お客の心をそぞろ夢の中に連れて行く…
歌い手も演技者もそういう力量がなくちゃあ

『吸血鬼ゴケミドロ』でテロリスト・寺岡役を怪演(?)なさった高英男さんは、今年85歳。しかし水色のハイネックシャツに白いズボン、サングラスというお姿は、変わらない青春の香を放っているよう…。穏やかに語る映画や歌のお話には、“人生の達人”にしか醸し出せない味があった。







吸血鬼・寺岡の額の傷も、綺麗にエロティックに

−−『吸血鬼ゴケミドロ』がDVDとして復活。
「そうですね。何10年も後になって僕の動いていた姿を本人が見られるという。なんだかポカンとした気持ちで最初、聞いていたんですよ、そんなことできるのかしらと。昔の里に帰っていくみたいな気持ちで、僕としてはほのぼのとした楽しさがあった。どういう顔で昔の自分が演技をやっているのか、とても興味深々でした」
−−高さんは“寺岡”役。テロリストだけれど、ゴケミドロに身体を乗っ取られて吸血鬼になってしまう…。寺岡の額がパカッと割れるのは、衝撃的なメイクでしたね。
「あれは、僕が監督の佐藤肇さんに“こういう風にしたら”と言ったんです。そうしたら佐藤さんが“ああ、そこまで考えなかった。いいねえ、先生。これはなんとなく色気がありますよ”って言ったの。時代劇でも、ワアッと顔の真ん中を斬られるけれど、切られた部分はそれまで、あんまり映画の画面に出なかったんですよ」
−−それをあえて見せるというアイディアですね?
「それがね、ちょうど、長谷川一夫先生が本当に顔を斬られる事件があって新聞に出たんです。僕も若かったからショックを受けましてね。あの時の恐怖を『ゴケミドロ』のメイキャップの中で貸していただきたいと、そういう気持ちもありました。
 佐藤さんと“どこに傷を付けたら、一番、妖艶で睨みが効くかな”と考えていました。それで“やっぱり額がいい”と。その額の傷を僕が絵に描いて持っていったんですが、中にはかなり長い傷を描いたのもあったんですよ。だけどあんまり長くするとバランスが綺麗じゃない…。あんまりきたなくするとお客が見ませんからね。幽霊でも何でも、美男美女に描かなくちゃいけないって、昔からことわざがありますから」
−−そういえば、幽霊はみんな美人。
「そうですよ。四ツ谷怪談にしてみても。みんな美人女優がやっている。だから、寺岡の額の傷も、綺麗にエロティックに…。陰に隠れた男女のそういうものが少しでも出ていれば、恐さから少し逃れられるんじゃないかなと。そういう考えも正直言ってありましたね。恐ろしさもエロティックさもある役。やっぱりエロティックじゃないとつまらないですよ。こういうものにも“色”をつけて表現する…僕は役者としてそう思ってやりました」






脚本を読んだ時、寺岡の最後のシーンに僕は酔っ払っちゃって…

−−寺岡の服も白のスーツで、粋ですよね。
「そうしたほうがいいと思って。エロティックと同じでね。“こういう感じがこれから新しく流行る洋服かな”なんて思ったりして。衿も当時細かったのを、太くしてもらって、縫い込みで飾りみたいにしたの。それ、一時期流行りましたね。何にしろ、とにかく時代に遅れないような男じゃなきゃダメだなと…」
−−テロリストであってもお洒落に?
「そうならなくちゃならない世の中だったでしょう。写真屋さん(映画スタッフ)に憎まれないように、お世辞も使わなくちゃいけない。時代に遅れた古めかしい姿でキャメラの前に立ったって、魅力ないじゃないですか。
顔がどうか、手がどうか、足がどうか…。時代の感覚に相応した意志が、メイキャップや動きの中にあれば。そうすれば、こういう写真を撮るかたも、それに相通ずる欲望ってありますからね。それが実現できるんだから、うれしいんじゃないかと思って」
−−『吸血鬼ゴケミドロ』はホラー映画なのに、高さん演じる寺岡は、優雅でした!
「僕は、現実離れして存在感が無いから使ってくれたんじゃないかな〜と思うんです。足が宙に浮いているような感じで。メイキャップも、これ、普通だったら強すぎますよ。でも全体のバランスで見ると、割合に自然でしょ? そういうのを考えてやっていたんです。佐藤さんもそういうのを見抜いていた。だから“けっこうです”といって、何でも許してくださった」
−−最後、寺岡が倒されたあと、砂のように風にさあ〜っと消えていきますよね。あれは幻想的。
「あのシーンを読んで僕、酔っ払っちゃって(笑)。撮り始める前に“脚本を一晩貸してあげるからよく読んでください”と佐藤さんが言ったので、読んでみたんです。
“あんまり好きじゃないなあ、この話”と思いながら読んでいて“これは一番いい”と思ったのがフィナーレです。風に漂って砂が消えていくっていう…。だけど、あの演出、もっともっとロマンチックにしたほうが、人の心に何か与えたんじゃないかと思うなあ。僕はそこだけが不満で、あとは何も不満がありません(注1参照)。
 あとになってもいろいろと問題になるような、こういう作品にまた出たいですね。これに近い役で」





“色気”が無くなった時には枯れてる。
商売が商売だからね

−−高さんは、もともと有名なシャンソン歌手でいらっしゃいます。それがお芝居も始めたきっかけは?
「いや自然にです。歌い手も役者も同じだと思ってますから。歌が解釈ができて、お客の心をそぞろ夢の中に連れていける力量があったら、演技者としてやってもそれと同じようにできるんじゃないかと」
−−ところで、高さんのお好きなことばは“色気・艶・香”だそうですが、どうしてですか?
「どうしてって。商売が商売だから。そういうのが無くなった時には枯れちゃってるもん。“色気・艶・香”は扱い方によって、すごく花開くときもあるし、それがダメな時もあるし。一番勉強しなくちゃならない、一番恐い表現の仕方の三つだと思います。枯葉だって、綺麗で噛りたいような枯葉もあるし、ぐちゃぐちゃで、もうしょうがない枯葉もあるし…。でもあんまり言うと、また“いい歳しやがってスケベじじいだ”なんて言われる。僕のせいじゃないのに(笑)」
−−高さんがお歌いになったシャンソン「バラ色の人生」「詩人の魂」「ラ・メール」をCDで聴かせていただき、夢見心地になりました。とてもステキですね。
「そうですか。もう…卒業なさいよ。今までの人生、長かったですねえ(笑)。長くなって嫌だなあ、この商売もと思った。そうかと思うと“こりゃあおもしれえや。
嘘ばっかりついてる世の中だ”と思ったり。それをまた知っていながら知らないふりして、歩くのもひとつの演技者の持つ心がけだ。みんな同じまぜこぜにして、それが人生だから許していただいて。僕の人生ったら、今、お話したものを、オダンゴに丸めて、そこに海苔でも巻いて食べて。お茶でも飲んでって…」

  インタビュー&文/かきあげこ(書上久美)

執筆者

かきあげこ(書上久美)

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