タリバン政権崩壊後、初のアフガニスタン映画として話題の『アフガン零年』。日本のNHKの資金援助と隣国イランの映画人の人的資材的援助の下、セディク・バルマク監督が撮り上げたこの映画は、昨年のカンヌ映画祭では新人監督に与えられるカメラドール特別賞・CICAE賞・ジュニア審査員最優秀作品賞を受賞し、また先ごろ発表された第61回ゴールデンブローブ賞でも外国語映画賞を受賞した。
 父も叔父も内戦で死に、少女の家には祖母と母だけが残っている。女性だけの外出が禁じられたタリバン政権下では、女3人家族に生きていく術はない。そこで、少女は髪を切って少年に化け、亡父に恩義を感じている商店主の下で働き始めるのだが、少女は他の少年たちとともにタリバンの学校に収容されてしまう。
 蒼いブルカに身を包んだ女たちのデモ隊、暗闇のなかにうっすらと浮かび上がる一家の暮らしなど、その力強くも艶やかな映像は、本作が話題性だけではなく映画としていかに優れた作品かを実証している。いったいどんな人物がこの作品を作り上げたのか、興味を抱く人は少なくないだろう。
 昨年末のNHKアジア・フィルム・フェスティバル、それに続く一般公開に向けて、バルマク監督は極東の地・日本を訪れた。本サイトは、幸運にも話題の人・バルマク監督の共同インタビューに参加することができた。監督は、希望を感じさせる虹がラストシーンから消えた理由、自身の作劇法や難民体験、そしてアフガニスタン映画の今日の希望について語ってくださった。約1時間にわたったインタビューからお届けしよう。

$blue ●第5回NHKアジア・フィルム・フェスティバル(2003年12月13〜21日)にて上映

●2004年3月13日より東京都写真美術館にてロードショー$




——ゴールデングローブ賞にノミネートされていますが、アメリカの賞を受けられることについてどう思われますか?(注:取材時はまだノミネート段階。その後、見事受賞した)
「アフガン映画にとってはいい機会ですし、アメリカ人も少しアフガンの痛みを見て感じればいいなと思っています。ですが、自分自身にはあまり感動はないですね。次の作品のことを考えたい。過去は過ぎたことで、思い出すべきだとは思いますけど、前向きにこれからやることを考えなければいけないでしょう」
——さて、ヒロインを演じたマリナさんは、たぶん生まれて初めての撮影で最後には堂々たる演技を見せました。彼女は撮影中、どのように変わっていったのでしょうか?
「彼女にはストーリーを教えず、映画の撮り方も何をカメラの前で演じるかも説明していません。彼女の新鮮なリアクションを撮りたかったので、説明する必要はなかったのです。彼女は、映画もテレビも見たことがなく、映像とはまったく別の世界で生活してきました。だから、私たちの機材など知らないものが多く、最初のうちは恐怖感を持っていました。私たちは、物語の順番に従って撮っていまして、彼女の持つ恐怖感はとても大切なものでした。撮影を進めるに従って彼女も少しずつ慣れてきて、最後のほうになると堂々と演技をしていましたね」
——マリナさんは映画を見て何かおっしゃいましたか?
「冒頭から終わりまでずっと泣いていました」
——映画の作り方として、たとえばイランなどで見られるようにドキュメンタリーとドラマをミックスさせる方法があります。この作品も実際に戦争の傷を負っている方を役者にして、リアルな素材を使って映画というフィクションを作っていますが、フィクションとリアルのバランスをどう考えてらっしゃいますか。
「ひとつの映画のスタイルとして、最初にこのような芸術的な撮り方をしたのはイタリア人だと思います。戦争が終わると必ずリアリズムの映画が生まれるというのは面白いことですね。そのスタイルを手本にすれば、簡単に自分たちの目的にたどり着くのではないかと考えました。小さい予算でもっとも大きな影響を残すことが私たちの目的だったのですから。複雑で詳細なテーマをもっとも進歩的な方法で描くことで、もっとも深い事実を手に入れられるものなのです。イラン映画はそのことを実証してきたし、私たちもその方法で映画を作っていこうと思いました」
——リアルとフィクションのバランスは、どう思われますか?
「現実が存在するから、私たちは想像します。このふたつを分けることは不可能です。表現の仕方にはいろいろな方法がありますが、ポストモダニズムの方法も現実から何かをとっています。人間は、人間より高く飛んで考えることはできません。SF映画も、どんなに飛んでいても人間を語っているのです」



——今回は現実の力が映画の結末を変えましたよね。現実の力によって監督が映画を変えていくという相互作用が現場でありましたか?
「虹をラストシーンにすれば、それは今のアフガンの状況ではないと思ったのです。アフガニスタンの熱はもう冷めているかもしれないけど、その後の影響は残っているんです。今でも女性や子供たちはお金を恵んでもらってるし、希望を持ちながらも大変な人生をすごしているのです。パンが手に入るかどうか皆心配しているし、傷はまだ治っていないのですよ。だから、素晴らしい状況で映画は終わるべきではない。私たちにとっていちばんいい終わり方というのは今の状態なのです。映画を見た人たちは、皆、マリナのことを考えてくれます。それで私たちは満足です」
——この映画は単純に見てしまうと、タリバンは悪者。タリバンの背景は描かれていない。アメリカなどがプロパガンダに利用するということは考えませんか?
「映画は主に人間の悲劇を描いています。ですから、アメリカ人でもこの映画を見て少しでも考えれば、タリバンはどこから生まれてきたか理解できるでしょう。タリバンが、自分たちの石油会社が作ったものだと理解できるのでは?」
——仮に、もし利用されたらどうしたらどうしますか?
「利用できないと思います。今では、全ての世界の人々が、その地域を誰がいじっているか、誰が運命を決めようとしているかわかっていますから」
——監督自身、難民経験があおりですね。どのような思いで過ごされたのか、少し聞かせてください。
「(しばし考え、目を潤ませながら)とても苦しい時代で、大変大きな経験をしたと思っています。いま考えると不思議なのですが、逃げている最中でも一生懸命に映画の企画を考えいたのです。あの時期は、ふたつのTVドキュメンタリーを作りました。タジキスタンに行ったとき、長編を撮ろうとして資本集めに失敗したこともあります。パキスタンに行ったとき、BBCのアフガニスタンのための番組でラジオドラマがあって、そこでは声優として仕事をしました。カメラの前ではなくマイクの前だったんですけど、そのとき、自分は俳優になっているんですよね。役者の気持ちをそこで経験したんですよ。あのころは、そういう小さな幸せを手にして他の傷はいつか治ると信じていました」






——この映画は悲しいとともに物凄く美的ですね。ロシアで映画を学ばれたということですが、監督の美的なポリシーは?
「映画は大学では学べないと思います。人生からいちばん学ぶものなのです。自分も大学時代に先生から『私たちは映画を教えられない。あなたがたが得るのは周りのものから。人生から得るものだ』と言われました。ですから、私たちがいちばん大事にしたいのは、視線なんです」
——では、人生から学んだものを表現していく方法として、映画という手段を選んだのはなぜでしょうか?
「それは、自分はたぶん他の技術を使って表現する力や才能がなかったからかもしれない。自分は小さいときから映像に魅力を感じて写真もたくさん撮ってきたので、何か自分が語れるならそれを道具にして語れるのではないかと考えていました。他の美術の才能はまったくないのですが、映画にはすべての美術が隠れているのではないかと思います」
——ちなみに子供のころ、ご覧になっていた映画はどのようなタイプでしたか?
「インド映画とかアメリカの刑事ものが多く上映されていて、インドのメロドラマとかアクションをよく見たりとか、イタリア映画やフランス映画も見ました。いま考えてみると、私の映画作りはああいう映画を見ていたのが役に立っていたのではないかなと思います」
——今のアフガニスタンの映画の状況はどうなっているのですか?
「たくさんの優れた才能を持った若者たちが、映画を作ろうとしています。短編はけっこう作られています。合作映画の話もあって、国としては日本・フランス・イラン・ロシアとの話がありますね。そのなかでは、アティク・ラヒミ監督がフランスと作った映画がとてもいい出来です。私たちの国では、いま、いちばん活発な分野は映画です。自分が思うに、映画によってアフガンの細かい文化や本当の姿を外に紹介できるのではないかなと思います。愛情に満ちた優しい姿を映画と共に外に紹介できるのではないかと」
——今回、イランのモフセン・マフマルバフ監督のスタッフを全面的に使ってますけれど、一緒にやってみてどうでしたか?
「残念ながら、アフガニスタンでは、長く続いた内戦やタリバンが映画を禁止していたため、優れた映画人や技術者は他国に逃げ、機材もタリバンに壊されてしまいました。それで、私はマフマルバフさんに、できればイランのスタッフを使いたいとお願いしたのです。そうでなければ本当に映画が作れないと。彼はとても優秀な自分のカメラマンを私の現場に送ってくれ、彼らも自分の機材を持って来てくれました。お互いに満足できたと思います。なぜなら、私たちは同じ言葉でしゃべるだけではなく、心も通じ合っているんです。一緒に仕事ができてよかった。共同制作といえると思います」(編注:イラン人とアフガン人の間では、イランのペルシャ語とアフガニスタンのダーリ語の違いは方言程度でほぼ同じ言語と認識されている。)

——新作は考えられているのですか?
「同時にふたつの脚本を、友達と一緒に書いています。次回作では自分の国民に微笑をプレゼントするような作品にしたいんですよ。明るい作品を考えています」
——監督にとって、理想の映画はどんな映画ですか?
「人間のことを考えている映画です」

執筆者

稲見公仁子

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