“この無駄な熱さを体感して欲しい” 『キャプテントキオ』 渡辺一志監督インタビュー
西暦20XX年の新・東京都にやってきた高校生ふたりが遭遇するアナーキーでクレージーな出来事。ウエンツ瑛士、中尾明慶を主演に迎える青春映画だ。そしてその脇を固めるのは泉谷しげる! いしだ壱成! 日村勇紀! 石立鉄男! 車だん吉! そしてPANTA! しかもナレーションには『北斗の拳』で伝説のナレーションを務めたあの千葉繁が参加!
今回はこの個性派キャストを見事にまとめあげて、熱い映画を作り出した渡辺一志監督にインタビューだ!
◆まずはフィルムを奪いあうビジュアルが思いついた
どういう風にこの映画は始まったのでしょうか?
「僕がSF映画好きだというところからですね。SFというのは作家が遊べるジャンルだと思うんですよ。現代劇ではなかなか出来ないことが出来ますからね。
そこで、もし自分がSF映画を作るとしたらと考えたとき、この廃墟になった街のビジュアルが思いついたんです。例えば『北斗の拳』ならパンを奪いあっていますけど、ここではレコードやフィルム缶を奪いあっているんですよ。
そういう何もないところで映画を作る人たちの話を作りたいなと思って。出発点はそこで、いろいろとキャラクターを肉付けをしていく中で今の形になっていったわけです。
実は10代の頃に1回この脚本を書いていたんですよ。それは完全に(ジョン・ウォーターズ監督の)『セシルB ザ・シネマ・ウォーズ』でしたね。だから最初の話の中にはウエンツと中尾の役はいなかったんですよ」
では、いしだ壱成さんが演じるアロハたちが話の中心だったわけですか?
「そうです。支配者階層と若者たちが映画をめぐって殺しあうという話だったんです。
それが10年くらいたって、ちょっと目線が変わってきたんですよ。そういうクールなものよりは、熱いものをやってみたいと。創作の出発点はそこですね。そういうところから、一気にこの映画が出来たということですよね」
それにしてもすごいキャストですね。その中でも中尾明慶さんが演じるニッタのキャラクターはどちらかというとやんちゃな感じで、今までの彼にはなかったタイプの役柄だったと思います。それは狙いだったのでしょうか?
「そうですね。彼の事務所の方にも『(ウエンツと)逆なんじゃないか』と聞かれたんですけど、『いや、逆じゃないです』と。絶対そっちの方が面白いし、今まで通りの線の細いイメージや、ちょっとおどけたイメージをなぞるつもりもなかった。
それはウエンツにしてもそう。バラエティに出ているようなひょうきんなイメージをなぞるつもりはなかったですね。朴訥(ぼくとつ)で、ピュアな心を持った男の子をきっちりと演じてくれましたよ」
泉谷しげるさん演じる都知事が最高でした。どことなく現都知事の匂いもありましたね。
「多少、現在の都知事のイメージをかぶせながら演じたと思うんですけどね。ただ、よく聞かれるんですけど、僕自身は特にそういうつもりはなかったですね。純粋に敵役だと思っていたので」
泉谷さんと現場をやってみてどうでしたか?
「一緒にやれて良かったですね。すごく気を使ってくれるし、すごく真面目だし。現場ではほとんど演出上のことだけキャッチボールをしていた感じでしたけれど、撮影が終わったあとは、泉谷さんが遊びに連れて行ってくれましたからね。面白かったですよ」
俳優、バナナマン・日村さんの演技はどうでしたか?
「レスポンスの早さがありますよね。普通の俳優さんとは違うから、みんなの刺激になったんじゃないですか。泉谷、日村が演じる都知事と秘書という組み合わせは、『タイムボカン』のボヤッキーとか、ああいうノリでしたからね。悪い奴らなんだけど憎めない。それでいてちゃんと仕事をしているじゃないですか。そういう空気が出せてよかったな。結局誰も悪い奴がいないですからね。主義主張が違うだけで」
◆曖昧さは悪だと思うんですよ
いしださんが演じるアロハの役がものすごくかっこいいですよね。
「僕が一番こだわった役でもありますからね。彼があの役を演じないと、この映画は成立しない。それくらい重要な役でした。もちろん、ウエンツ、中尾、泉谷という3枚看板があってのことですが。彼は映画の中でのキーマンなんですよ。全員の登場人物をつなぐ唯一の導線なんですね」
性格もかっこいいんですよね。友だちを大事にしようぜとか。
「そうです。サラッというけど、彼は大事なことを言っているんです。
始まる前に考えていたバランスとしては、僕が演じる映画監督の役とアロハの役で、役割を半分半分にしようとしていたんです。でも、アロハが立っている姿を見た時に、彼の言葉の方がすごく伝えやすいことに気付いたんですよ。ですから、言葉で伝えたいことはすべて彼に伝えてもらったんです。
だから最終的に、精神面はアロハから、姿勢に関しては僕から、ウェンツ演じるフルタがそれぞれ受け継ぐという形にしたんですよ。
だからフルタから見た映画屋というのは、他人にいっさい心を開かないというか、腹を明かさないというか。それはある種の監督なんですよね。彼と僕の役は最後までほとんど会話がないんですよね。でも彼は最後にフルタを戦いに行かせる。舞台には乗せてやるから、あとはひとりでやってこい、とね」
僕は父と母のようにも見えましたが。
「そうそう、母親と頑固オヤジというね。いしださんがちょうど中性的な人なんで、そういう意味で彼が持っていたのは母性ですよね。アロハの方がビギナーに対しては分かりやすいんですよ。『好きにやれよ』とか『友だちを裏切るなよ』とか。本当に彼がいなかったらこの映画は成り立たないですね」
オープニングが『北斗の拳』っぽいなと思ったら、アニメ版でナレーションをしていた千葉繁さんのナレーションが登場したんでビックリしました。もちろんあれは狙いですよね。
「そうですね。やるんだったらとことんやらないとね。こういうことをやるにあたってはきっと曖昧さは悪だと思うんですよ。
いくらこちらがオリジナルに対するリスペクトを持っても、ああいう人はそれを認めてくれないと来ないわけですからね、『北斗の拳』の看板を背負っている人ですからね。だから来てくれるのかなと思ったんですけど、来てくれて。そこで一発『勢いのある脚本ですね。北斗でやればいいですよね』、と自分からそう言ってくれたので、『その通りです』と」
千葉さんの収録はどうでしたか?
「いや、面白かったですよ。最初は『西暦20XX年〜』というナレーションだけの予定だったんですよ。でも、面白かったんで、ザコキャラが死ぬときの声でキャストの名前を読んでもらえますか、とお願いしてみて。メチャクチャ面白かったんで、そのままオープニングで使いました」
あれはすごく印象深いですよね。
「最初の5分でやっとかないとだれるんで。僕は最初と最後がよければ基本的にいい映画だと思うんですよ。あとは真ん中にかっこいいことがあればベストですね」
石立鉄男さんは映画の神さまのような風格がありましたね。
「そうですね。正体をひた隠しにして心を閉ざしたああいう人間が自分が俳優だったと明かして映画作りは戦いだということを力説する。あれだけの説得力を出せるのは彼しかいなかったと思いますね」
あれはもう一つのハイライトですよね
「実は10代の時に書いた脚本のラストはあそこでした。映画屋と老人が話すというラストだったんですよ。本当に『セシルB ザ・ムービー・ウォーズ』だったんで。仲間割れをして全員が裏切られて最後に逃げ込んだ先で、自分の映画を見せられて、最後にふたりが、会話をして終わるという。
でもそれは新しい脚本にするにあたって、映画屋から少年に受け継ぐ話しにしたんで、それは変えましたけどね」
#◆これはもう見せ逃げですね(笑)
ライブのシーンでPANTAさんが出てきて驚いたんですが。
「本物が出てきたら面白いじゃないですか(笑)。映画を観る人って、どうせ本物は出てこないんだろというちょっと舐めているところがあるじゃないですか。僕もそうだけど。
映画のテクニックとして、横向きにするとか、影で隠してごまかすことも出来ますよね。映画ですから、それはそれでありなんですけど。でもこの映画って、悪い言葉でいうと安っぽいじゃないですか」
いい意味でのチープさがありますよね。
「だから結構舐めてると思うんですよ。本物は出ないだろうと。僕はきちっと作られたものよりも、手作りのものの方が好きなんで、それはそれでいいんですけど。でも、だからこそ、あそこにPANTAさんが出てきたらビックリするだろうなと思ったんですよ。
だから無理矢理電話して呼んで。あのライブシーンはPANTAさんの部分だけ撮影が終わってから、別撮りしてるんですよ。唐十郎さんの舞台に出ていた時期と撮影時期とがもろかぶりしてたんで、舞台が終わった次の日に来てくれたんです。だから内容も知らずに出てるんですよ。『俺何やったらいいの、とりあえずさ』『そのカウンタックから降りてください』『人いねえよ』『大丈夫です。もう撮ったんで』なんて感じで、わけも分からず連れてこられるという。それは本当に祭りですよね」
ところで資料によると、撮影した素材が映画50本分あったということですが、そこから選ぶのは大変じゃなかったですか?
「いや、大変じゃなかったですよ。ピックアップするところは決まっていましたからね。今回はどちらかというと、カメラが小さかったんで、移動を利用した長まわしをオーソドックスに撮りたかったんですよ。だから編集にはそこまで苦労してないですね」
逆に言えば何を50本分撮ったんでしょうか?
「覚えてないんですよ。そう言われたけど(笑)」
それでも撮るべきものがあったということですよね。
「実際これはラフカットで120分くらいあって、編集で20分くらい切ったんですけど、それは主に映画屋とアロハのシーンでしたね。結局インパクトがあるんですよ。ふたりとも思想がはっきりしてるから、それをはっきり見せちゃうと、そこが際立っちゃう。でもそれは映画の見せたいところではなかったんで、この少年たちから見た映画屋とアロハたちというものを前面に出しましたね」
ロケ地の美術は非常にこだわっていたようでしたが、作るのは大変だったのではないでしょうか?
「いや、3週間とか1ヶ月とかですよ。撮影の最中でも、隣で作っていたりしましたね。それは美術チームのこだわりですよね。手作り感で面白くしてくれましたよね」
具体的にここがこだわってたなと感心した部分はありますか?
「ほとんどですよ。こんなところまであるんだと感心しましたからね。ひとり、井上さんというアナ−キーでワイルドな美術の親方がいたんですよ。いつも現場を作り終わったら帰っちゃうんで、3回くらいしか会ってないんですけど、すごく僕と僕の映画に興味を持ってくれて。実際、美術って写せない場所とかも出てくるんですよね。反対から見ると裏が写っちゃうという。でも最初にセットに来たときも、全部作っといてやったからと言ってくれて。あとはどこから撮ってもいいようにしとけよ、とスタッフに指示していたんで、その庭で遊ばせてもらったという感じでしたね」
じゃ、カメラのアングルも制約がなかったわけですね。
「なかったですね。初めて仕事するチームだったんですけど、良かったですね」
では最後に、これから映画を観る方にメッセージを。
「この無駄な熱さを体感しに来てくれ、と。近年まれに見る体感温度の高い映画だと思うんで、はまらない人にはキレイにはまらないんだと思うんですけど(笑)。はまれば、多分1年に一回に見たくなるような映画だと思うんですよね。本当に子供の頃にターミネーターやロボコップを見に来て感じた熱さのような。
最近の風潮としてはみんなクールじゃないですか。そうでなければキッチュとかになるじゃないですか。パロディというか。結局どっちかでしかないんですよね。クールな感じか、ちょっと悪乗りかみたいな」
この映画はストレートですよね。あっという間でしたね。
「やり逃げですよね。いや、見せ逃げですね(笑)」
執筆者
壬生智裕