家庭と仕事を忙しくも両立させていた若く美しい妻・泰子と、一回り年下の妻を心から愛する夫の昭吾。だが絵に描いたような幸福に満たされていたこの夫婦に、ある日の些細なボタンの賭け違いが暗い影を落とす。それはやがて泰子の日常を恐怖に満ちたものに変えていく…
 ストレートなタイトルには、陰鬱な社会派ドラマやはたまた扇情的なエロチック・サスペンスを連想する方もいるかもしらない。なんと言ってもDV夫を演じているのは、短い出演場面であっても主役級の存在感を発揮するエンケンこと遠藤憲一だ。アナーキーな暴走ぶりを期待してしまうのもむべなるかなと言ったところか。
 だが実際に作品を観てみると、勿論役者陣が熱演をみせるハードなDV描写も出てくるが、そこに描かれている人物像はDVをふるう方もふるわれる方も実にナチュラルで、男女を問わず時には彼らに共感を覚え、また自分の中にもこうした問題の芽が潜んでいるかもしれないことを気づかせてくれるだろう。
 これまでも幅広いジャンルに渡り、男女の関係性を描いてきた中原俊監督に、最新作である本作について、そして夫婦という関係性について語ってもらったインタビューをお届けする。

$navy ☆『DV ドメスティック・バイオレンス』は、2005年2月5日より、渋谷 シアター・イメージフォーラムにてロードショー公開!他 全国順次ロードショー!$


——まず、今回の企画に参加された経緯をお聞かせください。

 「プロデューサーの永森裕二君とは、以前僕の監督した『歯科医』でも仕事をしています。そちらはもう少し凄い世界なんですけど(笑)、いずれにしても男女の夫婦間の問題のすれ違いと一致みたいなものがあって、それを女性側から描いていたことも気に入ってもらって、ぜひまたやりましょうと話していたんです。
 題材に関しては、ドメスティック・ヴァイオレンスをやりたいというのは永森君サイドからあって、それも面白いんじゃないかなってね。ただ普通こういう映画だと、酷い旦那がいて、奥さんが苛められて、耐えに耐えて、最後にこう我慢ならんとかなったり、可哀想な目にあって死んじゃったりとかを想像するじゃないですか。それじゃなんかつまらんなぁと。だからドメスティック・ヴァイオレンスと言いつつ、女性側も一理あり、男性側も一理ありな、両方向わかるような話ならやろうと思ったんですよ。それで小澤君の方からの脚本が出来上がってみると、予想に反して男性側の方に立った、不思議なものになっていてね。もう男性側はこれでOK!だと。それに僕の方で、女性側の気持の流れを足していって、作品全体の構成を男女両方が入っていける形に作り変えたんです。男女どちらからでもご覧くださいという映画にしたつもりですよ。
 それと僕の一番大きな仕事は場所を設定することで、勿論それには制作陣の頑張りもあるわけだけど、家を一軒見つけてきて、その中に閉じこもって順番にやって行こうと。そうすると気持の色々な流れとかも出てくるだろうしねと。それでたまたま見つけたのがあのロケ地で、周りを見ると新興住宅っぽくていいじゃないか。こういうところで、起るんだよって感じでね」

——撮影は順撮りですか?

 「全てと言うわけではないですが、気持の流れを出していく意味で基本的には順撮りです。ただやっているうちに、思いつくこともあるんですよね。ここでもう一つ何かないかなぁ?机をひっくり返すのかな?やっぱり女房の長電話は辛いよね…とかね(笑)。思いついて、じゃぁそれ行こう、英君長電話してみたいに、即興的に思いついたシーンもありますよ」




——あれは、即興だったんですか!ところで英由佳さん演じる泰子の、颯爽とした仕事人ぶりから、おどおどとした主婦、そして対決へと至る過程が出色ですね。

 「それも気持の流れを家の中で作ってきていたので、いろいろと期待しなかったような複雑な表情も出ているよね。彼女が行く公園なんかも家の近くで見つけてやれるようにしたので、えもいわれぬ表情を時々見せてくれてますね。
 英君は、『Seventh Anniversary』のENBUヴァージョンを見て、起用を決めました。今回はかなり色々と難しいことも多かったと思うけど、彼女は大物ですよ。DVのシーンも非常に逞しく乗り越えていましたね。実際にあたってということもあったけど、演技はしっかりと続けてくれて。そのあたりの根性があるというのも、彼女を選んだ要素です。やっぱり遠藤君もリアルにやりたい方で、それには受け止めてくれる人がいないと中々出来ないけれど、彼女の方は「大丈夫です。少々のことは、私体育会系ですから、折らなければ大丈夫です。痣くらいなら平気です」ってね。それに彼女はとても品格があるし」

——夫の昭吾役の遠藤憲一さんは、やはり『歯科医』に続くコラボレーションですね。今回は最近の存在感を爆発させるものとは一味違うナチュラルなキャラクター像が、身近に起り得る事件であることを感じさせてましたが。

 「遠藤君がナチュラルにというか、彼自身のアイデアでリアリティを持ち込んで作りこんでいる部分もありますね。それを取り入れながら撮影をすすめていきました。買い物の場面でも、「俺、大根買いたいな。買わせてくれる?」とかね(笑)。元元、脚本も書いている小澤和義君とも仲がいいですし、男性側の心理は概ねそちらに拠ってますね。
 現場では新しいやり方や撮り方に関してなど、結構遠藤君とはやりあいもしましたよ。でも彼もそれが楽しみでやっているんでしょうし、それこそが小さな映画の良さですね。参加していることに意義を感じているわけで、その分真剣に考えてくるんです。ミニマムな現場だからこそ揉めあえる、というのはありましたね」

#——監督からの演技指導はいかがでしたか?

 「僕の場合は、演技自体を全部つけていくようなことはあまりしないです。ポイントの表情くらいは言いますけど、全体の動きなどは自分達で考えてもらいますよ。その方が自由にやれるし、ドンドンよくなっていく。子供とやる時もそうですけどね、「どうする、君なら」ってね。
 それと僕らの本当の手としては、カット割りとアングルがありますので、そちらの方を状況にあわせて変えて行きます。映画はそこができるから面白い。マルチ・カメラで撮るテレビは相当巧い役者さんじゃないとなかなか対応できないけど、映画は部分でカットを切り取っていくことができる。繋いだ時に編集で、思いもしなかったお芝居にすることもできるんです」

——英さんと遠藤さん、英さんと小澤さん、遠藤さんと小澤さんと二人だけの会話の場面が多いですが、単調になってないですよね。

 「あのあたりは座ってる話であり、会話がスムーズに流れるようにするのは役者さんの力だけど、かといってドーンとひいて見せるわけにもいかないので、何か見ているほうがあらぬ想像をするかのように、いろいろとね。何かが起きるのじゃないかと思わせて、起らなかったりという風には考えました」

#——DVを巡る周囲の対応として出てくる、我慢するのが当たり前的な風潮も実に日本的と言うか、現実味がりますね。

 「そのあたりもそうですけど、これまでは男女の違いみたいなものがあったのが、機会均等法じゃないけど段々同じになってきてますよね。そうすると今度は、二人で作る家庭と言うものに対して、どういうものを作りたいのかと言うのがありますよね。
 男の方にはどうしても、家庭は妻のものだからという逃げ口上がある。でも基本的には愛情というか、本当に好きで家庭を作ろうとしているわけだから、君の好きなように、嬉しいようにってのは、ある種の本心ではあるんだよね。だけど逆に女性の側には、任されること自体がいやだと言われると困るんだけど、家庭とはどうあるべきかという点で甘いところもある。貴方さえ愛してくれていればそれでいいわ…そんな甘いもんじゃないんですよ(笑)。やっぱり、カーテンはこうとか、絨毯はこうとかいろいろあるわけで、そこらへんも考えていかなければならない。権利と責任の両側であったりもしますよね。
 最近はそのように考えられるようになってきたと言えるのですが、そうすると逆にギャップもまた出てくるのでDVも起りかねない。刷毛口がそこにしかなくなってしまってくる。家の中でしか、刷毛口がなくなってきてしまっているというところもあるわけで、起こりうる問題だから法律もできたりするんでしょう。そしてそれを、もう1回どういうのがいいのかな?と考えるわけですよ。欧米の真似をしてもしょうがないし、難しいけど日本人は日本人にあった独特のオリジナリティのある一つの家庭像を作らなければならないんでしょうね。まぁ、でも、誰かがそこまで辿り着いたのかな…ということですよね」

#——それが、開放感があって清々しい結末になっていると。

 「彼女はこの後、どういう家庭を作っていくんだろうね。勉強になったのか、ならないのか。いろいろ諸問題はあるよね。悩むでしょ。家庭の問題は。
 決して奥さんのことを嫌いなわけじゃないのに、どうしてこう揉めるのかなって(笑)。でも基本的には趣味の違いとか、考え方の違いと言うのはあるからね。それをお互いに理解しようとするんだけれど、なんでそうなのってあるよね。使ったコップはここに置きなさい…って何で、置かなきゃいけないの?俺疲れてるんだからさぁ、そんなもの君がおいたらいいじゃないの。いや、決めたことだからさぁ…とか言われると、やっぱり腹たつよな(笑)。
 そういうところなんですよね、かけ違いが起きるのは。最初のうちは、一晩眠って翌朝ごめんなと言えば済んだのが、段々としこりが残るようになってきちゃって。一般論では解決できない難しい問題ですよ。DVに繋がる沢山の要素は、シナリオの方でも沢山拾われてますので、そういうことあるなぁ…という部分で、自分が今立っている位置を見てもらえて、もう1回家庭について前向きに話し合える材料にはなると思います。DVとか関係無く、二人で作ると色んな軋轢が起るんだな、ありそうだな、ここまでやるかなとか、色々に感じてもらえると思いますよ」

——『でらしね』、『苺の破片』そして本作と3本の監督作が公開となり、中原監督ファンとしては堪らない年末年始になりますが、この後の予定をお聞かせください。

 「花井美里さんの月刊DVDで、20分の短編を撮り終えたところです。その後は、昭和初期ものみたいなレトロなものをやりたくて、仕掛けをはじめたところです。着物を着た女性の時代で、その頃って何となく今と似ている気がするのね。女性がこう、わっと出てきた時代で、身に逢った感じに考えていこうという新しいライフスタイルが出てきた旧い時代をやりたいと思っています」

——最後に、メッセージをお願いします。

 「先ほども言いましたが、男女両面からの楽しみ方ができる作品になったと思います。やっと文化が進んできた中で、置き去りにされてきた家庭のことを本当に考えてみようという部分はあると思うし、隣りの家をのぞくように見てもらっても面白く見れると思います。英君も男性の目から見て素敵ですしね。
 この映画を夫婦で一緒に見てもらって、色々話せることができるようでしたら、きっとDVは起こらない家だと思いますので、誘ってご覧になったらいかがでしょうか。また今現在、悩んでいる女性の方は是非この映画を見てください。思い当たるところがあった方は、真剣に考えた方がいいですね。今なら色々窓口も開いていますので」

本日は、どうもありがとうございました。

(2004年12月9日 バイオタイドにて)

執筆者

殿井君人

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