「僕は前もってラストを決めない。『心の羽根』がどのような結末を迎えるかは自分でもわからなかったんだ」(トマ・ドゥティエール監督)。ベルギーの新人監督による「心の羽根」は最愛の息子を喪った母親の一年間を描いたものだ。喪失と再生の物語は数限りなく描かれてきたが、本作の特筆すべき点は風景そのものにも感情を与えたこと。物言わぬ自然は母親の悲しみに呼応するように憂い、嘆き、そして立ち戻っていく(少なくともそう見える)。主演は監督の実生活上のパートナーでもあるソフィー・ミュズール。本国では著名な舞台女優だが、劇映画はこれが初めてとも。「だからってこともあるんでしょうけど…。裸になるシーンはちょっと緊張したわ」とこんな本音も出てきた。長編劇映画初めて同士の監督×女優とはいえ、スクリーンを見る限り、そんな不安定さは微塵もない。さる東京国際映画祭の上映では早くもファンになった観客も多かったよう。劇場公開は来年春。少々、先の話になりますが、ここに記した監督の言葉を受け止めておいて損はなし!!

※「心の羽根」は2004年春、ユーロスペースにてロードショー!!






——この物語の主役のひとつは風景です。劇中の自然は感情を持っているかのようです。こうした描写を映像に留めるのは大抵のことではなかったのでは?
トマ・ドルティエール そうだね、それは劇中で最も重視したことのひとつだった。自然を人間のように撮影するというのは脚本の段階からあって、かなり綿密なストーリーボードも作った。現場では役者の演出に集中したかったし、テクニック上の問題は撮影監督としっかり話し込んでその前に解決した。例えば、ブランシェの精神状態が危うくなるにつれ、空の割合が増え、大地の割合が減っていく。逆に彼女の状態が落ち着いてくると大地が画面に戻ってくる。

 ——本作の主演女優で私生活でのパートナーでもあるソフィー・ミュズールさんの存在はこの作品にどれほどのインスピレーションを与えましたか?
トマ 彼女の存在が僕に与えてくれたのはインスピレーション以上だね。以前、ソフィーの舞台を見て一緒に仕事をしたいと強く感じた。それが今回叶ったわけだけど「心の羽根」の製作に関しては彼女が全てのステップに携わった。シナリオを書いている時も彼女は一番最初の読者で、一番の批評家でもあった。
ソフィー そう、何かと批判したわね(笑)。なぜって、彼が私に望んでいたのは批判することだったから。

 ——「心の羽根」はラストを決めず、書き進めたとか。
トマ そうだね。僕が物語を作るとき、終わりを前もって決めることはしない。そうやって書くことはできないんだ。シノプシスをあえて考えずにシークエンスごとに書き進めていく。僕自身、ラストを知らず、物語の方が勝手に動き出すという感じかな。そういうやり方が合ってるんだ。

 ——子役のユリッス・ドゥスワーフについて。
トマ アルチュール役はオーディションで探したんだけどユリッスが一番元気のいい子供だったんだ。死をまったくイメージさせないその快活さが、逆説的になるけどあの役に必要だと思った。撮影の期間中、ユリッスには演技コーチがついたから僕が留意したのは長い時間を一緒に過ごし、とにかく慣れてもらうってことだった。そして、それは最終的にうまくいったね。彼は撮影の間、家に帰ると毎日、母親に「今日は、ぼくの人生で、いちばんステキな日だった!」と言っていたそうだよ(笑)。
 まぁ、小さい子だからね、集中力が長くは続かない。1テイクで終わらなかったりするとなんやかやと僕らが彼の気を紛らし、楽しませ、エネルギーを与えて、もう一度やり直させるってことも必要になったけど。
ソフィー 映画の撮影は春と秋の二回に分けてあったのだけど、最初の頃、ユリッスは幼すぎて現実とフィクションの違いがつかなかったの。「私をママと呼んでね」と言ってね、「ママじゃないよ!!」って言うし、頭を触ろうとすると手で払いのけたりもしてた。でも、秋になってユリッスが7つになる頃にはそれが理解できてきたらしく、いい関係を結ぶことができたわ。一緒にお風呂に入るシーンもためらいなく撮れた。ユリッスはすごく可愛いくて共演ができて本当に楽しかった。






——さて、少々、下世話な質問になってしまいますが、実生活のパートナーである女性の、ラブシーンの演出はやりづらいものなのでは?
トマ うーん(笑)、そんなことはないよ。僕のなかで実際のソフィーと劇中のブランシェは別人だと分けて考えてたから。
ソフィー ラブシーンがどうこうというより、私の場合は映画が初出演で裸になるのも初めてだったからそこは少し不安に感じたわ。でも、スタッフは敬意を払ってくれたし、結果的にナチュラルに撮れたと思う。

 ——本作でテクニック的にもっとも難しかったことは?
トマ トラックが子供を轢きそうになる場面だね。トラックの方からは子供が見えていないという設定だったしね。あのシーンはリスクが大きく、撮影中はずっと緊張してたよ。

 ——この映画の前半部、不安をかもし出す予兆が幾つかインサートされています。血のような赤い水がどこからか流れてきたり、壁絵が落ちてきたり…。これらは脚本からあったものですか?
トマ 脚本の最初のシークエンスでは意識的に予兆を感じさせるものを組み込んだね。壁絵はベルギーの国王だったボードゥアンのものだ。それが落ちてくることでベルギーという国の終末を表した。水の色が変わるのは撮影中に思いついたことだった。

 ——監督自身、実生活でこうしたサインを信じますか?
トマ うん、信じるね。たとえば、劇中でアルチュールが亡くなった瞬間、遠くにいるはずのブランシェがお腹の痛みを感じるだろう。あれは祖母に聞いた話で本当にあった話なんだ。母親は子供に何かがあるとどこかで感知する。撮影中、現場ではそうした話で持ちきりだった。日本の実験だったと思うけど母ネコと子猫を離ればなれにして子猫を殺していく。そうするとその瞬間、何も知らないはずの母ネコの心臓が激しく打ったという報告もある。また、ペンギンの父親のこんな話もある。オスのペンギンは生まれたばかりの子供のために海に潜って魚を食べる。それを吐き出して口伝えで食べさせるという。だけどね、父ペンギンが海に潜っている最中、子ペンギンが死んだとする。そうするとね、知らないはずの父ペンギンの胃の中には何も残っていないんだ。そういうことは実際にある。この映画で伝えたかったことのひとつはそうした自然と生き物との関係だ。自然との関係を再び取り戻したいという思いが手伝ってこの映画はできたんだ。

執筆者

寺島万里子