北朝鮮による日本人拉致。1977年に横山めぐみさんが拉致され、いまだ解決の兆しを見せないこの事件は、もうすぐ30年という月日を迎えようとしている。
30年。それは途方もない時間。しかし、横山夫妻にとってその時間は、僕らが感じる以上に長く、極めて”永遠”に近い時間だったはずだ。
その30年に及ぶ拉致被害者の壮絶な闘い、果てしない苦悩を追った映画『めぐみ—引き裂かれた家族の30年』が11月25日、日本で公開される。監督はクリス・シェリダンとパティ・キムという共にジャーナリストとしての顔をもつ夫妻。
彼らはなぜ、あまりにデリケートなこの問題を”映画”という場所に連れてきたのか。
彼らは”映画”で何を語ろうとしたのか。
2人の監督夫妻のこの映画に対する姿勢、そして横田夫妻に対する想いに迫った。






—この映画を撮ると決めたときに、横田ご夫妻にお会いになったと思うのですが、どの様な反応だったんでしょうか?
クリス・シェリダン(以下:クリス)「実は我々が直接お会いしてお願いしたわけではなかったんです。もともと東京でお仕事をしたことがあった方にお願いして、連絡を取っていただきました。そのときに聞いた話によると、すぐに二つ返事で「是非やりましょう」という風におっしゃって頂いたんです。彼らも日本以外の国でこの物語が知られるべきだと思っています。なので外国のジャーナリストに対しては、とてもオープンでいらっしゃいました。」

—製作にジェーン・カンピオンが参加されていますが、彼女との出会いはどんなものだったんですか?
クリス「16年ほど前にパティがお会いしたことがあったんです。もともとジェーン・カンピオンさんの大ファンで、メールなどで連絡を取り合っていたんですね。今回の作品も作り始めた時に、こういう作品を作っていることをメールで送ったんです。そのときに、もしかしたらご興味をもたれるかもしれないと思い、少し撮影したフッテージをお送りしたんです。そうしたら、「とても出来が良く、ストーリーに胸を打たれた」と非常に気に入ってくださったので、それからどんどんフッテージを少しずつお送りしたんです。なので、縄をなげて首輪をかけるような、つかまえたという感じで、我々としてはエグゼクティブプロデューサーとして参加してもらったんです。でも彼女は本当に自分が信じている作品、あるいは自分が自分で企画した作品でないとなかなか参加なさらないので、正直イエスと言ってもらえたときは大変な驚きでした。」

—彼女が本作に参加されたことによって、どのようなことがもたらされましたか?
クリス「エグゼクティブ・プロデューサーとしてはものすごく秀逸な方で、作品的にもパーフェクトな相性だったという風に思っています。実は、もともとエグゼクティブ・プロデューサーにはジャーナリズムのバックグラウンドではなく、映画のバックグラウンドを持っている方にどうしてもお願いしたかったんです。そういう意味で、もちろん彼女は映画作りに対して非常に目が肥えていらっしゃいます。また我々も彼女のそういった映画作りのスタイルを非常に気に入っているんですね。必要な時は背中を押してくれる。そして必要な時は少し距離を置いて好きにやらせてくれる。私たちとしてはとても仕事をしやすいスタイルでした。そういった仕事ぶりで大きく関わっていただいたことを名誉に思っています。」

—なぜ映画のバック・グラウンドを持った方にお願いしたかったのですか?
クリス「今回の作品は決して報道的な、つまりニュース的、政治的、歴史的、あるいは調査的なドキュメンタリーにする気はありませんでした。その道のエキスパートをたくさん登場させてという気は最初からなかったんです。むしろ、フィルムのようなものにしたかった。というのは最初にこのストーリーを知った時に、非常にハリウッド映画的な要素を持っているなと感じたからなんです。明確なドラマとしての、物語としての流れ、構造があって、いわゆるフィクションの映画のように感じたんです。ですが皆さんもご存知のように、起きることは全て事実。なので、もし映画以外のバックグラウンドの方が参加なさっていたらば、例えば学術会で政治界でどういう風に見られるのかなと気にしながら仕事をすることになると思うんです。そういうものを我々も望んではいなかったですし、むしろ、本当に偉大な、素晴らしい両親の姿、子供を想う親の愛、そういったものを私たちは描きたかった。そしてその30年間いかにその愛が、サヴァイヴしてくることができたかということを描きたかったのです。」

—このデリケートな問題を扱う上で、どのような部分に気を使いましたか?
クリス「日本人の方にこのようなことを言うと、奇妙に思われるかもしれないのですが、この物語が本当に美しいストーリーだと思うんです。それは、やはり彼らの心だったり、愛の物語ということです。だから今回は、その美しさを反映するために例えば日本の風景を入れたりとかいうこともしているんです。」

パティ・キム(以下:パティ)「この事件がデリケートだということはわかっていましたが、それに影響を受けないように私たちは作っていたんです。だから直接的なお答えとしては、そういうデリケートな問題だからこそ、何かぶつかった障害というのはありませんでした。製作しているときに誰かの思いに沿うような作品を作らなければというプレッシャーも一切感じませんでした。本当につくりたいように作ったんです。もちろん日本で政治的にセンシティブなデリケートな問題だということはわかっています。しかし、クリスが言ったように、この物語の美しい部分を描きたかったのです。」

—拉致のことを知っていても改めて30年という途方のない長さを感じる映画でした。横田夫妻を30年支えているものは監督夫妻としては何だと思いますか?
クリス「その理由の1つは映画の中で描かれていると思うんです。横田さんがキリスト教について語るシーン。それはキリスト教を信じるようになったから、また信仰が支えているわけではないと思うんです。むしろ、彼女がこの状況をどう見ているか、ということだと思うんですね。あのシーンでは聖書のヨブ記の話をしていましたが、“神が人から何かを取ってしまったときには大変な悲劇である。でもその悲しみをどうするのか、どう相対していくのかということが大切なんだ”というようなことをおっしゃっていますよね。これは、我々がどういう風に生きるべきかという意味で、全員にとってのレッスンではないかと思います。それに、その彼女の物の見方に加えて、単純に横田夫妻お二人がとてつもなくすばらしい方々だということがもうひとつの理由だと思います。お二人はとてもアンユージュアル、特別な方々だと思います。」

パティ「特別な方々だと私も思います。この悲劇を、誇りと美しい尊厳をもって生きていらして。それを我々は見ただけですが、彼女たちの姿を見て思うのは、様々な苦悩とか負に決して心を食い尽くされなかった。おそらく食い尽くされないように心がけたんだと思うんですね。だから彼らの心にはいまだに愛と希望が宿っているんです。つまりこの悲劇に向かっていくのに、これを何かポジティブな形で相対していこうと決めたんです。ポジティブっていうのは変に聞こえてしまうかもしれないけれどそういうことだと思うんですね。その悲劇に巻き込まれたときにそれにどう向かっていくのかっていうことが大切なことです。本当にすごいのは、彼らはまったく見も知らない他人に非常に思いやりを喚起させています。インスピレーションを与えています。彼らの物語を聞いた街の人々、あるいはニュースを通して聞いた人々に自分たちの愛と献身をとおして、ものすごくインスピレーションを与えているんですね。

—本来普通の映画だったら、公開されると作り手、監督の手から離れていくわけですけど、この映画の場合は公開された後も横田夫妻の活動、闘いは続いていきます。監督夫妻としてはこの映画が公開された後、どのようにこの事件と関わっていこうと考えていますか?
パティ「ずっとこの映画を作っているときにクリスとよく話をしていたんです。彼らのことを理解しようと思う、話し合う中で、私たちはいつだって歩き去ろうと思えば歩き去ることはできる。でも横田夫妻にそれはできない。だってこれはもう拉致事件という自分たちの娘の話、自分たちの人生になっているからですよね。我々がもしこの映画が世界中の人に見てもらえて、次のプロジェクトに取り掛かったとしても、この拉致問題の物語というのはいつまでも我々の中ではコネクト、何か通じる部分を持ち続けると確信しています。というのはこれは決して与えられた仕事ではなかったし、ただのひとつのプロジェクトではまったくなかった。自分たちが情熱を感じたからこそやりたいと決めて作った映画です。だからこの問題自体が我々の人生の一部なんです。永遠に。だから拉致問題にはいつまでも関心を持ち続けると思います。だって、我々にとってとても意味のある問題ですから。」

執筆者

林田健二

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