「芸術は人を変えることができる。私はそう信じる。」とフロリアン監督は語る。
舞台は、ベルリンの壁崩壊直前の東ベルリン。音楽も文壇も演技も、シュタージという人類史上最大の秘密組織によって操られており、個人の感性が花開く間もなく摘み取られるといったそんな時代がかつてあったのです。

毎日同じような日々を巡り、シュタージに勤務する男ヴィースラーが(ウルリッヒ・ミューエ)命令を受け監視することになった男女は、自由な思考をめぐらせ将来政府にとって、危険分子になりうる存在。しかし、ヴィースラーは彼らのカラフルな生活をのぞくことで、今まで感じたことのない甘美で夢に満ち溢れた世界に引き込まれ、彼の運命を変える“ソナタ”と出会うことになるのです。

もしあなたがこの時代に生きていたとしたら、信じられますか?
今まで友達だと思っていた人が、実は自分の動向を監視するためだけにそばにいたということを。映画の中の話だけではなく本当に東ドイツで起こっていたのです。この作品は本国でもすさまじい反響を呼び、シュタージによって傷を負った人々とこの現実を忘れようとしていた人との間にできた溝を今、埋めようとしています。

暗黒の歴史を振り返る勇気を、ドイツ国民に与えたフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督にインタビュー。







リサーチのために4年間の年月を費やしたとお聞きしています。同じようなテーマが扱われるかもしれないという焦りはありませんでしたか?
自分にとってパーソナルな作品にできればいいと思っていたので、似たような作品が出てくるかもしれないという心配はしませんでした。「自分に似たルックスの俳優さんがでてきたらどうしよう?」なんて、心配しないですよね?それと同じことだと思います(笑)。

監督がおっしゃる独特な視点とは?
どんなタイプの作品を扱うにしても脚本兼監督であるならば、パーソナルな視点にしておくべきだと考えます。すなわち自分なりのものの見方を用いるということです。人の感じ方はみなひとりひとり違います。それは事実においてもそうですし、人物に対して向けられるのならなおさらでしょう。ですから登場する人物に対して、自分自身のうちに目をむけてキャラクターを作り、自分だったらどうするか考えました。ただ悪だと判を押すことは避けました。できれば観客の方には、彼らにシンパシー(共感)を注いで見て欲しいですね。

ローラ賞の受賞おめでとうございます!
本国ドイツでたくさんの方々に見ていただけたポイントはどこだと思われますか?

ドイツの歴史の非常にダークな部分を描いた作品ですが、この時代を決して悪いと決定づけていないところがよかったんじゃないかと思います。あの時代におきたことを理解してもらって、今に生かしてもられば嬉しいです。「映画が皆さんにどう受け止められるか?」と不安に感じていた時、私に起きた素晴らしい話を紹介させて下さい。公開直後、実際にこの映画の時代のアーティストの方達から、「テレビ番組や新聞に自分達の生活がそのまま描き出されている!」と皆さんの美しい言葉で語っていただけたんです!それが、その時の自分の不安をかき消してくれました。 

まわりの恋人や親、知り合いが密告者でありえた時代が終わったからと言って、人に対する不信感というものはなくならないと思うんですが、旧東ドイツに生きていた人々は今どういった気持ちで日々過ごされているのでしょうか?
1回目のドイツにおける独裁主義が終わった45年には、アメリカや連合軍がドイツにいました。彼らはナチを敵対し、被害者のケアを十分にしてくれました。しかし、ベルリンの壁がなくなった89年は、被害者を助ける人がドイツにはいませんでした。
今のドイツにいる人々はこの事件・時代を忘れようとしています。話題にする時も必ずコメディとして話します。この時代を苦しんで生きた人々についてシリアスに描いた作品は、私の作品が初めてでしょう。
主演のミューエさんも、高校を卒業してからシュタージの厳しい管理下におかれました。ベルリンの壁の越境をみはる兵士という役目を負わされました。もし越境する者がいれば、「殺すように」と命令されました。「もし殺さなければ、お前は役者になれない」とまで言われたそうです。でも、彼は撃ってしまえば俳優になることはないだろう、と思ったそうです。「なぜなら人を殺してしまった自分を許すことなどできないから。」と話してくれました。彼が兵士をしている間は運良く、越境する者はおらず、演技の勉強が許され彼は勉学に励みました。しかし、シュタージ監視時の情報が公開されてから、劇団で親友だと思っていた4人は自分を見張るためだけに入団していたということがわかったそうです。そのうちの2人はいまだにコードネームしかわかっていないとのことです。
彼にとって1番最悪だったのは、6年間結婚していた奥さんがシュタージに秘密を流していたことです。機密文書は100ページにも及ぶものでした。また、自身も情報協力者であり、今は堕落した弁護士の方がミューエさんに対して訴訟を起こしました。「奥さんが情報提供者だっということが、偽造したものではないと証明できるのか」という訴えです。もちろん証拠はないですから、ミューエさんはこの映画のギャラでもらうよりも多くのお金をその人に払うことになってしまいました。この事件も現ドイツが旧ドイツで起こったことをどのように扱っているかがわかる良い例だと思います。「もしかしたらあれは悪夢なのかも?」と自分で自分をだまそうとしているんです。 

ナチス時代のゲシュタポと正反対の体制を採用することが起こりえたのでしょうか?
東ドイツの時代を生きた人々は精神的な傷を受けています。視覚的に目で見つけることはできませんが、お会いして、目と心が慣れていく中で、「この人は傷を負っているな」とわかるです。それが監督をする自分にとって重要でした。ゲシュタポでは、罪もないおばあさんの顔を心の咎も無く、乱暴に殴りつけることができる人が求められましたが、シュタージの場合はまったく反対のことが求められました。人を心理的に追いつめることのできる人が求められたんです。だいぶ違うタイプの暴力ですが、シュタージのほうが、心も体も想像を絶するダメージを受けたのではないか、と私は思います。 

ミューエさんが実際監視されていたことが出演のきっかけになったのですか?
キャスティングの時は知りませんでした。彼のような例は実際リサーチの中でよく聞く内容でした。その時代を満たしていたパラノイア(精神病)によってつくられたシュタージが、いかに上手に恐怖というものを使って監視体制をひいていたのか、そしてその監視下に置かれていたミューエさんの演技から醸し出される空気感は、間違いなく映画に作用していると思います。観客の方にも伝わっているといいです。

『善き人のためのソナタ』大変感動しました。監督が今までに感情を揺さぶられた曲があったら教えてください。
「私の場合は映画です!」と言えるようなドラマチックなことはありませんが(笑)、芸術は人を変えることができると思います。できれば私もそういった作品を作っていきたい。ただ楽しいだけでは、お金を払ってもらうのに見合わないと思うんですよ(笑)。娯楽性は重要ですが、観ていただいた方に長年残っていく作品作りをしていきたいです。

映画のタイトルにもなっているこの曲は、作品を観た後にガブリエル・ヤルド氏が作曲を?
彼には曲を撮影前に提供していただきました。私は彼に曲のイメージをこう伝えました。「ヒトラーと2分間だけ会う時間があるとする。言葉を交わすことは許されていない。けれども、自分が手がけた曲を彼に聴かせることはできる。その曲によって人類の運命をかえることが出来る。彼に変化をもたらすことができる曲を作って下さい。」と。
作中に登場する一節で、「レーニンがベートーベンの情熱のソナタを聴いてしまうと、革命を最期までやりおおせることができないと言った」という言葉があります。やはり芸術は人に影響を与えることができるんですよね。

07年お正月第2弾シネマライズ他にて全国順次ロードショー!

執筆者

林 奏子

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