大地、自由 平和 夢…
歌うことが希望をつなぐ

パレスチナと聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
難民キャンプ、武力闘争、封建的な男性社会…
普段私達が得るパレスチナに関することいえばニュースで流れてくる限られた情報ばかりだ。

『ガーダ〜パレスチナの詩〜』には私達が今までに見た事のないパレスチナの女性達がいる。そこに映る人々は故郷を奪われ、難民キャンプへ移住を強いられて深い悲しみを持ちながらも、笑い、歌い、踊り、逞しく生きている。
男性社会のパレスチナで、女性達がカメラの前に立ち、発言するということは滅多にない。女性達の生活をカメラに収めることができたのは、女性ジャーナリスト古居みずえさんの存在があったからといえる。

古居さんの経歴を聞いてまず驚くことは、37歳まではOLだったということだ。彼女をジャーナリストへと導くきっかけとなったのは37歳の時の原因不明の関節リウマチ。徐々に固まってゆく関節に、このまま動けなくなれば私の人生は終わりだと感じ、それまで何もしてこなかった自分が許せなかったという。
その後投薬した薬が奇跡的に効いた。
「一度きりの人生。何かを表現したい」

パレスチナへ古居さんを向かわせたのはある写真展で見た写真。そこにはパレスチナの占領地で命がけで闘う子供たちが写っていた。
「この地に行って、何が起こっているかこの目で確かめたい」
1988年7月、当時40歳の古居さんは、戦火のパレスチナで取材を始めた。





—— それまでOLとして生活していた人が、戦火のパレスチナ向かうことに不安はありませんでしたか。
「いつも何も考えずに行動して、後で後悔します。(笑)なんで子供が命がけで石を投げて闘うのか、それが知りたかった。外出禁止令があって、難民キャンプ内のある家庭に居させてもらううちに、戦場の子供たちとともに、女性達にもカメラを向けるようになりました。」

——彼女たちがカメラに映ることは困難ではなかったのでしょうか。
「イスラムの人では、こだわる人もいましたが、ガーダはとても積極的な女性だったので、家の中でも外でも撮らせてくれました。ガーダには、積極性やエネルギッシュな部分を学んでいます。とてもそういう部分では及ばないと思っています。(笑)」

——この作品を観ていると、まるで親戚になったような気分になります。
「日本人は、パレスチナの人々に対してとても怖いイメージを持っていますが、彼らは、友人になれば皆家族という考えを持つとても温かい人達。私もすぐに友達になってもらえました。相手の気持ちの分かる優しい人達で、歌を歌ったり、基本的には陽気な人達です。」

——女性にしかられる男性の姿をみて、私達と変わらないと感じました。
「そうですね。男性が威張ったりということはしていませんね。最近は逆転しています。(笑)男性の後をついてゆくという感じではなく、夫婦関係においては女性の方が強いです。」

——ガーダの夫であるナセルさんは、日本にいても理想的な夫と言えると思いますが、やはりこういうケースは珍しいのでしょうか。

「ナセルは外の世界を知っていて、ガーダの父親も開けている人なので、そういう意味では、ガーダがのびのびと生きてこれているのはこの二人の影響がとても強いと思います。」

——彼らを見ていると、逆に私たちが勇気づけられてきます。彼らの強さというのはどこから来るのだと思いますか。
「彼らは自分達が絶対に正しいという思いがあるので、“決して負けてはいけない、どんなことがあっても人間として生きるんだ。”という考えがあるのだと思います。自分達は悪いことをしていないのに、家を追われた。自分達には帰る権利や、人間として生きる権利がある。それらの思いが強さに繋がっているのではないでしょうか。 それと彼らには誇りがあります。いくら貧しくとも、外国人に対しても物乞いは決してしません。私も長く居させてもらいたいので、受け取ってもらおうとしましたが、彼らは受け取りませんでした。代わりに私は働くことでお返しをしました。実際、他の国では外国の報道陣を見ると、発言すれば何かを貰えると思う人たちもいます。そういう部分が彼らは違うと思いました。」

——強さの元には宗教も関係しているのでしょうか。

「関係あると思います。イスラムは悪いイメージが伝わっていますが、貧しい人たちを助けるという平等の精神が強くあります。なので、ラマダンという時期には、貧し人達を周りの人が面倒をみるという精神があります。家を壊されたり、家族が殺されたりという時にも、皆で面倒をみあっています。それが強いところです。」

——“パレスチナの詩”を題材に選んだ理由は。
「パレスチナの人達はうるさいくらいに、賑やか。(笑)表現力が豊かなので、歌を歌ったり、詩を読んだり。声がすごくよくて、私たちとは出来が違うと思います。(笑)それを聴いているとこっちも楽しくなるし、そういう人達だということを知って欲しくて主題にしました」

——仲の良い夫婦が詩を歌いあうシーンや、美しい歌詞が印象的です。
「歌はラブソングが一番多くて、あとは故郷を思うものも多いです。農作業しながら歌ったり。仲がいい夫婦にはずっとあてられていました。(笑)」

——17年間、パレスチナで取材をし続けて、感じた変化はありますか。
「最初に行った時に、第一次インティファーダがあり、今はもっと悪い状況になっていて、このまま国が出来ず、難民で終ってしまうのではと悲観的になってしまうことがあります。最初に行った時に第一次インティファーダがあり、これで終わりだと思っていました。しかし、彼らはものすごいエネルギーを持った人たちで、第二次インティファーダが起こりました。自分達の国を作り、幸せになることを彼らは目指しています。例え自分達の代が終っても、子供や孫が継いでくれるという会話がよく出てくる。長いスパンで行動できる人達なのだと思います。そのようなくじけない部分にとても惹かれます。」

——パレスチナと、日本を行き来して、日本に対して感じたことはありますか。
「日本は平和な憲法を持っているにも関わらず、戦争という危ない方向へ向かっていると感じます。実際にイラクなど、普通の生活をしていた人達が突然に悲惨な目にあっている。パレスチナでは、心から平和に暮らしたいと思っている人達が暮らせなくなっています。平和でなくなるということはどういうことなのか。パレスチナを通じで、伝えていきたいです。戦争は遠いものではなく、実際に起こってしまうのではという危機感があります。一見平和に見えていますが、手の届かないところでは色んな法律が決まっていて、決して楽観できない世の中。戦争を知らないからこその怖さを知らないし、知っている人は、今の状況を昔とよく似ていると言っています。マスコミも限られたことしか伝えていない。偏った報道ばかりでなく、もっと外国のことを伝えて欲しいです。そうでないと世界の人たちの痛みは分からなくなってしまいます。日本人だけが幸せに暮らしていればそれでいいのでしょうか。」

——またパレスチナに行く予定は。
「しばらく経ったら行こうと思います。作品は撮るだけではなく、皆さんに届けるまでが仕事だと思うので、この作品を持って国内中を巡り、日本の人と話して考えてみたいと思います。」

——最後に、『ガーダ〜パレスチナの詩〜』を観ようという人達に対してメッセージを。
「ありのままの人達を一番観て欲しいです。 肩の力を抜いて観にきて下さい。」

執筆者

t.suzuki

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『ガーダ パレスチナの詩』オフィシャルサイト

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