パトリス・ルコント監督の真骨頂ともいうべき至上の恋愛物語『歓楽通り』。昨年の12月にも、披露試写会出席のためだけに来日し舞台にたつなど、その作品への思い入れと親日派としての横顔を強く印象づけたルコント監督が、1月に作品のキャンペーンのため再度来日を果たし、合同取材が開催された。
 眼鏡越しにちょっといたずらっぽく好奇心に満ちた視線を記者達に投げかけながら、一つ一つの質問にユーモアを交えつつ真摯に応える姿が実にチャーミングだったルコント監督。フォトセッション時にも、見果てぬ愛を捧げるプチ=ルイに変わって、マリオンの衣装をなおして、はい、ポーズ!。

$navy ☆『歓楽通り』は、2003年3月1日(土)よりシネマライズ、チネチッタ川崎にてロードショー公開!$







Q.ファム・ファタル役にレティシア・カスタをキャスティングしたポイントは?
——随分前にテレビを見ていると、レティシアがゲストとして出演していて、仕事について等を語っていました。その時の彼女の受け応えがとても自然で素晴らしいという印象が、ずっと自分の中に残って、その時から機会があれば仕事をしたいと思っていました。それで、この企画が動き出した時に、彼女のことを思い出してオファーしたんです。

Q.プチ=ルイの回想と、三人の娼婦たちの回想との二点から語られていきますが、その狙いは?
——二種類の回想がナレーションという形で登場しますが、自分自身の幼い頃を回想するプチ=ルイの回想が作中では重要なもので、三人の娼婦による回想は、ギリシアのコロスのような感じで用いたものです。

Q.ヒロインの望んだ運命の男が、危険な香りのする男だったのは何故でしょう?
——ディミトリはプチ=ルイと全く逆のキャラクターではならないと思いました。プチ=ルイは、心優しく誠実で愛する者を裏切ることのない男性です。そんなプチ=ルイと全く正反対の男性で、言っている事は決してあてに出来ない、虚飾の世界に生きている男でなければならなかったのです。

Q.ルコント監督のヒロインは、若さと美の絶頂で死んでしまうことが多いですが、それは監督が女性の美しさを儚いものと考えられているからでしょうか?
——実際の日常で、美しい女性が若くして亡くなることは悲しすぎると思いますから望みません。けれど、映画の中での儚さや悲しさは、よりロマンチックになるものだと思います。

Q.ルコント監督の映画の中での男性は、プチ=ルイのように見返りを求めない愛を捧げることが多いですが、それはフランスという国の恋愛スタイルが影響しているのでしょうか?
——フランスの恋愛スタイルとは全く関係無いです。これは自分自身の感情の中での愛の形だと思っています。男性が自分のパートナーに対して、ひじょうに強い愛情をいだいていて、それが一方方向で見返りを求めないというあり方は、自分にとって感動できるのです。逆に女性の方の感情が激しいこともあると思いますが、自分の場合は男性の感情の激しさの方に魅力を感じます。こういう愛の形は、神秘的であり、古典的でもあると思います。『シラノ・ド・ベルジュラック』に出てくる愛の形がまさにそれで、『歓楽通り』は売春婦の世界での『シラノ・ド・ベルジュラック』だと思います。

Q.恋愛は成就するばかりが幸せではないと御考えですか?恋愛観に関して、もう少しお聞かせください。
——一方方向の愛は、日常生活であったなら耐えられないことだと思います。『歓楽通り』は映画の世界であるということを、認識する必要があるでしょう。自分の実体験の中で、作中のような愛があるとしたならば、これはもう耐えられないことです。映画の世界と実生活は混同すべきではないし、別物だと思っています。映画は実生活の中で感じられる感情等を、より強調して描くことができるものだと思います。実生活では、全く愛してない人から愛を告白されたり、見返りの無い愛を生きることはありえないかもしれませんが、映画ではありえるのです。

Q.劇中でレティシア・カスタが歌う選曲の基準と、起用に関して彼女の歌唱テストのようなことは行ったのか、お聞かせください。
——選曲の基準は、誰もが知っている曲よりも、この映画で皆さんが新たに知るような曲をと考えました。ですけど、劇中で歌われた歌はモーリス・シバリエの歌で随分古くからある曲ではあります。
マリオンが劇中で歌うことに関しては、レティシアには本人が歌ってもいいし、他の人がふきかえてもかまわないと話したところ、彼女は是非自分で歌いたいということでした。そこで歌ってもらうと、正直最初は聴くに耐えない有様だったのですが、彼女は2ヶ月間レッスンを受けた上で撮影に望んでくれました。結果的には、美しい歌声になったと思います。劇中のマリオンは歌手デビュー前の役ですから、少し不器用さが残っているのも丁度よかったと思います。









Q.プチ=ルイ役にパトリック・ティムシットを起用した理由と、彼の魅力についてお聞かせください。
——パトリックとは今回が初仕事ですが、以前から友人同士で、いつか一緒に仕事をしたいねとは、常々話していたんです。それで今回の企画が持ち上がった時に、プチ=ルイにはパトリックこそが、まさに適役だと思ったのです。それはパトリック本人が、プチ=ルイが持っているような子供っぽさとナイーブさ、善良で誠実さを持っているからです。彼の視線だけを見ても、プチ=ルイの視線と重なるところもあるのです。

Q.レティシアは一児の母だけあって、母性に溢れる役立ったと思いますが、これは監督の意図したことでしょうか
——正確を期すために申し上げると、レティシアは撮影中に妊娠したのであって、撮影前は妊娠してませんでした。どういうわけか、僕の作品に出演する女優さんは撮影中に妊娠することが多くて、レティシアもそうですし、ヴァネッサ・パラディやジュリエット・ピノシュも撮影中に妊娠してるんです。でも、父親はいずれも僕ではないですよ(笑)。
レティシアは撮影時には母親になっていませんでしたが、彼女自身がいつもにこやかで柔らかく優しい人なんです。正確も優しく、輝きのある女性です。それに対してマリオンは、固さを持っていてほとんど笑わない暗い影を持った女性です。ですから撮影中、僕が彼女に常に働きかけたのは、マリオンは決して優しくない、むしろかたくなな人物であることを呼び起こすことでした。彼女には若かりし頃のマーロン・ブランドを想像するように話たのです。

Q.自然な気持ちを保つため、撮影前にキャスト同士が話さないように指示を出されたとのことですが、それはルコント監督の作品ではいつものことなのでしょうか?また、オリジナル脚本に監督が修正を加えられたのはどのような部分でしょうか?
——撮影前には衣装合わせ等のほかに、脚本読みをする監督もいますが、僕はあまり好きではありません。撮影の時こそ重要で、事前の脚本読み等にはそれほど効果があると思えないからです。今回も作品のために3人をあわせようとは、考えておりませんでした。もっとも、個々人があう分には全く差し支えないと思いました。
脚本のセルジュ・フリードマンとは『橋の上の娘』『パトリス・ルコントの大喝采』などで書いてもらっています。彼は一人で書くことを好むタイプのライターで、彼が書きあげてからあらためて注文点等を話します。今回も同様の経過を辿ったわけですが、ものすごい修正加えたわけでもなく、どのくらいを修正したということは言えないですね。沢山の話をしながら、細かいところを少しづつ直していく感じの作業です。例えば同じ物語を5人の脚本家がそれぞれにシナリオ化すれば全く別のスタイルの作品になると思いますし、またそれを撮る監督によっても全く別個の作品になるのです。、

Q.監督さんが一番気に入られている場面はどこでしょうか?
——作った本人としては全体で一つの作品ですからとても答え難い質問なんですけど、自分が好きなイメージというのはプチ=ルイがマリオンを後ろに乗せてバイクで走る場面がシンプルながら、二人の信頼感や感情を感じさせる印象的な絵だと思います。もう一つは、映画の最後の方でディミトリとマリオンが結婚する件の結婚式で、マリオンがプチ=ルイを誘ってダンスをする場面が大変好きです。

執筆者

宮田晴夫

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