現在、アジアのなかでも活況を呈していると言われるタイ映画界。その牽引車であり『ナンナーク』で国際的にも知られるノンスィー・ニミブット監督が、21世紀の最初に取り組んだのは、約30年前に発表され、そのスキャンダラスな内容が物議を醸しながらも読み継がれているタイのベストセラー小説の映画化『ジャンダラ』だ。
 1930年代のタイ、退廃しきった屋敷に生まれ、叔母に育てられたジャン。生母の記憶を持たないジャンの最初の記憶は、父と叔母の愛のない営みだった。父親に疎まれながら成長した彼は、可憐な少女に淡い恋心を抱きなからも、屋敷内では憎い父同様にハーレムの生活を繰り広げる。
 本作は、香港のピーター・チャン(『ラブソング』監督)のアプローズ・ピクチャーズのプロデュースの下、ニミブット監督の新会社シネメイジアの第1回作品として作られた。
 高い芸術性を持つニミブット監督を、この原作の映画化に駆り立てたものは何だったのか。ティーンエイジャーのころから幾度となく原作を読み返してきたという監督に、お話をうかがった。

$blue 『ジャンダラ』は、5月31日よりテアトル新宿にてロードショー$





——監督の作品は『ナン・ナーク』をはじめタイの伝統、テイストを盛り込みながら世界にも通じる映画ですが、どのようにしてバランスをとっているのですか?
「私は、自分自身が見たい映画を撮ることをいつも念頭においています。そして、まず第一に、外国人よりも何よりもタイ人に見せるための映画を作ることを考えています。なぜなら、私がタイという国を非常に愛しているからです。タイ映画のもっとも重要な特徴は、タイらしい伝統・文化・考え方、そしてタイ社会に対する視点というものを含んだ映画であり、そういった点が外人の興味を惹く点であるとも思います。
 私の映画が外国の映画市場に出る機会を得たということは、私にとっては特別賞とかボーナスのようなものです。私自身が私らしい映画言語を見つけることができたからで、それはタイ語でもなく英語でもなく日本語でもなく、世界共通の言語なのだと思います。その点で、私は監督としてある程度成功したと思っています。また、チャン・イーモウも以前、外国人が興味を持つ映画は、その国らしい個性が出た映画だ言ったそうです」
——新しく設立された会社での第1回作品になりますが、タイで広く読まれている原作を映画化したのは第一作ということでですか?
「この映画の企画が先にありました。たまたまピーター・チャンと知り合い、共同作業をしようということになって、外国と仕事をするには支払いや税金の問題が生じるので個人ではやりきれない、会社が必要ということでシネメイジアという会社を作ることになったわけです。この映画が国内国外を問わず有名になったのは、私にとっても偶然の産物ですが、自分にとってとても大きなプレゼントだったと思っています」
——原作を忠実に映画化されたのでしょうか、それとも監督自身のメッセージを映画化されたのでしょうか?
「『ジャンダラ』という小説を、私は14才のときに初めて読み、その後、成長するにしたがって何回も読み返してきました。映画化に際し、それこそ100回も読み返しました。
 じつは、作者が描いた30年前のタイと今の2000年のタイというのはひじょうに似通っています。若者の性の問題が同じように問題になっています。タイ社会では、性の問題について話すのはタブーだと、その問題はずっと隠されてきて、2000年の現代、青年の性の問題、性教育の問題はますますひどくなってきているんです。この映画を作ることで、年長者・保護者に対して、子供たちと真面目に性の問題に対して向き合うべきではないかと問いかけようと思いました。
 私はこの本が非常に好きなので忠実に再現しようとしたわけですが、そのなかに自分の宗教観や自分の視点・考え方というものを入れていきました。基本的なストーリーは小説と同じです。自分のメッセージとこの本は同じかどうか検討したところ、ぴったり同じでした。ですから、私自身がタイ社会に語り掛けたいメッセージを盛り込むことができました。この本の愛読者とこの映画を見た人は、ほとんど同じようなメッセージを受け取っていると思います。映画というのは一応楽しんで見るものですから、娯楽性も兼ね備えるようにしましたが」





——この映画では、最初にわざわざ「娯楽作品である」という断り書きを入れてらっしゃいました。が、人間というものに対するひじょうに深い洞察力や根源というものが描かれています。それは、たとえばクンルワンはなぜ愛情もなく女性を犯していくのかとか、ジャンが本当に好きな人に対してがひじょうに奥手でやっと手を握れるかどうかなのに屋敷に帰るとハーレム状態だったりとか、どうしてそうなっていったのか、ひじょうに深いものを感じたのですけど、監督ご自身は、そのへんことはどう意識されましたか?
「この小説は、人間を深く描いていると思います。ジャンダラの家の人たちというのは、本当に普通じゃない人間ばかりなんです。父クンルワンが愛もなく女の人と寝られたのは、自分の愛が成就しなかったことの憂さ晴らしです。彼は、ジャンダラの母親とは一度も寝ていません。というのは、結婚したときには妊娠中だったので機会がなかったし、ジャンダラが生まれた瞬間に死んでしまった。だから、彼の愛は成就しなかった。それで他の女たちと憂さ晴らししているんですよ。私は、このクンルワンの行動はタイ社会を反映していると思います。タイの男性は女子供を抑圧している部分があるんです。それは今も変わりません。
 なぜジャンダラが精神に異常を来たしたかについては、彼が育った環境というものを検討しなければなりません。彼はちゃんと愛情を注がれて育ったのか? そうではない。愛情を注がれることなく、欲望やセックスにまみれた環境のなかにいた人間がどんなふうに育っていくのかということを見せたかったのです。ただ、そういった彼にも自分の中に善としている部分があって、それがたとえば母親の形見の指輪、ワート叔母さん、手も繋げなかった初恋の相手であるハイシン——彼女に対しては純愛だったのですが、そういった部分も人間には必要でしょう。なぜ彼がそういった良い部分を持ちながら、家に帰ると乱交してしまうかというと、それは父親の真似なんですね。
 こういった登場人物たちを描くときに、私が思うのは、映画制作者というものは自分の中の考え方や自分自身の持っている問題というものを必ず登場人物たちに投影してしまうものだということです。だから、たとえば他の映画監督がこの『ジャンダラ』を作ったとしたら、まったく違うものが出来ると思います」
——監督がこの映画に込めたメッセージというのは、戒めのようなものですか?
「映画では誰も戒めることはできないでしょう。どちらかというと、例を挙げたと言ったほうがいいと思います。たとえば、この中に私は因果応報というメッセージを入れているんですけど、自分の行いというものは必ず跳ね返ってきます。この映画のなかで、たとえばクンルワンがジャンにした仕打ちというのは、必ず後になってジャンから戻ってきているんですね。悪行というのは必ず自分に戻ってくる、その例を挙げたということです」






——映画全体に広がる色彩の印象も強く残ったのですが、そのへんに思い入れはありますか? 主人公がカメラで写真を撮るところで、写真は光が多くないといけないというのがありましたが、そのへんの意味は?
「まず、この映画はセックスを取り扱っている映画ということで、赤や黄色などでその熱気を表してみました。ほかのエロチックな映画、フランスとかインドとかはそれなりの色使いがあると思うのですが、そういった国の映画とは違った色使いをしたかった。アジアらしい色、ひいて言えばタイらしい色を使ってその熱気を表現したかった。カメラには、いつもコスメティックという種類のフィルターをつけていました。それで撮ると、肌が少しピンクがかった感じで撮れるんです。オレンジがかった黄色のフィルターをつけていまして、そうすることでやはり欲望の熱気を表現できたと思っています。
 カメラのシーンですが、クンビーが本のことや英語を教えたり、カメラを教えたりひいてはベッドの上のことまで、すべてにおいて先生の立場であるという意味合いもあります。また、光がたくさん必要だというのは、自分の部屋に必要だということ。つまり、ジャンダラの人生に対してクンビーは差し込む光のような存在だということもあります」
——そのクンビー役のクリスティ・チョンですが、この役を探すのにたいへんご苦労されたそうですね。
「すべてのキャラクターについてあらかじめ細かい設定がしてあったんです。たとえば、クンビーだったら30過ぎの女性でマレーシアのペナンから来たマレーシア人とタイ人のハーフである、痩せすぎではなくてふくよかな女性でなくてはいけないと思っていました。
 私がクリスティを見つけたのは幸運なことでした。タイで一年間かけても受けてくれる女優がいなかったのです。初めて彼女に会ったとき、彼女は痩せていましたけど、とても魅力のある人だと思いました。この役のクンビーも魅力のある人でなくてはいけません。役の設定の年齢も似ていました。ただクリスティさんは現代的な女性だというところが役と違います。試しに髪型と衣装を合わせてクンビーになってもらったところ、ひと目見た瞬間にこの人は私のイメージどおりだと思いました。彼女には体重を増やしてもらい、肌もちょっと焼いて褐色にしてもらい、(香港の女優なので)タイ語の習得もしてもらってクンビーになりきってもらうようにしました」
——製作のピーター・チャンさんとお仕事されて、香港映画の制作スタイルと監督自身のスタイルとはどのように違いましたか?
「確かに、仕事のテンポを調整するのが最初は大変でした。香港の人は、仕事にしろ生活にしろ、ひじょうにスピードが早いんです。たとえば、朝、電話で相談した内容が二時間後にはひっくり返っているんですね。彼らは、あることを考え付いたら、すぐに答えを出せと言ってくるんです。そういうことに最初はついていけませんでした。ですから、私たちはもう一度話しあって、タイ人のライフスタイルを説明してわかってもらい、タイ人はスピードを早くして彼らに歩み寄る、香港人はスピードを落としてタイ人に歩み寄るということで調整をしました。
 そのほか、私たちの制作スタッフは、香港のスタッフのしっかりした考え方などいろいろ学ぶところが多かったと思います。香港のスタッフは、世界中に出かけていて、世界の映画産業のシステムというものをいろいろとよくわかっているわけですから。また、香港のスタッフもタイのスタッフの潜在能力に初めて気付いたと思います。私たちの能力はまだあまり知られていなかったのですが、タイにも、素晴らしいカメラマンが、現像技師が、サウンド技師がいるということが、よくわかってもらえたと思います」




——いま、アジアでもっとも活発な映画界のひとつがタイ映画界だと言われています。そのきっかけになったのが、監督が撮られた『ナンナーク』だと。ずばり、ご自身をタイ映画界のどのようなポジションにあるととらえてらっしゃいますか? そして、タイ映画の今後をどのようにみてらっしゃるのでしょうか?
「(笑)私自身は、別にタイ映画界のマフィアのドンとか、自分が偉くなったようにはちっとも思っていません。個人的には以前と同じ状態だと思っています。ただ、これからタイの映画監督たちが外国の映画祭に出品したいと思ったときにアドバイスはできると思います。というのは、彼らはタイ映画監督協会というのを作って、私を会長に担ぎ出しているからなんです。この役職について3年になります。私は、この会員たちに常に情報提供をしています。
 今のタイ映画界の状況は、よい方向に向かっていると思います。タイ映画の製作本数が2年前のの10倍(約50本)になっているんです。タイ映画に注目が戻ってくるようになりましたし、ここ20年から30年くらいぜんぜん映画に見向きもしなかった政府でさえも、映画に注目してきてくれています。というのは、映画がタイに収入をもたらすことができるひとつの商品であるという見方をしているからなのです。
 いま、私は、タイ映画のために新しい法律の制定を提案しています。これまでは映倫の審査が厳しかったのですけど、これを廃止してレートを決める(年齢制限をする)ような方向にもっていきたいと思っています。そのほか、しょっちゅう会議を開いて監督同士で意見交換をしているんですよ。皆で、数よりも質を重視しなければいけないということを常に話し合っています。もしこのまま20年30年というふうにうまくいけば、タイ映画界はひじょうにいい方向に成長していけるのではないかと思います」
——最後に日本の観客にメッセージをお願いします。
「ぜひタイ映画を味見してみてください。タイ料理がお寿司より美味しいかどうかわかりませんが、皆さんの好き嫌いに関わらず、私は来年も映画を持ってここに参ります」

執筆者

みくに杏子

関連記事&リンク

オフィシャルサイト