“天皇ヒロヒト——。彼は悲劇に傷ついた、ひとりの人間。”
天皇は天照大御神の天孫であり、人間ではないと信じられていた時代。
この映画で描かれているのは神ではなく、日本という国のために一人で苦悩する人間の姿である。

センシティブな天皇ヒロヒトを演じているのはイッセー尾形。他にも侍従長役に佐野史郎、皇后役に桃井かおりという実力派俳優がこの映画で存在感を放っている。

本作は4部作の3作目であり、前作『モレク神』ではヒトラーを、『牡牛座』ではレーニンを主人公として描いてきたアレクサンドル・ソクーロフ監督。世界が絶賛した『太陽』は、アート映画としてベルリン映画祭のコンペ作品の中で注目を浴びた。
映画として取り上げるにはあまりに抵抗があり、タブーとさえ言われてしまう”天皇”に焦点を当てた監督に話を聞いてみました。




——退避壕のシーンが多く、とてもリアルですが、どれぐらい調べたのですか?
監督「いわゆる退避壕の御前会議が行なわれた場所について描かれている、岡本喜八さんの『日本で一番長い日』を詳細に研究しました。『日本で一番長い日』では退避壕のシーンはそれほど重要でもなく、長いものでもありません。でもこの映画に関しては、ほとんどが退避壕の中で行なわれるということで、もっと詳細に退避壕を作っていったんです。もう一つ参考にしたのは、残されていた当時の写真や絵ですね。研究した後にロシアの建築家達に相談し、地下2階に退避壕のセットを作ったのです。」

——明治天皇への言及については?
監督「明治天皇が学者達を招いて皇居の上空で極光を見た、と話されたというのはフィクションです。しかし昭和天皇を描くにあたって、やはり明治天皇や大正天皇という歴代の天皇について言及しないわけにはいきませんので、一種のフィクションを通してあのシーンで登場していただいたのです。恐らく皇室には私達が知らない丸秘の文書がたくさんあるでしょう。しかし時間が経つにつれて何かしらの文書が明らかになった時に、こういった発言が出てくると思うんですね。私はこの映画を直感でつくりました。」

——監督の作品はセリフに頼らずにイメージを持たせるものが多いですよね。『太陽』ではセリフが実に素晴らしかったのですが、セリフは天皇を描く上で必須だったのですか?
監督「私の作品は必ずしもセリフが少ないというわけではありません。実際には、今回のセリフはとても大変な仕事で、通訳さんや俳優さん達が最後の最後までセリフを考えたんです。私達は皇居内でどのような会話がなされているのか一切わからなかったんです。それぞれの登場人物の特徴を表現するために、セリフがある俳優たちもない俳優たちも皆で練り上げていったんです。私は日本の偉大な俳優達と仕事ができたんだと実感しています。今回一緒に仕事をした俳優達は世界的な水準の人たちで、しかもユニークで、素晴らしかった!私は舞台の仕事をしようと思ったことはないのですが、この仕事が終わった後、この人達となら舞台をやってみたいと初めて思いました。特別な感謝の気持ちは特にイッセー尾形さんに捧げたいです。こういった役者さんと仕事ができて私は大きな栄誉を受けました。彼らは日本のダイヤモンドです。」

——映画を撮った今、昭和天皇はどのような人物だと思われますか?
監督「これは芸術作品ですから、資料や歴史的事実に依拠してはいても、ここに現れた天皇の人間像というのは私が考えついたものなんです。もしかしたら実際の人間とは違うかもしれない。実際のヒロヒト天皇の人生の中では歴史的、政治的なプロセスがもっとあったとは思いますが、『太陽』の中のヒロヒト天皇はもっと大きな段階でこうした歴史や政治から遠のいています。そういった意味でこの映画は少しお伽噺です。もしかしたらこれは私達が目にしたいような昭和天皇かもしれない。私達には、権力者として私達を指導する人物には深く教養があって繊細で用心深く、穢れが無く、武器を振り回さず、きたない言葉を投げつけない人物であってほしいという願望があると思うんですね。芸術作品の持つ力というのは、あらゆる例を提示していける力です。そうして様々な例を手にした受け取り側がどう生きていくのかを探すきっかけになると思えるんです。映画では歴史的人物を怒らせることも、歴史をゆがめることもできる。非常に重要な瞬間を意味のないものに見せることもできる。映画とは破壊の力を持っている恐ろしいもので、時には後に廃墟のみが残されることもあります。私達は映画を観終わった後に心が廃墟にならないように、そして映画が破壊の力を持たないように様々な例を提示していきたいです。」

——イッセー尾形さんのキャスティングについて教えてください。
監督「この選択に関しては、日本の尊敬する同僚達の尽力によります。この映画は何年も前から企画が出来ていて、ずっと調査をしていました。クランクインの5年ほど前に日本のある著名な方にこの映画は実現不可能でしょう、俳優は一人たりとも出演に同意しないでしょう、と断言されました。でもそうじゃなかった。私達が提案した俳優さん達は皆喜んでくれたんです。主役に関してはビデオ素材で候補が4〜5人いて、その中で絞った後に日本に行ってキャスティングをし、最終的にイッセー尾形さんに決めました。彼の一人芝居のDVDなどを見て、非常にユニークでユニバーサルな俳優がいることを知りました。それでも果たして大きな映画の中で主役を演じれるのかという一種の疑惑は起こりました。しかし彼に実際会うと私の疑惑は一切払拭されて、この人じゃなくちゃダメだ!と決意しました。」

——桃井かおりさん、佐野史郎さんのキャスティングは?
監督「来日したある晩に尾形さんのスタジオに行って食事をしていると桃井さんが現れて、「どうなの?私を使ってくれるの?私やりたいわ!」と言ってくれたので冗談だったかもしれませんが、じゃあやってください、となりました(笑)。桃井さんが演じるのはこの映画で唯一の女性なので、必ずしも事実と一致しなくてもいいと思いました。短い時間の中であらゆることを見せられて、非常に柔軟性のある、賢い女優が欲しかったんです。彼女は見事にほんのちょっとの出番に力を発揮してくれました。佐野史郎さんは出会ったときから侍従長だと思ってました(笑)。彼は大変な知識人で、撮影の中でも非常に言葉や史実に対して絶えず目を光らせてくれました。これは私達の緊張感を呼び覚ませてくれましたし感謝しています。そういう意味で佐野さんは私達の知的部分でした。全部撮り終わった後にセリフのチェックもしてもらったのですが、その徹底ぶりは本当にすごかったですね。」

プロデューサー「この映画のテーマは歴史的なものなので、大変デリケートに用心深く、愛をもって立ち向かいました。このように水準が高くて芸術的で哲学的な映画が、一定の時期に限って描いたというのはあまりないですね。ですから、この作品は末永く生きつづけるだろうと思っています。」

——天皇の戦争責任についてはどのような意見をお持ちですか?
監督「この問題については日本の皆さんが真剣に考えて判断すべきことです。私は裁く為にやってきたのではありません。一つだけ言うとすれば、いろいろな説があっても、陸軍が本土決戦に持ち込みたかったのを止めたことによって天皇は犠牲をとどめたということなんです。もっと早くやめるべきだったかもしれませんが、とにかくやめたんです。もし続けていればもっとひどいことになっていたでしょう。例えばドイツで考えてみてください。ヒットラーも降伏宣言すればよかったのに、生きていられるはずの50万人ほどの人々を道ずれにして自殺しました。皆さん自身で歴史を見直して歴史の中でもう一度探してください。皆さんで事実を伝えていって欲しいです。」

——この映画は4部作の3作品目ですが、前の2作品と比べるとどういった違いがありますか?
監督「登場人物がヒットラーやレーニンと比べてお伽話的な人物であるところですね。20世紀に王政で帝国であったという時点ですでにお伽噺みたいです。神と崇められ、その際とても現実的な陸軍や海軍を抱え、帝国はものすごい野望を持っている。そして魚を研究して愛している。こういう事実を知った時、この人物の中には何かしら独特のものがあるんではないか、もしかしたらこの人物は現実から離れたいんじゃないのか、政治とかではなくて魚類の研究に時間を割きたかったのではないのか、という風なことを思いついたんです。もう一つ日本の特徴としては海洋国であることが挙げられますね。この歴史的で政治的な状況の中、どのような行為をしたのか興味は尽きません。全てを含めて不思議な国ですよね。」

——陸軍大臣の顔のアップが長く映されていたのは、本土決戦を天皇が止めたというのを伝えたかったからですか?
監督「その通りです。こういう人物は典型的な軍人です。」

——4部作を予定されているんですよね?
監督「あと少し”結論”が残っています。絵で言うならばそれを飾る額縁です。最後のフレーズを観れば、今まで描いてきたことが全てわかる。4作目はゲーテとトーマスモアの”ファウスト博士”と”ファウスト”をミックスしたものをミュージカルのように非常に美しく撮ろうと思っています。同時に私は日本の監督にバトンタッチしたいとも思っています。この映画の続きを是非作って欲しい。日本の特徴がよく現れているのは明治維新です。鎖国されていた国が明治維新になって国が開いたとたんにものすごいテンポで、富国強兵や西欧化といったあらゆる方向、分野に進んでいきました。そこにプラスマイナスがあります。世界的なレベルに達したけれど、その力を違う方向に向けてしまったために悲劇が起こった。明治維新によって外面的にも追い立てられていったんですね。明治維新を日本全体の特徴的な出来事として日本の方に映画にしてもらいたいです。」

——小津安二郎の映画に影響を受けているのですか?
監督「もちろん受けました。どんな文化活動であっても、相互の影響によって発展していくのです。そういう意味でも小津監督に影響は受けました。小津さんの世代というのはその後の映画人に大きな影響を与えました。私の先生です。次は私達も先生になるのでしょうね(笑)。」

——日本での公開が危ぶまれたりもしましたが、このようにタブー視されるものがあることについてどのように思われますか?
監督「非常に品格のある伝統だと思います。第一に個人を守るということ、ナショナル文化を守るということ、そしてそこにはナショナルキャラクターが反映されている。だからこれは河床がどのように作られているのかということにつながると思うんですね。こういうものがあるということは悪いとは思いません。日本独特のものは守っていかなくてはならないのですが、それは非常に独特であるが故に壊れやすいものなんです。日本人であるということは必要です。時代の変化によって社会が変わっていき、人々も変わっていく中でこの日本という国を救うために皇室のありかたも新しい場所を探さなければならないと思います。政治的なことに関わらない文化の守り手としての皇室の地位を新たに考えていかなければ時代に則さないだろうと思います。この映画を見る人には、端々に見られる人間らしさ、人間の生活から人間が見えるということを忘れないで欲しい。この映画のプリズムを通して感じてほしいのは人間の自然性です。私達は多くを神にお願いするけれど、この世でなされた全ての過ちは人間の手でなされたものだということを考えてください。そして日本という国そのものや伝統を守りつづけてください。主人公に同情してください。私はこの作品で誰かを裁こうとか罪をきせようという意図はないのです。これがロシアの文化芸術の伝統なのです。どんなことを言われてもヒロヒト天皇は存在したし、私達は未来のことを考えていかなければならないのです。」

執筆者

umemoto

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