作品のタイトル『BULLY』は“いじめっ子”という意味である。1993年、7月14日。南フロリダではボビー・ケント殺害事件が起こった。殺人者は彼の仲間だった七人のティーン・エイジャーたち。その中には親友のマーティ・プーチョも含められていた。彼らはいじめっ子だったボビーを嫌うあまり、ナイフで刺殺し、川に投げ込んで、ワニの餌にしようとしたのだ。この衝撃的なニュースは、すぐに全米をかけめぐり、コロンバインで起きた高校生による銃の乱射事件とならんで、アメリカ中に衝撃を与えた。大人には理解できない独自の倫理観と価値観を持ち、最後は殺人へと走ってしまうティーンのひとりを演じた、ブラッド・レンフロ。彼は被害者ボビーの親友,マーティを演じる。実在のマーティの写真をもとに役作りにはげみ、これまでのイメージを破る大胆な演技で大人の俳優への成長をみせる。

★『BULLY』は5月、シネセゾン渋谷にて<衝撃>のロードショー!!







ーーー監督のラリー・クラークさんとの仕事はどうでしたか?
「一緒に仕事をして楽しい素晴らしい監督でした。アイデアも豊富で色々な意見をさかんに出していました。彼に会ってびっくりしたのは、作品のイメージが強かったので非常によくおしゃべりになることにびっくりしました。彼の作品と実際の彼にはみなさんもお会いになったらびっくりすると思いますよ。僕はそうでした。」

ーーー今回アソシエイト・プロデューサーをされていますがどのような経緯でそうなったんですか?
「僕がアソシエイト・プロデューサーをすることになったのは、製作総指揮のドン・マーフィさんによるところが大きいです。彼とは以前『ゴールデンボーイ』でも一緒にお仕事したんですが、私は撮影の一ヶ月前から現場に入りましていろいろアイデアを出したり、お手伝いをしていたんですがそれが評価されて今回アソシエイトプロデューサーを務めることになったわけです。」

ーーーアイデアを出したり、というのは具体的にどういうことですか?
「今回監督から、僕とニック・スタール(注:殺されるいじめっ子役)に身体を鍛えるようにという指示があって僕ら2人とも身体をつくったわけですが、結果的にいじめられる僕の方が身体が大きくなってしまったんです。それを、肉体的に勝るという点ではなく、精神的にいじめられれている、というようなアイデアを出しました。あと、映画の後半で僕が弟にピアスをあげるシーンがありますが、それも撮影の直前に監督と話し合って、弟になにかあげるのはどうか?というふうになりました。」

ーーープロデューサーをしたことで役者としてもスタンスになにか変化というのはありましたか?
「正直いって、質問されるまで自分がアソシエイト・プロデューサーというのを忘れていたくらい役者としての自分に影響はありません。」

ーーーこの映画にはセックスやバイオレンスシーンが描かれていますがそれによってのアメリカの検閲についてはどう思いますか?
「そういう描写があることでアメリカでは18歳未満が見られないことになってしまいましたが、ビデオを出すときには再編集することになりました。しかし、私は監督を尊敬していまして、けしてお金のために作品へのアート性を妥協されるような方ではないんです。作品のためには性描写やバイオレンス描写もきちんと撮るんです。いわゆるハリウッド型の監督ではないんです。そしてこういった実際に起こった事件を映画化するにあたっては、やはりリアリズムは重要になってくると思います。この映画には原作があるんですが、その本の中にも同じくらいの性描写、バイオレンス描写があります。もし、原作にそういったシーンがないのだったら僕もそれをあえて表現するのはどうかと思いますが、原作もそうだったので僕は疑問を感じないで演じました。」








ーーー今までの出演作をみても非常にハリウッド的ではないリスキーな作品が並んでいると思いますが、それはそういった作品の方がご自分の素質をいかせると考えているからですか?
「そうです。僕はロマンティックコメディに出演したらきっと飽きてしまうと思います。けして自慢しているわけではないですが、僕なりの演技力ではこういった役も演じれると自負してますし、僕自身もこういった役に興味があるからです。人間は死んだあとも尊敬は残るので、僕はそ俳優してしっかりとした軌跡を残したいと思っています。おかげさまで僕は今、食べるものもあるし、住む家もあります。別に俳優だからといってジャガーを乗りまわしたり、豪邸に住む必要もありません。僕は自分が芸術性があると感じたものにこれからも出演していきたいと思っています。」

現在来日をキャンセルされる俳優が多い中、今回来日を中止されなかった理由はありますか?
「僕はこの作品を大変誇りに思っているからです。日本は三度目ですが本当に日本が好きなんです。多くの俳優が来日をキャンセルしているのは知っていますが、僕はそういった戦争にまつわるプロパガンダに惑わされたくないんです。テロを恐れて一歩も外に出ないのはテロリストたちの思惑にどうりになってしまうことだと思います。」

ーーーおでこにバンソウコウを貼ってありますがどうしたんですか?
「インディーズに自分のバンドを持っているんですが、練習中にベーシストのベースがあたってしまったんです。ベースはすごい重たいから。それをもろに頭にあたってしまいました。」

ーーー今後ろを向いたときに見えたんですが、スーツの腕の縫い合わせのところがやぶけていますが・・・
「気づかなかった!本当はすごく恥ずかしいけど、恥ずかしくない振りをしよう!最新ファッションですって言えばいいかな?僕はスーツをもっていないから、この服はバンドのメンバーから借りてきたんです。ワンサイズ小さかったから破けてしまったんだと思います。」

ーーー最後にメッセージをお願いします
「何かモラルを押し付けたりするような映画ではありません。僕が思うのは、アメリカでは親子の対話がないんです。反抗されないように欲しいものを買い与え、彼らが何を考えているのがどういう子なのかなんて知ろうともしない親が多いんです。アメリカでのキャッチコピーは“午前四時半、あなたは子供がどこにいるのか知っていますか?”というものでした。この映画は親たちへ向けた映画でもあると思います。幸いなことに僕は親との会話が十分にありました。僕自身はおばあちゃんに育てられてはいましたが、ちゃんと親と会話をする機会はありました。今のアメリカのとくに中流家庭は親が子供と真剣に話しをする機会がないようです。子供たちが影響をうけるのは親からではなく、暴力的な歌詞を歌うラッパーであるとか、暴力的な描写がある映画であるとかです。そして親たちは子供が何をしているのかまったく見当もつかない。もっと子供たちを話をしてあげてほしい。というメッセージがこの映画にはある思います。あ!この次来日したときは、必ずスーツを買ってまた来るようにします。これは約束です!」

執筆者

綿野 かおり

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