第19回東京国際映画祭に正式出品された『松ヶ根乱射事件』。『リンダリンダリンダ』の山下敦弘監督が、自身の20代の締めくくりに撮ったのがこの作品である。
 
 松ヶ根に住む人間たちを、まるで見渡していくかのような視点で見据え、松ヶ根に突然の銃声が響き渡るまでを描いた本作は、人間という最も複雑な生き物の姿に嘘をつくことがない。誰もが憧れるようなヒーローなどは存在せず、みな情けなくて、卑怯で、滑稽な人間たち。それを同じ人間として眺めるのは、ある人にとっては面白いかもしれないし、ある人にとっては逆に極めて不快かもしれない。しかし、ここで描かれるのは限りなく”人間”な人間たちだ。

 滑稽な人間たちを静かに、そして直視したことによって、目には見えない社会性を映し出すことに成功し、文句なく山下監督の20代を締めくくる最高傑作になった『松ヶ根乱射事件』を、山下敦弘監督が語る。 







”人間の滑稽な部分がないと嫌なんですよ”

——まず確認したいんですが、この『松ヶ根乱射事件』は『リンダ リンダ リンダ』のすぐ後の企画ですか?
「撮影自体はだいぶ後ですけど、企画に僕が参加したのは『リンダ〜』が完成したすぐ後くらいですね」

——この2つを比べると違った要素をかなりもっていると思うんですが、『リンダ リンダ リンダ』がこの作品に及ぼした影響はあるんでしょうか?
「ちょっと反動はありました。『リンダ〜』作った後、何本か企画を頂いたんですけど、やっぱり青春モノばかりだったんです。青春サクセスストーリーみたいな(笑)。そういうのはもう、今はちょっとしんどいなぁと思っていて・・・。そのときに、この映画のプロデューサーの山上(徹二郎)さんに会ったんです。山上さん自身も『リンダ〜』の次は、違うテイストのものを作らせたいなっていう人だったので、僕もそれにぜひという感じで参加したんです」

——本作はもちろん1本の映画なんですが、光太郎(新井浩文)の周辺の人物を描いたオムニバス映画を観ているような感覚も受けました。そこは何か意識があったんですか?
「そうですね。オムニバスと言うか、キャラクターがどんどん膨らんでいっちゃった映画なんです。だから、どのキャラクターで観るかによってたぶん作品の印象はちょっとズレてくるんじゃないかなっていう気はしますね。今回僕の軸は、光太郎っていう警官だったのでそこを中心にしましたけど、脇は脇で、ちゃんと物語がある。そういう作りになっています」

——光太郎って、全部に関わってはいるんですけど、他の登場人物がとても人間臭さ満載の中で、光太郎の人間臭さが出てくるのは乱射の直前ですよね。
「はい(笑)」

——言わばどうしようもない人たちがたくさん出てくる中で、多くの人が唯一まともだと思っていた光太郎の視線で観ていくと思うんです。
「僕もそうなんですよ。光太郎以外は全員、何考えてるかわかんないというか、ちょっと変わった人間なので、僕も光太郎を軸に、彼の立場がわかるという感じで描いていて。光太郎はたぶん、自分だけがまともな人間だと思っていたんだろうと思うんです。自分は他のやつとは違うということをずっと頭で考え続けた結果、最後は狂っちゃう。結局、映画の中の松ヶ根の立派な住人だった(笑)。
でも僕としては、まともな人間なら逆にああいうことをするんじゃないかっていう気分でしたね。新井君には発作が起こったような感じでやってくれって言ったんです。いろんなことが積もり積もってスイッチが入った発作。僕自身はあのラストを作っていて、スカッとしたんですよ。たぶんあの後警官辞めちゃうんでしょうけど(笑)」

——今作はダークコメディって謳われているじゃないですか。でも、そもそも作るときに中心にあったのは、ダークコメディを作ろうという意識だったんですか?
「それはあんまりなかったですね。キャラクターがすごい魅力的だったので、キャラクターを膨らませていったら、やっぱり結果的に滑稽な部分が出てきた。というか、僕が参加している時点で、そういう人間の滑稽な部分がないと嫌なんですよね。佐藤(久美子)さんが書いてくれたベースの脚本があるんですけど、それを見ると双子の兄弟モノとしての切ないシリアスな話だったんです。そこにいるキャラクターたちがすごく魅力的で、双子以外のキャラクターたちを膨らませていったら、町の話になり、今のような形になった」

——滑稽な部分がないと嫌だというのはなぜですか?
「なんでしょうね。たぶん、僕自身が人間をそう見ているんだろうな(笑)。脚本の向井(康介)もそうですし」

——確かにダークな笑いというものが今作ではいっぱいあったと思うんですけど、ダークコメディというよりも、人間性を突き詰めていったら自然とそうなったという感じを受けたんです。
「そうですね。僕の中では、突き詰めたという感じもないくらいです(笑)。やっぱり、人間を描いていく上で、絶対そういうのは外せない。そういうものが積もっていった上でのキャラクターたちだから。
この映画はいろんな面があると思うんですよ。笑いを抜いてシリアスな面だけでも成立する話だし。そういう意味では、山下バージョンはこういう形になったというか(笑)。なんだろうな、今回いろんな人の気持ちが入っている映画なんですよね。どんな映画でもそうですけど、脚本の向井の思い入れもあるし、佐藤さんの思い入れもあるし、プロデューサーの山上さんの思いもあるし。そういう意味でいろんな人の思いが入っている。僕自身、双子の兄弟っていうことに興味はあったけど、そこまで突き詰めてないんです。だけど、山上さんなんかは双子っていうところに意味を置いてたりしていて。だから、いろんな見方があるんじゃないかなっていう気がします。僕は一個一個のキャラクターとかシチュエーションを丁寧に撮っていっただけというか」

”この映画で描いたことが、今起こっている狂った事件の伏線になっているような気がしたんです”

——人間をそのまま描いていったということで、良い部分も、悪い部分もそのまま描いていったわけじゃないですか。そこがこの映画の魅力だと思うんですが、日本の観客の方の多くが、こういう映画に慣れていないような気がするんです。
「そうですね。外国映画とかでそういうのをスッと見ちゃう人もいると思うんですけど、日本映画だと生々しいのかもしれないですね(笑)」

——東京国際映画祭で上映されたときの観客の方の反応はどうだったんですか?
「それが意外と質問ないんですよ。僕の映画って基本的にそうなんですよね。なんか、具体的な社会性がないというか。漠然とした日本だったり、漠然とした今だったりというものを描いているので、あんまり社会性がないのかもしれない」

——社会的テーマを扱っているって言うよりも、人間そのものを扱っているって感じですよね。
「そうですね。僕自身に社会性がない訳ではないとは思うんですけど、興味はやっぱり、人間の方に向いている。でも、今回表向きは社会的風じゃないですか。警官だし(笑)。バブル崩壊後とか、いろいろついてる割には、実は中身見ると面白人間大集合の人間ドラマ。だから意外と、反応が微妙でしたね。微妙って言うのは、もっと突っ込んだ質問が来ると思ったんですよ。『松ヶ根乱射事件』ってタイトルつけた時点で、一番質問が多いような映画なんじゃないかと自分では思ったんですけど」

——とまどってるのかもしれないですね。
「うん、そうかもしれない」

——(映画に)社会性がないとおっしゃっていましたけど、裏を返すとものすごく社会性がありませんか?光太郎は乱射という形で終わりましたけど、実際に現実に起こっている狂った事件というのは、乱射の先にいってしまったものだと思うんです。
「そう、最近特にそういう事件多いと思うんですよね。どっかで煮詰まった人たちが、兄弟殺したり、子供殺したりっていうのが多い気がするんですよ。作ってる当時はそういうものに向けて作っている気持ちは全くなかったんです。でも、今から10何年前くらいの設定のこの映画がこういうラストになって、なんとなく今とつながった気がした。逆に言えば、いつの時代も煮詰まった人間は同じことをしちゃうとは思うんですけど、この映画で描いたことが、今起こっている狂った事件の伏線になっているような気がすごくしたんです」

——以前、「動機があったら人なんか殺せない」とおっしゃっていた監督の方がいて。その言葉をこの映画を観ていて感じました。
「うん、人を殺す理由っていうのは難しいですよね。それだけで映画一本撮れますもんね。・・・なんか、動機だけじゃない気がする。
最近、人間が麻痺していくとか狂っていくっていうことを少し思うんです。今回の映画も、光太郎自身が別に全てに対して責任感とか全く感じないような人間であれば、なんの事件も起こらないと思うんですよ。ここで描かれているのは、発砲にいたるまでの必要最低限の事件ですよね。すべてが決定的なものって一個もない」

——うん、光太郎と最近の狂った事件の犯人がどこかでつながった気がしたんです。その意識っていうのはありましたか?
「実は・・・今回の”乱射”っていうラストシーンが、僕の中では『リンダ〜』で最後演奏して、“やったぁ!”っていうラストと同じレベルだったんですよ。同じカタルシスだった。この映画を観ててお客さんがどうやったらスッキリするか、それを考えていたら、乱射という形が浮かんできたんです。で、それにつながる物語を考えていくうちに、ああいう世界ができてしまったんですよね。僕としては、お客さんをスカッとさせるためのラストだったんです」

——なるほど。確かに最後、乱射で何かが完結したような気がしました。
「そうですね。『リンダ〜』があったおかげで、お客さんのことを意識したというか。『リンダ〜』でああいう終わり方をやって、“その次の映画”っていう感じが自分の中ではありました。今までの映画って、ずっと地続きでラストがフェードアウトしていくような物が多かったんですけど、『リンダ〜』とこれに関しては、お客さんにケリをつけた感じはしています」

”20代の最後にでっかい花火に火をつけた(笑)”

——これが20代最後の作品じゃないですか。20代の最後にこれを撮ったということはいかがですか?
「20代でよかったなぁという感じですね。30代だったらもうちょっと深刻に考えてしまっていたような気がする。たかが一年前の話なんですけど、あのときはそういう勢いがあった。要は突き詰めたら一個一個がものすごく重い話だったりするんですけど、突き詰めないで勢いでとにかくいけるんじゃないかなと思ったんです。今だったらたぶん、もうちょっと腰が重くなっちゃうような気がするんですけど、ちょっと若さがあった気が(笑)。年齢に理由つけて、“まだ20代だし”みたいな」

——“最後”っていうのがよかったんですかね(笑)
「そうそう!“最後”っていうのがよかった。全部やってしまえっていうのはありましたね」

——これを撮って、20代の頃の作品を振り返ってみて、今の自分を見ていくといかがですか?
「やっぱり、なんかちょっとずつ、若気の至りがどんどん薄まっていく感じはあって。僕の映画って自分の中で若気の至りっていうか、若さゆえの強気が満ち溢れているんですけど(笑)。この映画はそういうのを全部ひっくるめた、集大成的な感じがありますね。
例えば花火セットがあって、ちっちゃい花火をちょっとずつやっていって、最後にひとつだけ残っていたでっかい派手な花火に火をつけたような(笑)。最後にとっておいたみたいな。もう一個あったみたいな(笑)」

——(笑)。ということは悔いなく20代を終えられたんですね。
「映画に関しては20代最後っていう気はしてます。実生活ではまだなんかグズグズですけど(笑)。作品としては最後っていう気がしますね。編集しながらそう思ってました。若いなって(笑)」

——若気の至りが薄くなってきたって言うのは、自分ではさびしかったりするんですか?
「・・・ちょっと(笑)。だけど、そうも言ってられないなっていう気もすごくしていて。あの頃に戻りたいかって言ったら別に戻りたいわけでもないし。今はもう少し、人のことを思いやれる映画を撮っていきたいなと思ってるんですよ(笑)。もうちょっとデリケートな映画を撮っていけたらなって。
・・・うーん、なれないかな(笑)そんな映画監督、別にね(笑)。映画監督って基本的にみんなわがままだし、やっぱり我が強いんで。・・・わかんない(笑)」

執筆者

林田健二

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