2001年1月26日。韓流ブームも日韓ワールドカップの熱狂なども、まだ誰も知らなかった冬の夜のこと。JR山手線、新大久保駅で、駅のホームに転落した日本人酔客を助けるために、日本人カメラマン、関根史郎さんと韓国人留学生イ・スヒョンさんのふたりがホームに飛び降りて、3人とも電車に轢かれてしまうという痛ましい事故があった。ふたりの男性がとった勇気ある行動は世間の人々を驚かせ、そしてその悲しい運命には誰もが涙した。
 特に韓国人留学生であるイ・スヒョンさんは、異国の地にありながら、なぜ命の危険をかえりみずに日本人を助けようとしたのか。今となっては、天国にいるイ・スヒョンさんのみしか知り得ない話ではあるが、「もし自分だったら…」と、人々が自問するきっかけとなり、それまで近くて遠い存在であった日本と韓国の交流の足がかりとなった出来事として、人々の心に刻まれることになった。

 そんなスヒョンさんの生きざまにスポットをあてて描き出した青春映画『あなたを忘れない』が製作され、このたび公開されることになった。そこで主演のイ・テソンさんにインタビューを行った。





イ・テソンさんは、2000人の中からオーディションで選ばれたと聞きました。この作品に出演しようと思った理由は?

「まずは日本と韓国で多くの人に感動を与えた事件の映画化ということで、意味のある映画だと思ったこと。そして二つ目は、この役をやることは俳優としてのチャレンジにもなるということですね。日本語のセリフが非常に多いですし、外国のスタッフと一緒に仕事をすることにもなります。それ以外にも、マウンテンバイクやギターや歌など、事前に多くのことを準備しなくてはいけないですからね」

実在の人物を演じるにあたって、どういうことを踏まえて役作りをしましたか?

「実話に基づく物語なので、かなりのプレッシャーがありました。だから遺族の方や、彼を知っている人たちに迷惑をかけるような演技だけはしてはいけないと思いました。
 スヒョンさんのご両親にお会いした時は『自分たちにもうひとり息子が出来たようだよ。撮影は大変だろうけど、健康に気をつけて、怪我をしないように』と、本当の親のように言葉をかけてもらったんです。私はあくまでも映画の中で、明るく元気で、夢に向かっていく韓国の青年を見せたいと思っていました」

日本語のセリフは難しかったのではありませんか?

「最初はイントネーションや、感情に合わせたセリフの表現方法がまったく分からなかったんです。もちろん1対1の芝居であれば、相手役の俳優さんと練習すればいいから何とかなるのですが、登場人物が5人も6人もいると、もう何が何だか(笑)。
 日本語の歌も覚えなければいけなかったので、時間があれば音楽を繰り返し聴き続けました。とにかく聴いたら、それを真似る。そのあとに共演者のマ−キーさんから指導を受けました。それから撮影が終わって、ホテルに帰った時は、とりあえずテレビをつけて、いつでも日本語が耳に入ってくる状態にして、日本語に慣れるようにしました。
 撮影が始まってから1ヶ月くらい経つと、だんだん聞き取れる単語も増えてきますし、リアクションもどんどん良くなっていったと思います」

映画では、名古屋、大阪、下北沢、池袋など、日本各地の色々な土地が出てきました。気に入った土地はありましたか?

「池袋が記憶に残ってますね。撮影の日はとても暑かったんですよ。ヤクザに追いかけられるシーンは一日中ずっと走りまわっていました。実は池袋は私の祖父が中学生か高校生の時に5〜6年住んでいたところなんです。そういう意味でも思い出深い撮影になりました」

イ・スヒョンさんの知り合いとお話になったとか?

「彼の友だちといろいろな話をしました。実は撮影に入る1週間くらい前に、イ・スヒョンさんが左利きだということを初めて聞いたんです。普段は右手も使っていたんですけど、食事の時は左手を使って食べていたらしいんですね。だから短期集中で左手を使う訓練をしました。だから映画の中の食事のシーンはみんな左手で食べているんです。皆さんお気づきになったでしょうか?」

弟さんは歌手だそうですね。

「名古屋に旅行に行く場面で流れているのは弟の曲なんです。実は弟に助けられたことがあって。撮影に入る前、スピッツの『チェリー』を練習しようと思ったんですよ。ただ著作権の問題等々があったらしく、なかなか日本から楽譜が届かなくて、練習ができなかったんです。そんな時、弟が曲のコード進行を調べてくれたんですよ。だからギターと歌に関しては、日本に来る前から、弟と一緒に練習することが出来ました」

では、好きな日本の映画はありますか?

「韓国で封切られた日本の映画なら、ほとんど観ているんじゃないでしょうか。その中でも好きなのは『誰も知らない』ですね。あと印象深かったのは『ジョゼと虎と魚たち』。それから『世界の中心で愛をさけぶ』。どれも静かな中に、何か訴えかけるものがありますよね」

もし、テソンさんがスヒョンさんの立場だったら同じことをしたと思いますか?

「私には無理だと思います。誰にでもできることであったら、このように後に映画化されることもないでしょうし、皆が感銘を受けることもなかっただろうと思います。スヒョンさんがなぜ、ああいう行動をとったのだろうか。もしスヒョンさんがふたりを残して、ひとりで逃げていたらどうなっただろうか。いろいろ考えてみましたが、結局それはスヒョンさんにしか分からないことなんですよね」

執筆者

壬生智裕

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