暗い森の中にある屋敷で色とりどりのリボンを身につけ、生活する少女達。少女達は棺に入れられ、ひっそりとその地にやってくる。その世界には光と影のように、美しさと不安感が共存している。脆くて美しい子供たちがその目で見る世界は、一体どんな世界なのか?そして少女達は何のためにここに来て、どこへ行くのだろうか・・・?

観る者を引き込む見事な映像と、お伽噺のようなストーリーは不思議な感情を呼び起こし、まるで別の世界へと導かれるような感覚を覚えさせる。少女達の純粋な美しさと、不意に見せる表情をここまで映像化できる監督はそういないだろう。奇跡のような瞬間を捉えたルシール・アザリロヴィック監督にインタビュー。





—— とても繊細な映画でした。子供の純粋さに潜む陰のようなものを感じましたが、意識されて撮られたんですか?
「よく意図を聞かれるのですが、この映画は本当に感覚的なものなので人それぞれが感じたものでいいと思います。観客の数だけ解釈があると思っていただきたいんです。もちろん何かしら意図したことや監督としての方向性、観客に喚起してもらいたい感情を意識して撮っている部分はありますが、最終的には解釈はオープンにしておきたいと思いながら撮りました。この映画では大人と子供の関係のような非常に普遍的な関係を描いていて、それは各人が自分自身を投影できる部分だと思うんですが、まさにその部分が私がヴェデキントの原作を読んだ時におもしろいと感じた部分なんです。読者のそれぞれの解釈ができるような仕立てになってたんですね。それがまさにこの映画のテーマなので、監督としての意図は最小限にしてオープンな映画にしました。今の主流の映画は理解してほしいことをしつこく何度も言ったりしますが、私は映画や絵画というものは観る人の解釈に任せる方が好きなので、そういうふうに作りました。この映画は各観客がオリジナルストーリーを作り出せるような仕立てになっていると同時に、自分を映すことのできる鏡のようなものになっていると思っています。まさにヴェデキントの小説を読んだ時の私のアプローチの仕方を想定していました。もしかするとそれはヴェデキントの意図とは違うかもしれませんが、私は自分で自由な解釈をしたんです。」

—— ヴェデキントの原作は19世紀末のものですが、この作品を映画化するにあたって普遍的な部分を描く時に気をつけられたことは?
「小説の中にはもちろん19世紀的なモチーフも見られますが、全体的な印象としては私にはとても現代的に思えたんです。例えば原作の中に出てくる学校は非常にユートピア的な雰囲気を持っています。19世紀末当時の学校というのは特に女子教育というものは厳格なものでしたが、ヴェデキントの小説には全く反対のユートピア的な学校が描かれていると思いました。私が生まれた60年代というのは割とユートピア的な教育が始まった年でもありますし、あの時代の中で育った私としてはそういうところでとても小説の世界がモダンなものに感じたんです。このユートピア的な学校のおもしろいところは、自由であっても制限があってどこか重苦しく、不安な雰囲気があるところだと思ったので映像にしました。でも言ってみれば少女達が自由に、オープンな雰囲気で心地よく幸せに暮らしているというところが60年代の雰囲気に似ているとも思いました。自分のバックグラウンドとして60年代風のテイストも入っていますが、19世紀の物語をそのままの時代の映画にしたくはなかったので、時代がわからないように撮っています。ただここで展開されているテーマはいつの時代も変わりません。女の子は美しく、かわいく男の人に選ばれるように教育システムの中で養成されるというテーマは小説の中にあって、今も生き続けているテーマでもあります。」

—— ユートピア的というのは、どういう風にイメージされているのでしょうか?
「『制服の処女』という作品がありますが、ヴェデキントの小説の学校というのはまさにこの作品の学校と正反対のものなんです。『制服の処女』では制服も暗い色で、生徒達は牢獄のように閉じ込められていて、先生達も厳格で。ある意味軍隊のように女の子達を締め付けている学校が19世紀の学校の現実でした。それに反して私が”ユートピア”という言葉を使ったのは、ヴェデキントの描いた学校では制服も白という明るい色で、少女達はダンスで養成されていて、とても学校の枠内で自然に親しみながら自由に暮らしているというところが、当時からすればとてもユートピア的な世界だったからです。もちろん今の学校教育の現実から考えると、あまりユートピアという言葉はふさわしくないかもしれませんが。別の言葉で言い換えたなら、”パラダイスであり、牢獄である”と言えるかもしれませんね。そしてユートピア的な世界であっても、不安や恐怖や抑圧からは切り離して考えることはできないんです。全ての教育が抑圧と関係していると思いますし、成長という未知な世界に対して恐怖を覚えるのはどんな環境にいる子供でも共通していることだと思いました。」

—— オーディションで少女達を選ぶ際の条件は何だったのですか?
「映画の中でもダンスのシーンがあるので、ダンスの経験者であることが基準でした。フレッシュで思いもよらないような演技ができる子を選びたかったので、演技の経験は問わなかったんです。そういう子達を見つけるためにダンス学校に見に行き、本格的なオーディションやカメラテストはせずに、ダンスをしているところを見て、気に入った子と話をしてみて決めました。直感的に彼女達のパーソナリティを見ながら選んでいったんです。バレリーナの役ではないので上手くなくてもよかったんですが、身体的には優雅な動きができることが大事だったんですね。あとは、少女達がグループで出てくるので、単一にならないようにバラバラの個性を選んで少女達の小宇宙が構成されるようにしました。」

—— あの年頃の少女達の撮影は苦労されたんじゃないでしょうか。エピソードがあれば教えてください。
「ご想像の通り、一番苦労したのは一番小さな年少組の子供達でした(笑)。5人いるんですがとにかく集中力がなく、すぐに疲れてしまうんです。そして撮影が何なのか理解できず、現実と撮影が頭の中でごちゃごちゃになってるんですね。だから気まぐれなことを始めたり、ふざけたりする子がいました。後は脇役の子が主役級の子にやきもちを焼いたりとか、様々なことをやってくれました。それに比べるとビアンカの年代はもっと成長しているので言うことをきいてくれるんですが、年長組の子達は自意識が出てきてしまうので、カメラの前で緊張したりしてしまうので難しかったです。ビアンカの役の子は演技的にちょっと固くて冷たい印象を与えるので仕上がりが心配でしたが、最終的にそれはまるで学校がビアンカをそういう風にしてしまったかのように映っているので良かったと思います。」

—— 同じ女性として、少女達のどこに美を感じますか?
「それぞれの個性が彼女達の美しさを形成しているんだと思います。特に年少組の子供達は自分の存在というものに無意識で、自意識がないのですごくナチュラルなところが素晴らしいですね。」

#—— 他国と日本の観客の印象の違いはありますか?
「例えばイギリス人はこの映画をとてもよく理解してくれます。架空の世界やゴシック的なテイストにすごく親しみがあるし、イギリスには全寮制の学校も多いので、バックグラウンドを理解してくれるんですね。これがアメリカになると、「女性であることは男性であるということは何なんだろう?果たして女性と男性は別々にして教育した方がいいのだろうか?」という話題になってしまうんです。そして日本の方は、一番普通にこの映画を受け止めてくれていると思います。フランスでは奇妙な映画でビックリしたというようなコメントをもらいましたが、日本の方は自然に受け止めてくれて、自然に感想を言ってくれるので嬉しいです。あとは各国の年齢制限がリアクションに反映されていて興味深かったです。フランスでは制限はありませんでしたが、例えばイギリスでは随分厳しく、15歳以下禁止で驚きました。」

—— 昨年のゆうばり国際映画祭で受賞されていましたね。去年が最後となってしまったのですが、何かコメントをお願いします。
「中断の話を聞いて、本当に悲しく思っております。次回作を持っていきたいと思っていたほどお気に入りの映画祭でした。すごく皆さんのもてなしが温かく、来る人は本当に映画を愛しているという雰囲気がありましたし、独特の雰囲気がありました。それにゆうばりという土地が本当に綺麗で。最初に日本の土地として知ったのがゆうばりだったので、本当に残念です。」

—— 少女を扱っている作品が多いですよね。あの年頃に特別な思いがあるのでしょうか?
「少女時代に対してのノスタルジーを感じてテーマに取り上げているわけではありません。子供の目を通して見ると、全てのセンセーションだとかエモーションが増幅されるんですね。私は映画においてそれらを描きたいと思っているのですが、子供というのは世界を知らないだけに、物事に接した時にセンセーションやエモーションを強く感じるものなんです。自分なりの解釈や想像をそこに持ち込む。世界に対するアプローチがポエティックですよね。」

—— 年を重ねるにつれて子供時代に対する思いは変わりましたか?
「人生全般に対する視点というものは年代とともに変わっていくと思います。例えば『ミミ』と『エコール』を比べると自分自身が大人になったと感じます。『ミミ』は嫌悪感や恐怖といったネガティブな感情を元に作りましたが、『エコール』ではより複雑で豊かな世界になっています。もっと軽い雰囲気の歓びや光といったものをミックスした世界を作ることができたと思います。それに男性の捉え方も違いますね。『ミミ』で出てくる男性キャラクターはすごく怖い存在ですが、『エコール』では最後に出逢う少年は自分から出逢いたいと思って出逢う存在になってます。」

—— 映画の世界観を伝える上で森は重要な場所だったと思いますが、どういう条件で選ばれたんですか?
「基準にしたのは”どこなのかわからない場所”でした。見ればヨーロッパであることはわかると思いますが、どこの国かわからないようにしたかったんです。今回は共同製作でベルギーのプロデューサーが入っているので、ベルギーで撮影しようということになりました。かえってよかったと思います。私たちフランス人にとって、ベルギーは隣の国で親しみやすい国であるけれども外国なのでどこだかわからない場所なんですね。ロケ場所はいくつかの土地を組み合われて一つの敷地に見せています。それから美しい場所、奇妙な場所、建物でも少し古さを感じさせ、いつの時代かわからないところを基準にしました。」

—— ドイツで撮影しようとは思わなかったのですか?
「ドイツというより中欧ヨーロッパを考えました。実際チェコスロバキアの写真を見て、すごく気に入った場所があったのですが、遠くてお金がかかるということだったので実現しませんでした。ドイツは具体的には考えませんでしたが、ありえたとは思います。その場合はドイツの北部の雰囲気になったと思います。野生の森ではなく敷地の中の公園的な場所がよかったんです。ちょっと人間の手が入っていて、小道のあるようなイメージがヴェデキントの小説のイメージにありました。」

執筆者

umemoto

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