画家志望だったヒトラーの物語「アドルフの画集」 メノ・メイエス監督インタビュー
「『ヒトラーの人間性を描くなんて』って戒められたこともあるよ。だけど、僕らが戒めるべきこと、恐れるべきなのは彼の人間性だったんじゃないかな」、「アドルフの画集」で監督デビューを果たしたメノ・メイエスは言う。スピルバーグの「カラーパープル」や「太陽の帝国」の脚本執筆をはじめ、史実ネタに強いメイエス。今回、誰も描かなかった世界史史上の怪物=アドルフ・ヒトラーの画家志望時代に着目する。ヒトラーがもし、芸術に自らの怒りや孤独をぶつけることが出来たのなら歴史は変わっていたかもしれないーー。「もちろん、僕はそう思う」と応えるメイエスはその作風とは対照的に気さくで茶目っ気のあるキャラクター。高所恐怖症ゆえインタビュー席は窓際から遠い場所で(インタビューは高層階で行われた)と依頼があったり、質問に答えながらも何がしかの錠剤を手で弄んでみたり。「何ですか、その薬は?」と尋ねると苦笑しつつも「カタコリ、デス」と日本語で答えてくれたのだった。
※「アドルフの画集」は2月7日よりテアトルタイムズスクエアにてロードショー!!
——監督第一作目としてヒトラーを選んだのは何故でしょう?製作にあたっての苦労は想像に難くありませんが…。
メノ・メイエス 僕自身のことを言うと闘牛士に親和性を感じるんだ。恐怖を覚えてもひるむことなく前進していく彼らにね。ヒトラーに関する映画を作るのもそれと似たようなものだった。何度も不安や恐怖を感じたけれど、前へ前へととにかく進みたいと思ったんだ。
なぜ、ヒトラーなのか?僕らが学校で教わってきたヒトラーといえば邪悪な存在、ただそれだけだ。もっと他の見方もあるべきだと思っていた。この映画を作るとき、ある人には「ヒトラーの人間性を描くなんて」と言われたよ。だけど、僕らが恐れるべきなのは彼の人間性そのものなんじゃないかな。
——監督ご自身が子供の頃、ヒトラーに抱いていたイメージは?
モンスターだね。非人間的。しゃべり方にしても歩き方にしても。この映画を作ってヒトラーの印象は変わったかって聞かれたことがあるけれど、作った今の方がヒトラーの選択した行為はさらにもっと罪深く感じるようになった。
——ヒトラーの唯一の理解者として画商のマックス・バロンが登場します。モデルも何人かいるそうですが、この人物はどのようにして生まれたのでしょう?
ヒトラーが若かりし頃に描いた絵を見たんだ。教会の廃墟を描いたものだったんだけど、この絵を見たときの僕の気持ちがマックスには投影されている。当時は戦争の狭間にありながらヘミングウェイを始め、アーティストたちの気運が上がっていた時期でもある。アートを志す者たちは前向きに自分たちの表現を進めていったんだ。そんな時代にあってもヒトラーはあえて後ろ向きな表現を選んだ。この事実に何か感じるものがあった。
マックスは当初、予知能力じみた映像が見れるという設定だった。まぁ、これはやりすぎだと思って途中でやめたんだけど水面下のサブテキストとして要素は残した。それはつまり、不幸な人間は人を不幸にするということ。マックスはそれをわかっていたからこそ、ヒトラーに人生の楽しみに目を向けさせようとしたんだよ。
——マックスを演じたジョン・キューザックの印象は?
シカゴから来た普通のキッドって感じで最初は「うわっ!」て思った(笑)。マックスは上流階級の貴族だからそれを演じられるのかなって。でも、彼はみごとにやってのけたね。演じるにつれ、それらしい貴族性を身に付けて。
——また、ヒトラー役を演じるノア・テイラーは薄ら気味悪さと孤独感、切なさとがないまぜになった見事な演技を見せてくれます。キャスティングの理由と演出について。
『シャイン』での彼が好きだったし、キャスティングディレクターの薦めのあって、ある冬の日の夕方、ノアに会う約束をした。待ち合わせ場所に着くと誰かが暗がりの中から手を差し出した。思わず、ポケットの中のコインをまさぐったら、その手の主がこういったんだ。「はじめまして、僕、ノア・テイラーです」って(笑)。哀れみを誘う第一印象が彼を起用する決め手となった。
演出に関していえば、僕が初監督なのでなかなか信用してもらえないってこともあったけど試行錯誤しつつヒトラー像を作っていったね。ヒトラーがマックスに自分の作品を見せ、辛い批評を浴びたシーンがある。その後、ヒトラーは「戦争から帰ってみると自分に残されたものは何もなかった」と独白するシーンがあるんだけどあそこは8テイク撮った。ノアは最初、いかにもヒトラーらしく、立ち上がって、大声で叫んでいた。何か違うなと思ってたんだけどテイクを重ねるうちにノアも疲れてきた。しまいには座りだした。そして、それがイキのテイクになった。
——もし、ヒトラーが美術の才能を認められていたら歴史は変わっていたと思いますか?
もちろんだね。そういう仮定を問い掛ける映画ではないけれど、ヒトラーは常に失望を抱えていた。その失望感をなくすため、名声や人民の愛情を異常なまでに欲しがった。仮に美術をやることでそれを得られたのなら第三帝国は生まれなかっただろうね。
執筆者
寺島万里子