「私は、25年間コメディアンをやっています。それから、映画を作り始めました。元々コメディアンですので、笑っていただかないと困ってしまいます」
 東京国際映画祭「アジアの風」部門を上映するシアターコクーンの舞台で、そう挨拶してティーチインを始めたのは、シンガポール映画「僕、バカじゃない」のジャック・ネオ監督。この映画は、今年のシンガポールで大ヒットを記録した。
 落ちこぼれクラスの3人——口うるさい母と社長の父と裕福な暮らしをするテリー、広告会社のサラリーマンの父と教育ママと暮らすコクピン、屋台の麺屋の母を手伝いながら頑張るブンフクは仲が良い。が、それぞれに問題を抱えている。コクピンは絵が得意だが、ママには理系の成績を期待されてノイローゼ気味。テリーのママは、テリーに事勿れ主義を叩き込む。そんなある日、テリーとブンフクが誘拐されてしまう。
 軽いタッチで笑いを盛り込みながら、シンガポールの教育問題やシンガポール社会・シンガポール人を皮肉るネオ監督。ティーチインでも笑いを忘れずに提供してくれるサービス精神を発揮。彼自身の持つコメディ映画観のよくわかるティーチインだった。(10月29日開催)




——干し肉味のチューインガムが出てきましたが、本当にあるのでしょうか?
「いいえ。これは私たちの夢です。ご存知かどうかわかりませんが、シンガポールでは、現在、チューインガムは法律で禁止されています。我々にとってはチューインガムは懐かしいものです。“干し肉”という言葉は中国語でチューインガムに似ていると思います。しかも、食べるときにチューインガムのように噛むのです。この映画がヒットして、多くの人が『干し肉味のチューインガムをください』と買いに行ったそうですよ。干し肉は祝いの席で食べるものですので、中国人にはいい思い出があると思います」
——学校のところでEM3とかEM1というものが出てきました。シンガポールの学歴システムについて教えてください。学歴信仰はアジア共通だと思いますが、シンガポールではこのような傾向はこれからも強まると思われますか?
「学歴社会がなくなるように努力したいと思うのですが、まだ続くのではないでしょうか? ご存知のようにシンガポールというのはひじょうに小さな国ですので、効率的にいろいろな教育をする必要があります。それで、いわゆる賢い人たちをEM1というクラスに入れてエリートコースを進ませ、遅れ気味の人たちはそれなりの職業にという、残念ながらそういう形になっています。当面、そのような学歴システムはなくならないと思います。この映画の成功をきっかけに、議会でもかなり論議されました。ですが、それでも変わらないと思います」
——主役の坊やたちがとっても可愛くて、内容は違いますがアメリカ映画の「スタンド・バイ・ミー」をふと思いました。監督の頭のなかでは、何かそういう作品をモデルにした部分はあるのでしょうか?
「じつは、私は『スタンド・バイ・ミー』を見ていなかったんです。友達が『似ているよ』と言うので、撮り終わってから見ました。少年たちの友情話だし似ているとは思いましたが、こちらのほうが大人との愛とかそういうものが含まれていると思います。
 ところで、私は、この映画でシンガポール人の国民性を出したつもりでいます。テリーたちに似ていて、シンガポール人の国民性というのは物事を自分で決定しないということです。多くのシンガポール人が『テリーは自分なんだ、それじゃいけないんだ』と気づいて欲しい。テリーは最後に自分で決断するわけですけど、それをシンガポール人へのメッセージとして『あなたたちで考えて決めてほしい』と言ったつもりです。
 この映画は、二層構造になっています。表面的には友情物語ということで、あの少年たちが成長する。で、笑ってもらえればということですけど、もうひとつ奥では——あの映画の中で親が子供に言っていることは、政府がシンガポールの国民に言っていることにひじょうに似ています。つまり、母親がいろいろなことを言って、最終的に『あなたのためよ』と言うのは、政府がいろいろなことを規制しては『国民のために我々はやっているんだ』と言う、まさにそのままオーバーラップするんです。私は、子供のころ、本当に飲みたくないスープを『飲みなさい。あなたのためになるのよ』というふうにいつも母に言われていたので、私としては、そういうことを分かって欲しいと思いました。映画のなかで母親が何か言うと、観客が本当によく笑っていたので、親子関係が国と自分との関係だとわかってくれているのかなと思いました。実は、ディティール的にあきらかに政府を揶揄する部分があったのですけど、たいへんありがたいことにどこもカットされませんでした」




——作品の中に、わりと言葉の世代のギャップがとても感じられたのですが、シンガポールでもういう現状はあるのでしょうか?
「それは深刻な問題で、多くの人たちは英語と西洋文明だけを学べばそれでいいんだと考えています。私は、中国語を大事にしなければならないと思うんです。なぜならば、私たちは中国人というルーツを持っています。最近ではアメリカなど海外の人が中国に入って中国語を学ぶという傾向があるわけですから、我々としては中国人として言葉を守っていきたいということを伝えようと思いました」
——シングリッシュとイングリッシュの違いを教えてください。
「政府は必死にまともな英語をと指導しているんですけど、シンガポール人はとにかく忙しくて、だらだらしゃべっていられないのです。シングリッシュというのはなんでも短く手早く、文法を気にしないでシュシュシュシュッとしゃべるんですね。シングリッシュでは世界ではコミュニケーションできないのですが、逆に言えば、シングリッシュ以外にシンガポール人であるというアイデンティティがないという考え方もあるわけです。いろいろな民族がシンガポールにはいるわけですけど、シングリッシュだけは共通なので、今は、日常の自分たちの会話ではシングリッシュをしゃべり、学校ではきちんとしたイングリッシュで世界とコミュニケーションする2本立てです。シングリッシュは、英語だけではなくて、たとえば中国語だとかマレー語が入ったり、いろいろな言葉が組み合わさったものです。皆さんもシングリッシュを習ってください。皆さんが習ってくだされば、私と手短に会話できます(笑)」
——次回作は? この映画で少年たちを誘拐した犯人はおそらく中国大陸からやってきて、社会的弱者として犯罪に走らざるを得なかったと思いますが、そういった社会的弱者を通してシンガポールを描いてみようというような構想はないのでしょうか?
「中国本土から来た人は、働くのも簡単ではなくて本当に苦労していて、そういうなかで家族のために一生懸命働いています。私としては、そういう現状を、できればこの映画のなかでも反映させたいと思いました。シンガポール人は、どうも大陸から来た人を見下すという傾向があります。彼らは本土から異文化の土地に来ているわけですから多くの問題になっていることも事実なのですが、そういう階級差のような認識というものをできれば排除させたいという意識もありまして、ああいう形で登場させました。
 次回作ですが、イラン映画『運動靴と赤い金魚』(マジッド・マジディ監督)の権利を買いまして、これをシンガポールからマレー半島を舞台にして映画化したいということで脚本を書き始めました。タイトルは”home ground”というタイトルになります。
 本作の少年たちなんですけど、シンガポールはとても狭く子供がひじょうに少ない。この中のテリーを演じたのは、台湾の子なんです。シンガポールにはあまり太った子がいなくて。どうも“太った”というのは“あまり利口でない”ということに繋がっているみたいです。大事なのは賢くて、でも、太っていて、賢くないところで演じなければいけないので、本当に賢くないといけない。そういうところで私は苦労して苦労して彼を見つけました」

執筆者

みくに杏子

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