最新作『夜のピクニック』に参加したエキストラの女の子の一人がこう言っていたという。「監督の『ココニイルコト』を観て、自殺を思いとどまった。」
そう、彼の映画は広く人に受け入れられ、人の生きる糧になってきた。今や彼の新作は多くの日本人に、その公開を待たれる存在なのだ。『卒業』も『ソウル』も『13階段』も。しかし彼はそれらの劇場映画を撮る一方で、インターネット配信短編映画『short cakes』を撮った。ほとんど採算性のないであろうインターネットを使ったのだ。そこには、外からでははかりしれないほどの”いち映画監督”としてのしがらみと、”映画監督・長澤雅彦”であるための探求があった。
9月22日にDVD発売された相武紗季主演『short cakes』を”映画監督・長澤雅彦”が語った。







—この作品はインターネット配信の短編映画ですが、この作品をつくったいきさつはどんなものだったんですか?
それまで『ココニイルコト』(01年)でデビューして、『ソウル』(02年)、『卒業』(03年)、『13階段』(03年)と劇場映画を3年間で4本というペースでやりまして。まぁ恵まれていると言えば恵まれているんですけど、なんかこういうのは恵まれてはいるけど、仕事を依頼されてやっているわけですよね。そういうことをやっていると、どうかなっていう思いがあって。自分が本当にやりたくてやっているものとちょっと違うことをやるということは、もちろんその面白さもあるんだけど、そういうことをやってることがどうなんだろうって思っていたんですよ。『13階段』が終わった後、しばらくちょっと劇場映画の長編は、休もうではないけど、いきなりにわかにやろうっていう気が起きなかったんです。それでCMやったりとかする中で、誰にも何も制約、許可のいらないものがつくりたいって単純にそう思ったんです。映画って結構好きなことやりやがってって大体映像やっている人間からは思われるんですけど、全然そうじゃない部分のほうが大きくてですね。そりゃ、CMほど不自由ではないんですけど、でも好きでやってるんだろって言われながら本当に好きでやっているのかっていう思いがあって。ちょっと自分自身何なんだろうかって。で、一般にウケるとかお客さんが入るとかそういうことを映画ではやらなければいけないわけですけど、そうじゃない、純粋にまったくわけわかんないものを作ってみようというのが、そもそもの始まりだったんです。

—その監督自身の欲求にたいして周りの方はどんな反応だったんですか?
うちの事務所の社長が絶対にやったほうがいいって言ってくれたんですよ。で同時に言われたのが、「そういうときはわけわかるものは絶対にやっちゃ駄目だ」と。それで、事務所でお金持つから、自主映画として作れということになって。それはすごいありがたかったんで、じゃあやりますとなったんです。で、最初何本かストーリー書いたんですけど、やっぱり劇場映画とか商業映画のなんとなく勢いとかノリが抜けなくて、なんかわけわかる話というかストーリーがわかりやすい話になっていったんですね。そういうのを全部、その社長から否定されたり、自分自身もこれじゃ駄目だと。逆の否定ですよね。わけわかるから駄目だっていう否定。もっと変にしなきゃ駄目だ、わけわかんなくしなきゃ駄目だとか、やらないことをやらなきゃ駄目だというのがあって。自分自身もそうだったし。それで始めたんですね。もう本当にね、純粋に自主映画。大学生の頃に8mmで撮っていたようなことをやってみようっていうそういう思いだったんですよ。ただ、そこにスタッフみんな知り合いに頼んでプロでやったら、結構面白いんじゃないかなって思いまして。本当になんか、うん、商業映画じゃ絶対やらせてもらえないことやろうと、思ったんですね。

—そうすると、監督のインターネット配信の短編映画っていうのは、デビュー前の『好き』とこの『short cakes』と『ハヴァ、ナイスデー』と『ピクニックの準備』がありますけど、インターネットの方法論っていうのは、監督にとっては好きなものをやるっていうことなんですか?
そうですね。『好き』をやった頃は、ISDNで、30分ストリーミングするっていうのは今考えると恐ろしいんですけど(笑)、よくあんなことやってたなと思いますけど。もう、止まりまくりが当たり前なはずなのにやってて(笑)。まああれもある種DVDを出す前提がかなりあったとは思うんですけど、そこから日進月歩でいまや本当にブログ全盛ですよね。個人の。誰が読むんだろうっていうものを、まあミクシィだったらまだコミュニティがあるんですけど、そうじゃない自分自身のホームページでブログ書いている人いっぱいいますよね。子育て日記とか。まあそこには新たなコミュニティができたりしてますけど。でも絶対誰かに向けてるわけじゃ・・・向けてるんだけど、誰が観るんだろう、見るわけないよねっていうことを世の中のみんなが今やってて。それって不思議だなって思ってたんですけど。だからブログの感覚っていうところがあるんですよ、どっかね。・・・つまり個人的なメディアだと思うんですよ。世界中どっからでもアクセスできるんだけど、実はすごく個人的なメディアで、今まで映画館とかテレビ局とかじゃないと流せなかったものが、いくらでも流せるっていう風にはなったんじゃないですかね、個人で。まあそういう意味ではこれからはどんどんそういう時代になっていくだろうし。子供の運動会とかガンガン映像をね(笑)。誰が観るのかっていう話ですけど(笑)アップされていくんだろうし。だから短編やるといつもインターネットっていうのは、いつもそういう風な流れにくるんですけど。でもこれはもう本当にそういう風になっていくんだろうなって気はしてますよね。

—やりたいことをやるっていうことで『未来世紀ブラジル』がでてきますけど、それはやっぱり大好きな映画なんですか?
そうですね、すっごい好きですね。テリー・ギリアムとか。

—夢に逃避することでしか生きがいを見出せない人間が描かれている『未来世紀ブラジル』を出したっていうのは意図とかがあったんですか?
うーん、そんなに重ね合わせようと思ったわけじゃないんですけどね。うん。単に好きな映画だったし。まあ『BとD』(第4話)のところで例の・・・パクリをやってんですけど(笑)。・・・オマージュなんて言っちゃいけないですよね(笑)。真似って言えばいいんですよ(笑)、みんな模倣から始まるんですから。

—まあ、でも真似とはちょっとなんか今回違いますよね(笑)
まあちょっと違うんですけどね(笑)

—結構直に出しているというか(笑)
そう、ちょっとアレンジはしてます(笑)。

—やりたいことをやるという上でもう一つ、女の人を描いたっていうのがとても興味深かったんですけど。
あのー、やっぱりやりたいことをやるっていうので、等身大的な40くらいのおっさんを主人公にしても(笑)、これはやっぱり表現にならないと思うんですよ。僕は割りと女の人を主人公にすることが多いんですけど、その方がやりやすいんですよ。明らかに。気持ちがわかるとは決して言わないですけど、わからないからいいんですよ。つまり客観的になれるし、媒体ですよね完全に。メディアなんですよ。例えば、戦争とか行った人がみんな戦争について語ったらすごいかって言ったら、そうじゃないと思うんですよね。渦の中にいるとあんまり表現っていうのは成り立たないんですよね。一歩離れるところから表現って始まるから。自分のやりたいことっていうのを要は投影させるわけですよね。表現って投影だと思うんですよ。映写するようなものだから。全然自分と違う、相武紗季みたいなきれいな女の子のほうが、ある種、楽に投影できるんですね。表現のツールとして使えるんですよ。

—そのメディアに相武紗季さんをキャスティングしたというのは?
いやーもうね、偶然というか。いろんな人に会ってたんですよ。自主映画なもんですから、ほとんどギャラなんか払いませんっていうのがありまして。普通オーディションと称して大体一同に集めて、30分間隔でどんどんどんどん会っていくんですけど、基本的に、会いに行きますっていうキャスティングを(笑)。必ず事務所にお伺いして、会いに行くっていう。キャスティングの人がお薦めの人とかがいたらっていう方式をずっととっていたんですよ。で結構行ったんですけど、なかなかしっくりこないなぁって思っていて。そんな中で一回だけ5人くらい集めてやろうということになって。その中の一人が相武紗季だったんですよ。いやー、もう完全にね、入ってきたときから輝いてたんですよね。もう、本当、すっ、すげぇーって思って。ほんとに話して5分くらいで、スケジュール空いてますかって話をしちゃって(笑)。普通オーディションってプロデューサーに相談したりとかしなきゃいけないんですけど、自主映画なもんですから、即断即決できちゃうんですよね。それで、もうその場で決めてましたね。ほんと、偶然ですよ。

—すると相武紗季さんが監督の求めていたキャラクターにぴったりときたということですか?
それが実は思っていたキャラクターとはちょっと違ってたんですよ。もっと、ふわーんとした、ほよーんとした女の子を探していたんですね。やわらかい感じの。相武紗季ってどっちかって言うと力強いというか。

—そうですね。体育会系っぽいさわやかさをもってる方ですよね。
うん、強さがあってキラキラしてる部分があると思ってて。だからちょっとイメージとは違ったんですけど。でも今この子を使わないと、きっと後悔するだろうなって思いがあって。後悔っていうとなんですけど、せっかく会ったのにと思って。で、彼女で行こうと。

—ふわーんとした子を探していたっておっしゃいましたけど、監督の作品ってふわーんとした感じというか、青春映画でもそんな感じのものが多いですよね。
うーん、どうですかねぇ。単に演出がゆるいっていう(笑)

—(笑)なんかこう、監督の作品は青春映画でも特有の汗臭さがないというか。監督の青春映画は心地良いんですよね。
あー、嫌いなんですよ、汗臭いの(笑)。自分が汗臭い青春を送れなかったっていうのもあるんですけど、なんかねぇ、苦手なんですよね。

—なるほど。作品の中で、『浦島太郎』が頻繁にでていますよね。
あー、はいはい。

—オマージュというか(笑)。
いや、オマージュじゃないですよ(笑)

—それがこの作品の基にあったりするんですか?
全然たまたまなんですよね。いや、記憶とかそういうことがテーマになったりしてて、あと時空間とか移動したりする意味では、浦島太郎ってあうんでしょうけどね。なんかよく覚えていない(笑)っていうくらい。脚本をいつもコンビの三沢さんとやっているんですけど、わけわからないことをやろうっていうくらい打ち合わせがわけわからなくなることはなくてですね。「わけわからないってどういうことですか、いや、わけわからないからわけわからないんだよ」っていう話をずっとしてて(笑)。とにかく『サービス』(第2話)みたいな話が最初あったかな。スマイル0円みたいな。スマイル0円ってわけわかんないよねみたいな。だから雑談している中できっとでてきたんですよね。

—なんか浦島太郎のエピソードが、こんなに現代の若い人にフィットするっていうのがすごい驚きだったんですけど。
そうですかね。

—相武紗季さん演じるナナみたいな若い人の心情をうまくとらえているなと。『リセット』(第3話)での玉手箱とか、『ヘルメット』(第6話)での記憶の喪失願望みたいなことって特に現代の若い人にぴたりと当てはまるような感じがあって。監督の現代の女性のイメージってどんなものなんですか?
まぁそんなに難しいことは考えていないんですけど(笑)、ただ男も女もないなと思っているんですよ。だから最近特に若い子、10代の子達とかと一緒にお仕事してて、つくづくそう思いますね。割と関係ないなと思ってて。むしろ男の子のほうが中性的になっている気がしますけどね。女っぽいというか。映像とか撮ってても男の子の方がきれいですね。色気がありますよ。

—色気ですか?
色気っていうのは男も女も関係ないと思っているんですけど、いい意味での色気。人を惹きつけるような色気っていうのは今は男の子の方が持っている気がして。だから映像撮ってても男のほうが色気があるというか綺麗な奴が多いですね。それは感じます。だから女の子を主人公にしていても、女の子を描こうとは全然思っていないっていうのがすごいありますね。

—『ココニイルコト』に主演している真中瞳さんが、『手紙』(第8話)で出演されていますけど、『ココニイルコト』のときにまたお仕事をしたいと?
はい、思ってました。最新作の『夜のピクニック』で多部未華子を前作の『青空のゆくえ』と2回続けて使うっていうことは僕の中では特別で、本来はそれは避けてるんですよ。やっぱり1本の映画には1つの世界があって、俳優っていうよりはその世界の住人になってもらうつもりでいつも演出してて作ってるんですよ。だからそれを壊す気がしちゃうんですよね。2本続けて使うことで。だからずっとそれを避けてきたんですけど。だから真中さんとはいつかまた仕事をしたいなと思いつつ、『ココニイルコト』みたいなことを忘れる、”違う段階の自分”になったらやりたいなってずっと思ってて。それで、真中さんも舞台とかすごいいっぱいやってて、すごい努力して、自分なりのお芝居の磨き方をしていて。僕も他の映画を何本か撮ってきて。それで4年ぶりくらいにやるっていうのはすごく嬉しかったですね。

—住人になってもらうって話がでましたけど、監督の作品の特徴の一つが、脇役の人たちの魅力だと思うんですよ。
うん、基本的には自分が脚本も書く人間だから主役とか脇役ってないんですよね。必要だから書くんであって、不必要なのに出すということはないから。だから自分の中では分け隔てないんですよ、本当に。で、主役っていうのはどっちかっていうとスタッフよりっていうか。物語を貫き通していくために必要な存在だからかなりスタッフに近いんですよね。でも、脇というかそこらへんの人たちは、大事にしますよね、すごく。

—『夜のピクニック』の登場人物10人の歩行祭前日の姿を描いた『ピクニックの準備』もインターネット配信で撮られてますけど、あれとかってすごい監督のそういう部分が象徴されている作品ですよね。
そうですね。いくらでも物語作れるよって感じなんですよね。

—毎回あれくらいに突き詰めて考えるんですか。
そうですね。具体的にはしないんですけど、あれくらいは軽く書けますよね。それができないとやっぱり駄目だと思うんですよ。

—『夜のピクニック』なんかすごい多いですよね。
多いですねぇ。結局主役2人が喋らない映画なんで(笑)、周りが喋ってくれないと話が進んでいかないって言うか(笑)。成立しない部分があるんであれは特別なんですけどね。

—柄本君(ロック好きの高見を演じた俳優)がロックを全く知らなかったっていうのを聞きましたけど。
えー、大変でした。エアギター選手権二人で出ようかっていうくらい、エアギターの練習しましたね(笑)

—(笑)。今回の脇役の方たちでは澤田育子さん、アーサー・ホーランドさん、千綿ヒデノリさんの3人をキャスティングしたって言うのはなぜですか?澤田さん以外は俳優の方ではないですよね?
そうですね。おそらく普通映画では絶対キャスティングさせてもらえないだろうなっていう顔ぶれですね。誰か一人だけいれることはできると思いますよ。でもこういう人ばっかり集めるってわけにはなかなかいかないだろうなって思ったんで、最初からその辺は狙ってたんですよね。そういう人でいきたいなって思って。演劇のほうで面白い人誰か、それからミュージシャンを一人出したかった。で、マスターっていうのは変わった人だから素人でもいいけど、なんか個性がある人で俳優じゃなくていいから誰か出したかったんですよ。

—マスターなんか特に細かく描かれているわけじゃないのに、すごい魅力的ですよね。
そうですね。最初ね、ミュージシャンラインでクレイジーケンバンドの横山剣さんにオファーしたんですよね。でもスケジュールが全然駄目で。ああいう風にあんまり普通映画しない人たちをだしたかったんですよね。それでミュージシャンからは千綿君をだして。じゃあ、マスター誰かいないかなみたいな。

—なぜミュージシャンにこだわったんですか?
ミュージシャンって、僕すごい好きなんですよね。俳優としてすごくいいなぁって思ってて。俳優にとって声ってやっぱりすごく大事なんですよ。声が人に届くわけじゃないですか、ミュージシャンっていうのは。声で商売してるわけですから。そういう意味ではとても俳優向けな人たちだし、演技ってことを知らない。たぶん考えたこともたぶんないだろうし、そういう人のほうが、中途半端に俳優やって、役者論とか酒飲んで戦わせているような役者を僕は絶対使いたくないんですけど、そういうのと全然違うから。僕なんかでいいんですか、俳優なんかできませんよって言ってて、でも面白そうだからって参加してくれればいいやってくらいで。なんというか、何もやろうとしないっていうところがいいなぁと。だけど、すごく表現力とかもっているわけじゃないですか。声とかね。常に観られたりしているし。だからミュージシャンってすごくいいなっていつも思うんですよ。大体いつもね、ミュージシャンって必ず僕名前出しますね。出てくれる出てくれない別にして。

—やっぱりそこにはこの映画が監督のやりたいことっていうことに繋がってくるんですね。でもそう考えるとこれまでの作品の中でも『ソウル』だとか『13階段』って結構異色のものですよね?
『ソウル』とか『13階段』って言うのをなぜやったかってことなんですけど、技術って必要なんですよね、表現には。やっぱり数をやらないと。で、やっぱりお金もある程度使ったりとかしていかないと、映画って表現の技術が上がっていかないんですよ。でも、いかにもこの『short cakes』のようなフリーハンドで好きなようにやるってことも大事で。両方持ってないといけなくて。で、その先に何があるかって言うと、技術がないと描けないことっていうのがやっぱりあるんですよ。たぶんそれは暴力とか、本当の愛とか、人間の根源的なものに触れると思うんですけど。で、暴力っていうのは殴るとか蹴るといったプリミティブな暴力ではなくって、例えば『シンドラーのリスト』とか僕は最も好きな映画なんですけど、ああいうのってユダヤ人に生まれてきたっていうだけでああいうことになってしまって。まぁ虐殺っていう実際の暴力はありますけど、差別とか自分が何か悪いことしたわけじゃないのにそういうことに陥ることってよくありますよね。道歩いてて通り魔に殺されちゃったりとか、酒酔い運転の車に引かれて死んじゃったりとか。そういうのに対して今度は、もっと言えば、加害者ばっかり保護しちゃってね、被害者って守られないですよね。マスコミにさらされるだけで。加害者は守られてて。人権の名の下に。ああいうのって暴力だと思うんですよね。ものすごい暴力。まあ、そういうようなこととか、あと恋愛とかに関しても安易なものじゃなくて、まぁ恋愛っていうのは実は安易なものなんですけど。でもみんなに必要なもので、すごく大事なもので深いものって、やっぱり描くのには技術が必要だと思ってて。そのために少しずつ技術をつけている感じがあってですね。だからそういう違うことを実はやりたいんですよね。

—それは近い内にですか?
はい、近い内に。撮りたいなとは思いますけど。

—今のところイメージとかはあるんですか?
うーん、まだぼんやりとかしかないですね。原作の力は借りたくないなとは思っているんで、形になるにはまだ先かなとは思うんですけどね。

—そういった社会的暴力の中に人種差別だとかっていうカテゴリーがありますけど、そういったカテゴリーは決まっているんですか?
いや、そういうカテゴリーでもないんですけどね。たぶん歴史とか。歴史モノをやりたいなとは思いますけどね。なんかああいうのって運命とか言ってしまえばそれまでだけど、そういう流れの中に巻き込まれていっちゃう人って、すごいなんか切ないなと思ってて。そういうのが集まって歴史ってできてると思うんですけど。だから時代劇というかね、歴史モノをやってみたいですよね。そんなことは思ってはいるんですけど、実行していくには力がつかないとできないなってすごい思うんですよね。だからそういうためにこの『short cakes』みたいなことをやっているって感じなんですよ。わけわからなくて、商売にもならないんですけど(笑)。

—でもだいぶ売れ行きはいいみたいですよ。
そうなんですか?この前買いにいったらなかったんですよ。店員の人に「もしかして置いてないんですか?」って(笑)。売り切れちゃってたみたいなんですけどね。それはやっぱり嬉しいですね(笑)

—今日お話を聞いてて、ある監督が映画監督であるために夢の部分と、自分の身を売る娼婦の部分を持ち合わせていないといけないと言っていたことをふと思い出したんですが。
うん、ほんとそうですよね。自分のやりたいことをずっとやっていこうとしても、生活のことだって当然あるわけですよね。で、ディレクターって結局プロデューサーがいないと映画つくれないんですよ。あとお呼びがかかんないとって意味ではほんと娼婦に近いでしょうね。うん、声かかんないと。俳優と一緒ですよ。生きながらにしてリストラされていく職業で。俳優が辛いのは自分たちで何かしようと思ってもできないっていう辛さはあるんでしょうけど、監督に関してはね自分のやりたいことを追求していくっていうことは一方ではできるんですよね。ただ、たぶん両方持ってないと。娼婦って言うと娼婦を貶めることになってあまり使いたくないけど、単に存在として言えば、そうなっちゃうし。お声がかからないと何者でもないんですよ。自分がやっぱりやりたいっていうこととか、実験でもないけれども、そういうことをしたらウケるんだろうかウケないんだろうかっていう前に、まあやってみるっていうのが一番のこの『short cakes』の趣旨だったんですけど。こういうことを持っていないと。これが人にウケるんだろうかウケないんだろうかって考えてくとキリがなくなってくるんですよ、やっぱりね。そういう意味で言えば、これは全然ウケなくていいと思ってるんですよ。むしろ不快になる人間すらいてもいいって。まぁ、でも相武紗季だしときゃ不快にはならないだろうみたいなのはありますけどね(笑)。

執筆者

林田健二

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