本作は、今もシニアツアーで活躍中の古市忠夫氏を主人公とした平山譲のノンフィクション小説「ありがとう」が原作となっている。
古市さんは神戸市鷹取商店街でカメラ屋の店主をしていた時に被災し、友も、家も、財産をも失った。街の復興に奔走する一方で、自らプロゴルファーを志し、60歳の還暦を目前にしてプロテストに合格するという快挙を成し遂げた。

大切なのは感謝する気持ち、そして夢を持つことの素晴らしさ。
人々が支えあい、絆を深めながら困難を乗り越えていく姿にたくさんの人々が涙し、そして勇気を与えられている。

出演した赤井英和さんと田中好子さんはどのような思いで映画に望み、そして何を伝えたかったのか?
幅広い世代に是非見てほしいと語るお二人の熱い思いを話してもらいました。





——映画を拝見して、スタッフやキャストの愛や結束力を感じました。お二人はどのような思いで撮影に臨んだんでしょうか?
赤井英和:全てのエピソードがノンフィクションですので、かけ離れるのもどうかと思うんですけども、赤井秀和が感じる中での古市さんをやりました。古市さんに実際にお会いしていろんなお話を聞いて、古市さんの積極性、前向きなところ、明るさ、そういうところは出さないかんと思いました。実際の震災現場はもっともっと過酷やったはずですから、CGを使うんでもなし、本当の火を出して、その中での救出シーンなど危険なシーンもたくさんあったんですけど、スタント無しで全部やらせて頂きました。その辺の気持ちも含めて、事実に近づいたところでの撮影ができたなと思います。監督もプロデューサーも気持ちは一緒です。
田中好子:体験したことのない役をやらせて頂くわけですので、なりきることはできないんですけども近づくことはできるかと思い、そして被災された方々にお会いすると、普通に日常を送っていらっしゃる。震災の中で支えあって、助け合って、そんな絆の中からきっと普通の生活に戻られていると思いますので、苦しいとき、悲しい時は思いっきり苦しもう、悲しもうと思いました。でも夢を見つけたときは思いっきり前向きに明るく演じようと思いました。東京生まれの東京育ちなので、関西弁という言葉がとても難しくて、独特のテンポやリズム、間の取り方が大変でしたけれど、赤井さんに助けていただきました。
赤井:いやいや、とんでもございません!田中さんの持っていらっしゃる女優魂には素晴らしいものがございました。最初は方言の先生に教えてもらったり、テープを聞いて勉強されていらっしゃったりしたんですけれど、最後の方になったら、アドリブも関西弁だし、撮影が終わってもずっとそういう状況で、それが大女優たるゆえんかなと。

——御殿場に作った大掛かりな震災のオープンセットを目の前にしてどう感じましたか?また、実際の震災はいったいどういう形で知られたのでしょうか。
赤井:十年前は東京で仕事をしていましたから経験はしていません。鷹取商店街の現場も見ていないので知らなかったんですけど、現場にいらっしゃった古市さん夫妻が涙されるほどの神戸の街が再現された。最初にセットに入ったときはすごいなという印象でしたね。何もないところに商店街ができて、公園ができて、マンションができて、駐車場ができて、一軒づつリアルにクレーンで持ち上げて落として、燃やして、瓦礫の山を作って、シャベルカーで撤去したりすることを撮っていました。その後、試写会で何回も映画を見て、実際地震は知らないんですけど、擬似経験したような感じでした。
田中:震災の早朝に目が覚めて、地震が来ると一瞬思ったんですよ。うとうとしていてテレビをつけたら震災が起きたことをテレビが報道していて、これが実際に起きている映像なんだと思ったらすごく身震いしました。神戸出身の知り合いが巨大オープンセットを見に来てくれて、「これとおんなじだった。本当にこうだったのよ」と涙を流していて、あの中で、命を救われた人、命を失った人が大勢いて、本当にひどい目にあった人たちが一生懸命生きた。でも生きたけれどやはり衣食住の三つが揃っても、やはり自ら命を絶つ人がいたということを聞いた時に、一人じゃ生きていけないんだな、夢と希望に向っていかないと人間って言うのは本当に弱いんだな。やっぱり夢って必要なんだなと思いました。

——古市さんらしい役作りに対して気をつけたことは?
赤井:古市さんは非常に明るく前向きな方でいらっしゃいます。震災の話ですから涙が止まらないシーンもいっぱいあるんですけど、話していて本当に楽しい人なんですよ。なので、ちょっとした何気ない日常の笑い、ユーモアなシーンもやっていきました。田中さんと仮設住宅で掛け合い漫才みたいな感じで、神戸行ったらこんな夫婦がいてはるんやろなっていうのを何度も何度もテストして、田中さんはアクセントも発音もニュアンスも完璧にやってらっしゃいました。
田中:古市忠夫さんの奥様、千賀代さんはとても控えめなんですけど芯のしっかりした明るい方で、お会いした時、女性像が膨らんだんですね。夫に支えてもらいかったのが本音だと思うんですけど、“プロゴルファーを目指す夫を何で支えなければいけないんだ”という疑問を持ちながらも、家族の絆、家族愛もあって、とにかく夫を支えようと思いました。
赤井:田中さんは元々お優しいお方ですから、きついこと言っている中でも、どうしても優しさが出てくる。「スーちゃんが言ってるからええよ。」という気分になってしまう。千賀代さん役は田中さんしか考えられなかったと申し上げます。

——お二人の心に響いたセリフは?
田中:「苦しくなったら顔あげて、奥歯折れるまでかみしめて、笑うんやで。」これ大好きです。
赤井:「わしら生かしてもうとんうねん、誰かに生かさせてもうとんねん。生かさせてくれとお人に感謝せな。」というところが気持ちに響きます。

——本作品が初共演となりますが、お二人の印象は?
赤井:田中さんは長年の夫婦の歴史を感じるくらいのお芝居をしてくれますし、それには助かりました。田中さんの力やなというのはすごく感じます。
田中:私が『黒い雨』で賞をいただいた時と、赤井さんのデビュー作『どついたるねん』の新人賞の時にいつも授賞式でご一緒させていただいていて、その時の印象がすごく強くて、夫婦の役をやらせていただけることは、あの時を授賞式のことを思い出しまして、不思議な縁を感じました。

——この映画に関わったことでご自身の価値観の変化は?
赤井:心の持ち方であるとか、命の大切さであるとか、一番言いたいのは、感謝する気持ち「ありがとう」というのは相手の目を見て伝えんことにはないのと一緒ですよ。言葉には魂がありますから、今一日160回くらい嫁はんに言うてます。
田中:命の重さとか命の大切さとか、夢とか希望を持っていないと人間は弱いんだなと思いました。感謝の気持ちを言葉に表さないと伝わらないと思いますね。

執筆者

Miwako NIBE

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