17歳の日々をおくる少女モン・クーロウを中心に、十代の少年・少女の揺れる気持ちを一夏の風景の中で描いた、イー・ツーイェン監督の劇場作品第2作『藍色大門』は、同世代の者がそのキャラクターの見せる感情の機微に思いを同じくするのは勿論のこと、17歳という時間を過ごしたことがある者ならば、誰もが自分もそんな時期があったこと(たとえ本作のように美しいものではなかったとしてもね)を思い出さずにはいられなくさせるような、第15回東京国際映画祭上映作品中でも、最も爽やかな感情を喚起させてくれる秀作だ。
 今回の映画祭参加には、イー監督と主人公のモンと、彼女が自分でも諮りかねる思いを寄せるチャン・シーハオにそれぞれ扮し、初々しい映画の魅力に貢献したグイ・ルンメイとチェン・ポーリンが来日をはたし、公式上映終了後の30日には記者会見に参加した。現在台湾の大学に在学中というグイは、こうした場にはそれほどなれていないのか、ちょっと緊張気味だったが、背筋の伸びた姿勢のよさと意思の強さを垣間見させる真っ直ぐな瞳が、スターへの資質を感じさせる。また台湾ではテレビ、音楽等でも活躍中というチェンの方は、記者席に向かって視線を送ったり手をふったりと、流石アイドルといった風情だった。

$navy ☆『藍色大門』は『藍色夏恋』の邦題で、2003年初夏シャンテ・シネほかにてロードショー公開予定!$








Q.イー監督に、多くのオーディションを重ねたそうですが、二人をキャスティングされた最大のポイントは?
イー・ツーイェン監督——皆さんご覧になってお分かりだと思いますがこの2人は、映画俳優の条件である美男美女であること、観客に深い印象を与える魅力といった基本的な条件が備わっていることです。さらに私が3000人の中から彼らを選んだのには、二つの条件があり、一つは彼らは自分の感情にとても正直であったことであり、もう一つは非常に勇気があって、自身によって自分とは全く違う人間を演じることに何の躊躇いもみせなかったのです。

Q.初主演のお二人に、ご苦労された点と感想をお願いします。
チェン・ボーリン(チャン・シーハオ役)——一番大変だったのは、恥ずかしいという気持ちを克服することで、なかなか最初はなれませんでした。たくさんのスタッフの前で、自然に演技することは難しかったし、特にプールのシーンで、ぴっちりした水着をはかなければならなかったことは恥ずかしかったです。
グイ・ルンメイ(モン・クーロウ役)——やはり心理抵抗を克服することが大変でした。特にたくさんの人の前で、恋愛感情も持ってない相手とキスをすることは辛いことでした(笑)。他にも辛い場面では、自分のかっての経験を活かすようにと言われるのですが、それを自然に演技に出すのは難しいです。

Q.主演のお二人は、演じられていてご自身の17歳の頃の思いと近いものがありましたか?
チェン——実は、あの撮影をしていた時は17歳で、撮影中に18歳になりました。だからまさに自分の高校時代とピッタリだったので、そのとおりでした。
グイ——私も撮影中は17歳で、映画の中のたくさんのセリフは、私も実際に話しているようなことでしたし、親友である女の子ユエチュンとの深い友情も経験があります。ただモン・クーロウが映画の中で抱えていたような複雑な感情は、私には無い部分もありましたが。










Q.映画の方は大変楽しませていただきましたので、コンペ対象外というのが残念です。そのことに関して、監督のお気持ちは
イー監督——私個人としては、コンペに入れないこと、そして他のいかなる賞ももらえないことは大変残念です。ただ自分にも、二人にも言ったのですが、物事の本質を重要視しようじゃないかと。それが元々自分が映画を撮りたかった理由ですし、この作品のおかげで世界中様々な国へ行き、たくさんの観客の方に私の感じたこと、考えていることをわかってもらえるということは嬉しいことです。ですから、賞の対象から外れたということの責任の所在を追及したいとは思いませんし、本質的な部分として、東京国際映画祭で沢山の観客の方に、作品にふれてもらえたことを喜びたいと思います。

Q.台詞が非常に自然でしたが、即興で変えたりしたのでしょうか
イー監督——即興で行ったシーンは結構ありましたが、そのための準備はかなりつんでいまして、その上で時間が許す場合は即興を採用したのです。二人とも演技は初めてですから、やはり何もしないで任せっきりというわけにはいきませんし、現在の台湾映画の現状ではそういう贅沢は許されませんから。

Q.監督はモン・クーロウという少女の気持ちを、同性愛として描こうと思ったのでしょうか。それとも、この時期にある恋愛と友情が曖昧なものとしてでしょうか?
イー監督——ここ数日、インタビュー等で同じ質問を多くの方から受けました。私は人間関係を見るときに、あまり単純に一つの言葉で括ってしまうことはありません。そんなに簡単なものでは無いと思うのです。同性愛か異性愛かということにも、簡単に結論づけたくはないと思っています。特にモン・クーロウとチャン・シーハオの関係は、これまで存在してきた言葉では表現できない関係ではないかと思うのです。男と女の関係でもなければ、単なる友人関係でもありません。もしかしたら、その中間くらいなのかもしれません。でも恋愛関係が無いわけでもないという関係だと思うんです。モンとユエチュンの関係ですが、確かに同性愛的な感情もシーンもありますが、二人をそのままレスビアンとは言い切れないと思うのです。映画の最後の方でモンの「私は今後どうなっていくのかわからない」という台詞がありますが、この映画は一人の女の子が成長の過程で自分とは何かを発見していく物語だと思うのです。彼女がそれをわかるのは、3年後、5年後、30年後、50年後になるのかはわかりませんが、そういう作品だと思っています。台湾ではこの映画がヒットしたものですから、数年後の彼らを描きませんかという話があるのですが、本人ですらわからないのに、私が彼女の将来を描くことは出来ないと思ってますよ(笑)。

執筆者

宮田晴夫

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作品紹介
東京国際映画祭公式頁