「神風特攻隊の少年達の本当の姿を知って欲しかったんです。」
そう語る今井さんの声には強くて確かな想いがあった。

本作はニューヨークに住む2人のアメリカ人が時代を越え、前世の姿であった神風特攻隊として生きることを余儀なくされてしまうというストーリーの中で、当時の特攻隊員たちの真実の姿を描いている。今井さんは、「生きたいのに死にに行かなくてはならない」状況の中で生きていた彼らを真正面から受け止め、これまでに舞台で多くの人々に彼らの物語を見せてきた。そしてそれは日本だけにとどまらず海外にまで飛び出し、人々に感動を与え、支持も受けてきた。

2001年に一旦終わりを告げたこの物語だったが、9.11の事件をキッカケに再び映画として甦った。映画という媒体を通して伝える、しかも全編英語セリフという新しい挑戦を自ら掲げ、より多くの人に伝えたいと思った今井さんは本作で監督・主演・原作・脚本すべてを手がけている。

2006年8月現在、映画の公開を間もなく迎えると同時に舞台でも各地を周り、そして海外でのプロモーションに力を注いでいる多忙な中、映画『THE WINDS OF GOD-KAMIKAZE-』にかける今井さんの想いを1人でも多くの方に知ってもらうべく、お話を伺いました。




——18年も関わってこられたこの作品への想いを聞かせてください。
「僕は戦後の人間ですし、実は特攻隊に悪いイメージを持ってたんです。だから最初は特攻隊という狂気集団の話を書こうと思っていました。でもいざ取材してみたら全然そうじゃなくて。この作品を作るにあたって100名以上の元特攻隊員だった方々にお会いしたんですけど、それらの方々が目の前で「お母さんやお父さんが自分の目の前で殺されるのが嫌だ。」とか「自分達が防波堤にならないで誰がなるんだ?」って言うんです。嫌々ながらということは一言もおっしゃらなかったんですけど、ただやっぱり特攻隊に任命された時は頭が真っ白になったんだそうです。「誰一人”天皇陛下万歳!”なんて言った奴はいない。皆”かあちゃん”って言ってたんです。」と聞いて、何でこういう話を学校は教えてくれなかったのか?と思いました。未だに世間では悪いイメージがありますよね。僕がこういう作品をやって、ちょっと知られるようになってきたら問題が出てきましたし、民間の企業の名前で特攻隊の作品は支援できないからとハッキリ言われて、未だにスポンサーもつかないんですよ。特攻隊の人たちの話を聞いたり、靖国などの資料館に行ったりとかすると、特攻隊の中には当時16歳の子とかもいて、遺書に最初から最後まで「お母さん」しか書いてない子もいるんですね。そういう子たちがまさか60年間悪口を言われてるとは思ってないんですよ。特攻作戦には非人道的だと思うし賛成できませんが、国の命令で行って来いと言われて、”いい日本ができるなら”とか”家族を守れるならば”と思って行ったことを思うと切なくなりました。それがここまで続けてこれた理由です。僕のことを左翼だとか右翼だとか言う人がいますが、そういう次元の話じゃないんです。一つの哀しさですね。勘違いされてる彼らの真実の姿を今生きてる人達に伝えたかったんです。」

——舞台も再演されてますね。舞台の方はどうですか?
「中尉の役なんですけど、もう45歳なんで役的に限界があります。それにやっぱり舞台は体力がきつくて。18年前はそこまでじゃなかったんですけど、去年やった時はビックリしました。あんなに声がつぶれるとは思わなかったし、酸欠状態になるとは思わなかったんです。でも頑張ります。この前なんかは30キロ走った後に通し稽古をやったんですよ。これほどきついことをやって通し稽古ができたんだから11月まで頑張っていけるだろうと思います。東京だろうが地方だろうが絶対手を抜くなよ、とメンバーで話し合っています。」

——映画を作る上で気をつけられたことは?
「映画は撮ってる時は楽しかったです。問題は資金集めだけでした。映画で納得した絵を撮るためには、どうしてもお金がかかると思っています。例え1カットのためでも、例えば昭和20年の風景が欲しい場合、現代にはないものなので作るしかない。昭和村のようなものを作ってしまって撮らなきゃならないんですよね。今はCGでごまかすことが出来ますけど、それでもお金はかかるものですし、頼りたくはない。映画っていうのはお金さえ掛ければいいってもんじゃないっていう監督やプロデューサーはいるけど、それは逃げだと思う。もちろん金さえ掛ければいいってもんじゃないですが、初めから安い予算で撮って、「金掛けなくてもいい映画を撮るのが職人なんだよ」って言うのは逃げだと思ったんです。100億や50億集めてくるようなプロデューサーが経験からそれを言うんだったらいいんです。でもそんなことできない人間が言うのは間違ってる。やっぱり映画は活動写真だからテレビと一緒以下だと困るんですよ。1800円払って観にいく価値のあるものを作らなくてはいけない。2時間ドラマみたいなものを作ってしまって、それで映画って言いたくなかったんです。」

——映画で観てほしかったというのはあるんですか?
「ありますね。テレビのドラマよりはお金がかかってますけど、本音で言うと資金はあと10倍はほしかったですね。これだけのお金を集めたのも必死でしたけど、映画ならではのその葛藤があってもよかったかなと思います。言い訳は好きじゃないですが、集まったお金の中では監督としてはよくやったと思います。カット割どうこうはそれぞれに感じてもらうことですが、普通は東京でロケしてしまうところを、よくあの値段でアメリカまで行って1ヶ月も鹿児島ロケをしたなと思います。どうしても俳優達全員をあの滑走路がまだ残る場所まで連れて行って、空気を感じて欲しいというのが自分の中の願いだったので。皆1ヶ月ほど連れていきました。」

——今まで舞台も映画化もされていますが、今、英語で映画を作られたのはなぜですか?
「”舞台には感動したけど、民間人として名前は貸せない”って言われてスポンサーがつかなかった時、”特攻隊の人たちは命を賭けて日本を守ろうとしたのに、この人たちは逃げばっかりじゃないか”と思い、これ以上やると日本人が嫌いになりそうだったんです。だから2001年の9月9日で舞台はやめました。最後に一番戦況が激しかった沖縄にファンの人たちを集めて「負けました」と伝えました。彼らの中の特攻隊のイメージを変えることができなかった、申し訳ないという気持ちが僕の中にあったんです。それで1日休んで次の日の朝起こったのが9.11だったんです。その日のアメリカの有名紙に旅客機がビルに突っ込むところの写真と一緒に「カミカゼ・アタック」って書かれていて。子供達やご婦人方を含む民間人を人質にし、大勢の方をまきぞいにして、「カミカゼ・アタック」はないだろうと思いました。何とか彼らは普通の人間だったんだと言いたかった。髪型とファッションが違うだけで何ら僕らと変わらない普通の人間が、操縦桿を握って行かざるを得なかったことが狂気であって、乗ってる人は狂気じゃなかったんですよ。彼らは普通の少年だったんだ、と言いたかったのにテロで「カミカゼ・アタック」なんて書かれて。彼らはもう母親を守りたい気持ちだけだったんですよ。それなのに悪いイメージがあんなにでかでか載っちゃって。でももっと腹が立ったのが、マスコミを含め政府が何でそう言われたことに対してクレームを入れないんだ、ということでした。」

——海外での反応は?
「テロの半年後に映画の脚本を作って、通訳の人に翻訳してもらってハリウッドに行きました。そしたらある大きな会社の脚本家の方が興味を持ってくれました。結局ダメになったんですけど、その時に1つ言われたことが”英語で撮らないとアメリカ人は絶対に観ない”ということでした。我々日本人は字幕付きの映画を平気で観ますけど、向こうの人にとっては字幕スーパーは映画じゃないんですね。日本の人が観ることも考えたんですけど日本人は字幕に慣れてるし、後は俺か作品自体に興味があるかだと思ったから。向こうの人がもしあのテロを「カミカゼ・アタック」と言うならば、最大のテロは広島・長崎の原爆だ、とだけは言ってこようと思っています。でも今のところそんなことを言う日本人は他にいないんですよね。悲しいです。そういうことを思わない日本人が多いのは、今の時代に生きる人間が戦前に興味がなさすぎるということなんです。ということは今の若者が青春を謳歌している間に政治家なんかがどんどん法律を作っちゃって、戦争を起こして、ある日「お前特攻に行って来い」なんて命令するようになる。理由を聞いても「法律だから」だけで終わってしまう。ノーって言うと逮捕されちゃうぐらいになる。だから憲法にしたって”集団的自衛権”とか意味がわかんないでしょ?そういうところを若い人達に気付いてもらいたいですね。」

——輪廻の話にしたのはなぜですか?
「ただのタイムスリップだったら話にならないじゃないですか。特攻隊の一員になってしまうからこそ彼らの気持ちがわかるし、観ている人にも伝わると思ったんです。」

——海外で輪廻は受け入れてもらえたんですね。
「彼らはキリスト教だから輪廻転生っていう考え方はないんですよ。神は一人だけで、死んだら天国に行くだけだと思っている。魂の生まれ変わりを信じてないんですね。それでも前世が特攻隊で輪廻転生をするっていうアイデアはおもしろいと思ってもらえたようでしたが、主人公は全員白人にしてくれって言われました。アジア人なんか見たくないからってハッキリ言われました。アジア人はマイナーだから見たくないって会った人全員に言われたんです。特攻隊を全員白人にして撮るのはやろうと思えばできたのですが、ちょっときついかなと思ったので現代のシーンではギリギリ白人にして、鏡を見た時に白人で映したりもしました。でもいいんです。マイナーだろうが、チャレンジすることに意義があると思うので。僕はプロデューサーとしては全然ダメだけど、一人でも最後まで見てくれたらそれでいいんです。」

——冒頭のグラウンドゼロでの撮影は大変でした?
「許可を取るのが大変でしたが、どうしても撮りたかったんです。僕達以外にまだ撮影に使った人はいないって言われましたし、ましてやアジア人が撮るということでなかなか許可は下りませんでした。結局いろんな条件も加え、8時から10時までの2時間だったらオッケーだって言われたんです。でも他にも例えば、手持ちで三脚立てたらダメだとも言われました。スクリーンでどうしてもわかっちゃうんですが、手持ちだとブレちゃうんですよ。でもカメラマンと相談して、安い映画だと思われようがグランドゼロを撮りたいという結論に至り、やることにしました。監督としての自分のこだわりだったんです。最後の神父さんのシーンは周辺で撮りました。周辺だといくら撮ってもよかったんです。」

——戦争を知らない若者を本作に出演させる上で、どのような指導をしましたか?
「出演者には”これから今まで経験したことのないような厳しい訓練をするが、それに耐えられるか?”という内容の契約書を書かせました。”もし無理なら契約書を書く時点でやめてもらっても構わない。でももしできるという嘘をついた者には映画にかかった費用の一割を支払ってもらう”ということも契約のうちでした。特攻隊に配属された彼らの気持ちなんて理解できるわけがないし、僕もわかれない。生きたいのに明日死ににいかなくてはいけない気持ちなんてそんなに簡単にわかるもんじゃないでしょう?でも映画を撮るならせめて彼らが受けたような訓練は経験しなくちゃいけないと思ったんです。例えば有難うございます、なんて全然思えないような訓練を受けても震える手で敬礼をするという経験があってこそ、きちんとした敬礼ができるんですよ。ただ俳優が軍服を着ればいいというものではないんです。訓練をしたおかげで、俳優達はどんな戦争映画よりも軍人の目をしていたと思います。」

執筆者

umemoto

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