鬼畜のような女の敵か?不器用で正直な愛の体現者か?その受け取り方は人それぞれだろうが、ほとんど無言でありながらも、その鋭くも愛しみに満ちた眼差しで、主人公ハンギを圧倒的な存在感で演じたチョ・ジェヒョン。キム・ギドク監督とのコンビは本作で5本を数え、その堅固な信頼関係は本作でも脚本・ロケハンから参加していることからも明らかだ。
 白いシャツにジーンズというラフな姿で合同インタビューに現れたジェヒョンが、質疑の一つ一つに穏やかな笑顔で応える姿は、ご本人のおっしゃるとおりユーモラスなその素顔を感じさせるものだったが、こと演技に関する質問になると、その視線は真摯で力強いものとなり、実力に裏打ちされた自信と演技への欲求を充分にうかがわせる。
 映画、テレビ、そして演劇と様々な分野で、幅広い役柄への挑戦を続け、現在韓国でもっとも精力的な俳優の声を、ここにレポートしよう。

$navy ☆『悪い男』は、2004年2月下旬より新宿武蔵野館他にて全国ロードショー公開!$






——TVドラマではコミカルな役柄、そしてキム・ギドク監督作品では正反対のキャラを演じられてますね。
チョ・ジェヒョン「私は今年で俳優生活15年目になりますが、一般の方々に知られるようになったのは、わずか2年前に過ぎません。そのきっかけは『ピアノ』といTVドラマと、この『悪い男』でした。ですから、2年前以前の私と以後の私では役の選択の幅に大きな違いがあるのです。
 俳優活動の初期にも主演作はありましたが、しばらくの間はドラマの助演が多く、そうした役はコミカルなものが多かったのです。確かに自分自身、私生活ではコミカルでユーモラスな性格ですが、演じる役柄もコミカルなものに限定されつつあって…。
 そうした葛藤があった中で、キム・ギドク監督は私の異なる面を引き出してくれました。彼との出会いで自分自身が解放された感じです。
 私は第2回東京国際映画祭に『永遠の帝国』という作品で来日していますが、当時20代だった私はその映画のラストで老人の役を演じました。来年は舞台の『エクウス』で17才の少年の役を演じる予定です。このように実年齢とはかけ離れた役柄も演じてますし、今後も多様な役柄を演じていきたい。今の位置に安住するのではなくて、役の幅をさらに広げていきたいと思っています」

——俳優という仕事に対するポリシーをお聞かせください
チョ・ジェヒョン「凝り固まった俳優にはなりたくないということです。毎回成功を修めるような俳優にも、また教科書的な演技をする俳優にもなりたくありません。今までもそうでしたし、これからもそうです。
 自分自身を振り返ると、どこに飛んでいくのかわからないラグビー・ボールのような存在だと思います。常に何ものにも拘束されること無く、自由にやっていきたいというのが、我が心情であり哲学です」

——『悪い男』では、シナリオやロケハンから参加されたとのことですが、ご自身でアイデアを出されたりしましたか?またハンギというキャラに関し、理解しきれなかったとのことですが、素晴らしい演技でしたし、ご自身が役にのりうつったような瞬間はあったのでしょうか?
チョ・ジェヒョン「この作品はほとんど順撮りでしたので、それが非常に役立ちました。キャラクターについて、完全に理解できたかできないかは別として、現実にはいそうもハンギという人物に出会い研究することは不可能なわけです。しかし映画が物語りに沿って撮影されたことにより、人物の行動にあわせてついていくことができました。確かにある瞬間には、ハンギという人物に乗り移ったような感覚を覚えたこともありました。
 ハンギに関して100%理解できない、理解してから撮影に臨むべきではないかという話をギドク監督としたこともあります。ですが無理矢理この人物を理解するよりも、7・8割方でも理解できた時点でそれに忠実に行くことによってしか演じられないと思ったんです。
 監督とは人物像について話し合ったことはほとんどなく、シナリオを書く段階でもこのように書いて欲しいというような干渉はほとんどありませんでした。ロケハン時には15泊くらい監督と一緒にいましたが、ハンギについて尋ねたのは3・4回くらいでしょうか。ほとんど話しませんでした。この役には非常に曖昧な部分があって、疑問に思ったことも多々ありましたが、監督と具体的に話し合うことは無く、あくまで私自身の問題として悩んだということです」







——ハンギとご自身の共通点はありますか?
チョ・ジェヒョン「私は自分がどんな人間かさえも判りませんよ。だからあえて共通点があるかと言われれば、物事への執着心という点でしょうかね」

——ギドク監督はどのような演技指導を?
チョ・ジェヒョン「私と監督は、監督の初めての作品『鰐』から一緒ですので互いに信頼感があり、演技に関しては、私の好きなようにさせてくれます。
 ソ・ウォンは、本当に役柄にどっぷり使って撮影に臨んでいましたよ。撮影の2/3くらいまでは、彼女と私は全く話をしませんでした。ですから彼女は、私のことを非常に怖い人物だと思っていたようですよ。最後の方になって、ようやく話を交わすようになったのですが、その頃こんなことを言ったんです。クライマックスのハンギがソナを自由にするシーンは、スケジュールの都合で撮影期間半ばに行われたのですが、彼女は、これは最後に撮りたいシーンだったとね。それで本当に彼女は、のめりこんでいたんだと驚きましたよ。
 韓国映画でも露出に関しては以前より開放されつつありますが、その点に関しては撮影前から監督と彼女の間で確認されていたので、問題はなかった。しかもギドク監督は、撮影にあたって、脱ぐシーンはほとんど1回で終わらせてしまいました。彼女がレイプのような形で最初の客をとらされる場面では、鏡の裏側からの撮影に、監督、撮影監督そして私の3人しか入りませんでした。私は彼女の様子を見て受けるリアクションを撮られるためにそこにいたのですが、非常にリアルな撮影の様子に、監督は「胸が締め付けられる、カットしなきゃ」と言ったんですよ。それで逆に私のほうが、彼女のあまりにリアルな演技故に監督を静止し続けてもらったような感じでね。そういう意味では作品を書いた監督より、俳優のほうがタフで残忍なような感じでしたね」

——これから作品を観る方へのメッセージをお願いします。
チョ・ジェヒョン「一つの作品が全てを物語るとはいえません。この作品も韓国社会の全てを物語っているのではなく、ごく一部分を描いたもの。とりわけこの作品は、独自の世界を持っていますから韓国でも論争を呼び、とりわけ最後のシーンに関しては、韓国のみならずベルリンでも論争が起きました。先進国においても自国の道徳的な規準において、こうしたシーンの是非を判断してしまうことにとても驚きを感じました。あくまで映画として判断して欲しいのですが…。道徳的な価値基準で、映画の是非を論じて欲しくはない。
 ある面では、ハンギという男は進んだ人物といえるのかもしれません。最後のシーンで彼がとった行動は、非常に衝撃的であったと思いますが、例えば今我々がこうして一緒に座っているということも、百年前には衝撃的なことでしょう。ですから、ハンギの行動も百年後には、誰も衝撃を感じないかもしれない」

(2003年11月27日 銀座の某ホテルにて)

執筆者

殿井君人

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作品紹介
キム・ギドク4作品公式サイト