記憶障害により全ての記憶を5分後には忘れてしまうグラアムと、そんな男に恋をしたイレーヌ。“今”だけを生きるグラアムとのラヴ・アフェアは、新鮮さと刺激が常に持続されると同時に、愛する人に自分のことを記憶してもらえないことの不安も常につきまとう。そんな二人の恋の行方と、過去・現在・未来を捜し求め新しい自分を見出す男のオデッセイを、ポップに軽やかに描いた大人の恋愛映画『NOVO/ノボ』。
 監督は、あの「カイエ・デュ・シネマ」誌で批評家として活躍後、『夜の天使』、『TOKYO EYES』等先鋭的な作品を発表し続けているジャン=ピエール・リモザン。その経歴から、ひょっとしたらとっつき難い方なのでは?と勝手に憶測しつつ、インタビューに臨んだのだが、当のご本人はいたってフランクな物腰の紳士で、インテリジェンスを感じさせながらも悪戯っぽい眼差しが印象的。結構甘党の御様子で、しばしチョコレートを摘みつつ、一つ一つの質問に丁寧に答えてくれた。
(撮影:中野昭次)

$navy 『NOVO/ノボ』は、2003年6月よりシネセゾン渋谷にてロードショー公開!$




Q.ここ最近、『メメント』など記憶を題材とした作品が多いですが、そうした中でこの作品は深刻な題材でありながらもポジティブで軽やかなムードが印象的ですね。今回、この題材を選ばれた経緯と、描かれるに当ってポイントとした部分をお聞かせください。

——もう何年も前になりますが、タクシーのドライバーに出会ったことがありました。彼はうなじを殴られたことから、記憶喪失を患ったことのある方だったんです。彼はそのことについて本を書いたりもしてるのですが、昔のことはよく覚えていながらも、最近のことは思い出せないという部分的な記憶障害でした。彼はまた、大の映画ファンで、朝目覚めるとお気に入りのビデオを見るのですが、5分くらい過ぎるとどこまで見たか、もう全然思い出せないんですね。それで疲れて止めてしまうのですが、翌朝目覚めると同じビデオをデッキに入れて、また同じことを繰り返してしまうことが2・3ヶ月続いたそうです。私はその話を聞きいて刺激を受け、最初は短期の記憶障害についてのドキュメンタリーを撮ろうと思ったのですが、なかなか出資してくれるテレビ局が見つからず、そのまま私の記憶の引き出しに置いてあったんです。その時の題材の一部を扱ったのが、今回の『ノボ』です。まぁ、ドキュメントの方は、今回その題材を使ってしまいましたから、もうしばらくは記憶を自作として扱うのは、もういいかなという感じですがね(笑)。
今回『ノボ』という作品を撮るにあたり一番描きたかったことは、人間の本能的な欲望と性的なものを、ポルノ的にではなく綺麗に、誰が見ても最後まで観られる作品にならないかと云うことです。それにあたり、人間の持つ本能的な欲望と性的なものを描くきっかけとして、記憶障害を用いてみたんです。その人は普通の男でありながら、一つの弱点を持ってしまったことで、普通とは違う人間が誕生しますよね。そういう風に描いてみたんです。

Q.確かにヌードの場面は少なく無いにも関わらず、作品の印象はエロティックと言うより爽やかな感じですよね。

——何よりもラブ・シーンが出て来た時に、思わず目を伏せるようなことがないように気を遣いました。裸のシーンが出てきて、気まずい思いをしなくて済むようにと考えたんです。さらに、想像力をかきたてるように工夫しました。セットやライトだけで誤魔化すのではなくて、見る側の想像力をいかにして、さらにかきたてるかを、クリエイティヴな面で考えたんです。爽やかな方が、妙に照れなくちゃいけないよりいいでしょ。あくまでも挑発的な印象を与えるシーンは、避けようと思っていたので、瑞々しくて新しいものを心がけたのです。




Q.映画の中盤で、主人公達二人が美術館に行く場面でグラアムの方が美術館の観客に、「作品から何を受けるか」と問い掛ける場面があり、その観客は「印象だ。だからそれに忠実であるために、すぐに忘れる」と言うような返事をしました。記憶を巡る物語として、一つのキーとなっている会話だったと思いますが、監督は作品を撮られる立場として、新鮮であるために忘却するということをどう考えられますか?ご自身の作品に関しても覚えていてもらうことより、その場その場の感覚のためなら、忘れられてしまってもいいと?

——まぁ、ある意味ではその通りですね(笑)。我々は見たいものを見るわけです。映画館で様々なショットやカットを、次から次へと新たに見ていくわけですが、自分達の感覚の中にそれを全て残してもいいのかな?という気はしますし、忘れてもらってもいいんじゃないかなという気持ちですよ。
映像を覚える、忘れるということもありますけど、人の名前を覚えるのもなかなか難しいことだと思っています。今回の映画で、特に冒頭のタイトルでは覚えていて欲しい名前というのは一切登場してないんです。『NOVO』という作品のタイトルだけは出てきますが、これは覚えるのに然程、難しくはないものでしょう。私は見ている人の記憶を、あまりかき乱したくはなかったんです。例えば昔のことを考えますと、有名なラスコーの洞窟の壁画とかには、一切描いた人のサインはありません。もしかすると、当時人々は名前と言うものを重要視していなかったということかもしれませんが、私自身匿名な者なんですよ。あまり名前を前面に出したくは無い。だから映画を作っている時には、そのことについて最初からあまり深くは考えたくは無いですし、忘れていくと言うのも重要だと思うんです。勿論、出来上がってからこうしてお話しをするのは、それはそれで意味があると思いますけど。






Q.今回の作品では、アコースティックなものからヒップホップ調のものまで実に多様な音楽と、リズミカルな画面の編集とが見事にマッチしていましたよね。はかなり気をつかわれたのでは?

——私も齢を重ねてきたからかもしれませんが、製作段階で全ての面で気を遣うようになりました。特に音楽もそうで、この作品では4つ乃至5つの手法で用いています。
第1に電子音楽がありまして、それは観ている人の感覚を、少しかき乱すような意味で使いましたが、外部のガチャガチャとした音を象徴するものですね。。
もう一つは、グラアムがヘッドフォンから聴いている曲がありまして、それらは全て既存の曲です。ヒップ・ホップであったり、ラップであったりですが、それらは歌詞を聴いているとテンポが速く、彼にとって記憶を留めるための治療にもなっているわけです。
3番目としてこれもやはり既存のものですが、それがあまりにも台詞とマッチしていて、あたかも映画のために作られたのかと思えるものがあります。例えば、“sex with stranger”という曲が流れる場面では、「save your bless」という一節がスッと終わって曲が切れ、少ししてから「time for sex with stranger」という一節にに移っていったりする部分は、リアルな現実と私の作ったフィクションを融合させたものであり、またここでもちょっと電子音楽の手法も用いています。
4番目として、コントラバスのような深い音があります。グラハムが子供のような寝顔を見せる場面があり、あの辺りから彼は自分の潜在意識から記憶を取り戻して行くようになるのですが、そこではコントラバスのどこかひっかかるような低音の色合いと、イレーヌのちょっと皺枯れたような声とをリンクさせてみたんです。実は、私がイレーヌ役ににアナ・ムグラリスを選んだ理由は、彼女の声に惹かれた部分が大きいんです。
最後に練りこまれ、編曲された曲があります。ドビッシューのようなクラッシックから来て、それを現代的にアレンジした曲です。クラリネットの音やチェロの音を、全てプログラムして直されたものですが、聴いている観客はある種のショックのようなものを感じるかもしれません。しかし効果的になったと思います。
でも、最後に個人的なことを付け加えると、これまで言ってきたようなことを撮影前から意識していたとは思わないでください(笑)。撮影前は全てが無意識だったと思うんです。フロイト的になるかもしれませんが、無意識に支配されるまま自由に進めていって、最後に全てが終わってから、こういう風になっていたと後になって気がつくのです。もし撮影前から、それらが全てあったとしたら、出来上がった作品はとてつもなくうるさい物になったと思います。シナリオも撮影前には、ほとんど1回しか読んでない気がします。後は実際にリハーサルが始まり、役者さんたちが練習をしているところでも聞く訳ですから、その中で自分のシナリオから生まれてくる台詞を耳にしているんです。私は大体、そういった感じで無意識に任せる傾向があるんです。あまり何もかも計算し尽くして、記憶したとおりになぞって行くやり方はできないですね。実際、アシスタントに「これ忘れてますよ」とかってよく言われるんですよ(笑)。




Q.お話をうかがえばうかがうほど計算されていて、とても後から思えばという感じではないのですが、基本は感覚ということなのですね。またあらためて、私も感覚のままにこの作品を見てみたいと思います。最後に先ほどもちょっと出ましたが、今回主役の二人にアナ・ムグラリスとエドゥアルド・ノリエガを起用した経緯に関してと、これから作品を見る観客へのメッセージをお願いします。

——私自身はあまり演劇を見る習慣が無かったもので、フランス人の俳優さんについてよくは知らなかったんです。だから最初はキャスティング・ディレクターに任せて、オーディションを行ったのですが、中々自分のイメージに合う役者さんに出逢えなかったんです。それで彼との契約はやめ、他の映画監督が作った作品から探してみようと映画館に通うようにしました。そうして、ウルグアイの監督の作品でエドゥアルドと、クロード・シャブロル監督の作品でアナと、それぞれ出逢ったのです。先ほども言いましたが、アナはその声に惹かれてキャスティングしました。
私から見ると、エドゥアルドは天使のような美しさを備えていて、一方アナは悪魔のような美しさを持った人だと思います。天使と悪魔の間のラヴ・ストーリーを考えるのはとても楽しかったですよ(笑)。
ですから作品を見てくださる方には、スペインの天使のような男と、フランスの悪魔のような女との間の恋物語を、是非発見して欲しいと思います。

本日は、どうもありがとうございました。

(2003年4月 ギャガ・コミュニェーションズ本社にて)

執筆者

殿井君人

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