に乗って』篠原哲雄監督インタビュー
『壬生義士伝』『鉄道員(ぽっぽや)』『椿山課長の七日間』など、発表する作品が次々と映像化されてきた直木賞作家、浅田次郎。しかし、95年度の吉川英治文学新人賞に輝いた『地下鉄に乗って』は、幾度となく映画化の話が浮かんでは消えるという、ある種の映画化不可能な作品と言われてきた。
だがこのたび、東京メトロの全面協力によって、本作の映像化がいよいよ実現。それに合わせて、堤真一、大沢たかお、常盤貴子、岡本綾と、豪華なキャストも集結した。
今回はこのDVDの発売を記念して、篠原哲雄監督のインタビューをお届けすることにしよう。
◆東京メトロの協力があったからこそできた
浅田次郎さんの人気作が原作ということで、映画化になるまでのいきさつを教えていただきたいのですが。
「実は2000年頃にも映画化をしたいということで、仮のオファーがあったんです。でもその頃は『オー・ド・ヴィ』という映画を撮ることになっていた時期で、正直、タイムスリップで時が行ったり来たりするという物語性をうまく捉えることが出来なかったんですよ。
それで一度はその話はなかったことになったんですけど、それからまた5年くらい経って、再び僕にどうだろうかという話がきたんですよ。その頃は『天国の本屋〜恋火』というファンタジーを撮った後でしたし、また巡ってきたということは、これも運命なんだろうなと思いましたね。まあ、正直言って分からない部分もあったんですけど、それでも自分がこういう素材をどういう風に出来るだろうか挑戦したいという気持ちもあって」
浅田さんの作品としても映画化不可能な作品と言われてきたわけですが、ここにきてようやく映画化された要因として大きかったのは何なのでしょうか?
「まずは東京メトロの協力があったということ。
それとここ2、3年くらいで、CGがちゃんと日本映画界の中で使えるようになってきたというのも大きいですね。つい5、6年前に作られる予算と、今回の予算というものは違うでしょうし。もちろん、そんなにCGに頼っていたわけではないですが、どうしても作らなきゃいけない場所や、消さなきゃいけない部分はCGのおかげで成り立ったということです。そういう点が、映画化までに時間がかかった理由じゃないかと僕は思っていますけどね」
時代が良かったということですね。
「そうです。やっと出来るようになったということですね」
先ほど、東京メトロの全面協力があったとおっしゃっていましたが、良かった点はどういうところでしょうか?
「基本的に東京の地下鉄の話なんで、大阪や九州であってはいけないんですよ。たとえば赤坂見附や永田町の駅は深夜に撮影に使わせてもらっているんですけど、やっぱり現実的にそういう場所での撮影の許可というものは、今までは下りなかったはずなんですよ」
ああいう映像は見たことなかったですね。
「初めてだと聞きました。それがまず大きいですよね。
東京メトロが全面的に協力してくれていますから。それがないと出来ないですよね。やっぱり永田町から赤坂見附にかけての長い通路を歩いている時に真次に起きた出来事というのが、はずせない条件なわけです。それで、新中野を出ると鍋屋横丁があるということになっている。すると過去に行く駅としては、新中野でなくてはならない。そこはやっぱり東京メトロなんですよね。
そうすると、昭和36年に丸の内線が新中野まで開通したという事実は大きいわけですよ。すると丸の内線とは赤い電車で無くてはならないし、銀座線とは黄色い電車でなくてはならないことになる。
しかも彼の会社は地下鉄で通える古びた駅の近くにあると。全体の必然性が、全部東京メトロにかかっていかなくてはならないわけですよ。そういうことは、東京の人じゃないと分からないかもしれないけれど、ものすごい大事な要素なんですよ」
昭和の東京の懐かしい風景が出てくるわけですが、スタッフの中にもその東京を実際に体験した方もいらっしゃったんじゃないでしょうか?
「僕らのスタッフの中で最長老は、昭和2年生まれの録音部の橋本(文雄)さんという人なんですよ。橋本さんは闇市を経験しているんですね。だから絹がいかに貴重なものであったか、闇ルートでしか手に入らないものなんだということを特に強調していました。というわけで映画の中でも絹が貴重品であることを強調したわけです」
地下鉄の撮影ということで、大変だったのでは?
「やはり撮影は終電後に限られるわけですから、短時間で撮影しなければいけないわけですよ。だから終電後に機材を搬入して、始発までに撮影を終えなければいけなかったんですけど、それがかえって集中力が出るんですよね。
照明を使わずに、全部蛍光灯の光を使ったんで、段取りさえしっかりやってけば、どんどん撮っていける。大変なところといえば、タバコを吸えないくらいでしたからね。
むしろ他のシーンの撮影の方が大変でしたよ」
例えばどこのシーンが大変だったのでしょうか?
「それはやっぱり闇市。だって、エキストラが300人いるんですよ。まず、当時の出立ちになってもらうところから始めなくてはいけないので、300人全員に衣装を着せて、メイクもするわけですからね。
あと、昭和39年の中野のシーンも大変でしたね。あそこも深夜に撮影しているんですけど、外だから寒いしね。かえって地下鉄の方があったかいわけですよ。それに道路を当時のように白線だけに模様替えしたり、横断歩道も消したりしましたしね」
ところで喫茶店のシーンの奥の方に原作の浅田次郎さんが出ていませんでしたか?
「撮影中に、現場に浅田さんが来ていただいた時があったんですが、それがちょうどいいタイミングで喫茶店のシーンだったんですよ。
そこで『ちょっとこちらに座っていただけませんでしょうか』とお願いしたところ、『いいですよ』と快く了承していただけて。それで出ていただいたわけなんです。だからあそこは浅田さんのファンにとっては、たまらないシーンなんじゃないですかね(笑)」
◆撮影はアムールを中心に考えた
喫茶店のシーンといえば、ふたりがオムライスを食べるシーンが出てきて、それがすごく印象的でした。確か原作ではおにぎりだったと思ったんですが、オムライスに変えた理由は?
「確かにおむすびはおむすびでいいんですけども、真次とみち子にとって、大事な小道具を作った方がいいだろうなと思ったんです。そこで古びたパーラーという設定を考えたんですよ。パーラーといえば、ミートソースかナポリタンか、オムライスかとなりますよね。お母さんの思い出といえば何だろうと思ったときに、意外にオムライスというのは昭和の食べ物を象徴しているんじゃないかな、と思ったんですよ。
ケチャップの感覚が昭和という感じを思わせるので、選んだということですよね」
キャスティングがうまくはまっていたと思いますが、キャスティングの決め手を教えてください。まずは堤真一さんから。
「40そこそこの俳優さんで、受動的で冴えない役ですけど、それでも主役の出来る俳優さんということ。そういう観点からいくと、何人かの俳優さんを挙げられるかと思うんですけど、僕らは自然に堤真一さんに行ったんですよ。いろんな要素を持っている人だと思いますね」
みち子役の岡本綾さんはどこかはかなげな印象がありました。それでいて芯の強さも感じさせましたね。彼女をキャスティングした理由は?
「常盤貴子さんが演じたお時という役と、みち子の役がありますよね。そうすると、これは変な言い方になるかもしれないですけど、お時のところにトップクラスの俳優さんを持ってくるのか、それともこれから伸びるであろう俳優を持ってくるのか、というふたつの考え方がある。キャスティングを決めるときは、バランスを考えるわけですよ。
でもこの映画では、これから面白いぞという人をみち子に持っていった方がいいだろうなと考えたわけです。岡本さんはもちろん実力はあるんだけど、まだ若いですからね。どことなくこれからという感じがありまして。
それに地に足のついた感じがありますからね。腰が座ってて、ひょろひょろした女優さんじゃないのがいいなと思ったんで、お願いしました。
そして常盤さんですが。和服の似合う人。そして昔パンパンガールだったと言われてもおかしくないような演技が出来る人。つっぱった感覚を持っていて、それでいて茶目っ気のある人。
そう考えていくと、自然と常盤さんがいいんじゃないか、というようになっていったんですよ。彼女、ちょっと昭和の匂いがするんですよね」
最後にアムール役の大沢たかおさんですが、熱演でしたね。
「実は大沢さんは僕がこの仕事を引き受ける以前からアムール役を熱望していたんです。だから初めて会った時からアムール像をしっかりと考えていらしたんで、びっくりしましたね」
大沢さんは時代ごとにまったく違うキャラクターに変化していました。
「彼は特にアムールの時代ごとの見せ方を大事にしてましたね。つまりアムールはどういう風に変化していくんだろうか、ということですよね。
まず戦中は坊主に近い感じで。着ている服もそうだし、そして何より痩せていなければならない。
それで戦後になって、この人は闇市を闊歩して、やんちゃな感じですよね。そんな人が多分この時代にいたんですよ。これからのしあがる豪傑ですよね。だから例えで言うと、僕らは田中角栄を考えたわけですよ。極端な例ですけどね。でも、そういう意味での豪快さを作りたかった。
そういう匂いをさせるために、髪を伸ばして、坊主とはまったく真逆のいでたちを作りましたね」
その時代ごとにアムールの風貌が変わるんで驚きますよね。
「だから僕らも撮影はアムールを中心に考えていったんですね。最初はガッチリした身体を作って、戦後の闇市の撮影から入っているんですよ。それから昭和39年の老け役をやる。その次にバッサリと髪を切って、体重も落として、戦前、戦中の場面を撮る。
戦時下の満州のシーンは一番最後なんですよ。あれが一番大変でしたね。忘れもしない12月22日の深夜。雨が降りそうな天気で、風は寒い。海岸沿いで、しかも残ごうみたいなところでの撮影。子供たちはたくさんいるし。機関銃を撃ったり爆破だ何だと仕掛けなくてはいけないですからね。あれこそ大変なシーンだったですよ(笑)」
#◆みち子の視点で見れば分かってくる
小林武史さんの音楽が素晴らしかったですね。
「小林さんは心の琴線に触れる音楽をいつも作りますからね。小林さんとやるときは、ラッシュを見てもらってから、小林さんなりに感じたものを提示してくれないかとお願いするわけです。もちろんこちらもある程度のプランは最初に考えておきますけど。
その時に提示してもらったのが『アムールのテーマ』だったんですよ。実は闇市のシーンは音楽を入れるつもりはなかった。音楽よりは闇市の状況音や、ガード下の鉄道の音とか、そういうところからいこうと思っていたんですけども、音楽が入ってきたら、これがまたいいんですよね」
主人公の真次が、死んだはずのお兄さんを見つけたというオープニングシーンがありましたが、非常に緊迫感溢れるシーンでした。あそこは音楽の効果が素晴らしいと思ったんですが。
「先に映像は出来ているんで、それに合わせてもらったんですよ。
ただSFだということを意識した場合にタイムスリップの音楽をどういう音楽にしたらいいだろうということを、小林さんなりにいろいろ研究されたんじゃないかと思うんです。
そこで、あのリズムのような音楽になったんです。あれはひとつの発明であって、ああなるほどね、と感心したところでした」
編集に韓国のキム・ソンミンさんが参加されていました。彼女の仕事ぶりはどうでしたか?
「彼女は『殺人の追憶』の編集をした人なんですよ。同じアジアで今、最も勢いのある韓国映画の力を借りようという気持ちもほんの少しはあったんだけど(笑)。ただ、むしろそれよりは違う国の人がこの映画をどのように解釈してくれるのか、という興味の方が大きかった。
すごいなと思ったところが、みち子とお時が、階段で真次と見つめあうラストシーンのカットバック。あそこなんて彼女独特のリズムなんですよね。そういうところが面白かったですね」
彼女とのやりとりはどうやったのですか?
「彼女とは通訳さんを介してのやりとりだったので、コミュニケーションをいかにとるかということに気をつけました。
ただ、最初に彼女が編集したものがすごくアップテンポだったんですよ。撮った側からすれば、リズムの合わないところがあった。そこで彼女にいろいろ説明したんだけど、なかなかこちらの意図が伝わらなかった。こちらの説明の仕方がうまくなかったのかもしれないんだけど。
ちょうどキムさんが『グエムルー漢江の怪物ー』の編集で一回韓国に帰る時があったんで、その間に、とりあえず僕たちなりのリズムを反映させたバージョンを作ってみることになったんです。
それを見せた上でなぜこうなったのか、ということをキムさんに提示してみようとしたわけですよ。けれど、自分の体感リズムだけでつなげたものはかえって長くなってしまったんですよ。すると、ここはいらないよね、ということで、シーンごとまとめてカットしちゃう部分が出てくるわけですよ」
編集にリズムの違いが出てくるというのは興味深い話です。
「それからキムさんが戻ってきたんですが、『言葉は通じないから、その間にこういう風にとりあえず作ってみたんだけど』といってそのバージョンを見せたんですよ。
そうすると、これはカットしたけど、本来はあるべきシーンじゃないかというところをキムさん流に復活させてくれたんですよ。3カットくらいでポンポンポンとつなげて。確かにそれは絶対に必要なカットだったんですよ。
これはすごいなと思いましたね。そういう発見や驚きの瞬間がたくさんあって。最後の階段のシーンも、僕のリズムでじっくりと見せたわけですが、そこはもう少し、キムさん流に戻るわけですよ、トントントンというリズムに。そこがいいあんばいだったんですよ。そこのドッキングが良かったですね」
なるほど。お互いのいい部分をミックスしたわけですね。
「それは今後の役にたちますよね。この感覚は必要なんだなと。たとえば日本でも、映画をずっとやってる人とPVをやってる人の感覚って違うと思うんですよ。キムさんはいい意味でPVの感覚が入ってきたような感じなんです。だからその感覚を生かしながら、じっくり見せるところは見せるという風になったと思いますけどね」
最後になりましたが、DVDをご覧になる方にメッセージをお願いします。
「実は最初に劇場で観た時に、映画の内容がどうもよく分からなかったという観客の方もいらっしゃったんですよ。こりゃ原作読んでないと分からないぞ、と僕の友だちにも言われましたしね。
それはきっと、男の視点から見ているからで、そうするとみち子がなぜああいうことをしたのかが分かりづらいのかもしれない。
それをみち子の視点で見れば、分かってくるものがあるはずだと思うんですよ。映画は2度、3度と観ることによって、新たな発見があるはずなので。
コメンタリーも入っていて、美術の金田さんという人と僕とで、いろんな思いを語っています。もちろん俳優さんもインタビューでいろいろと語ってくれています。
DVDの良さってそういうところですよね。だから総合的に楽しめるんじゃないかなと思うんですよね」
執筆者
壬生智裕