映画の撮影現場を描いた「ラストシーン」。映画の黄金期の終末の1965年と2000年の現代の物語を織り交ぜながら、映画の世界に幻滅している小道具係のミオと、かつてのスターだった三原健との出会いを通して、映画への熱いオマージュがあるこの作品は「女優霊」でも撮影現場を描き、監督作品は「リング」「仄暗い水の底から」始め、次々とハリウッドリメイクされている中田秀夫監督。

中田秀夫監督のこの新作について、自身もアニメとはいえ宮崎駿監督の下で制作をしていた作家の木原浩勝氏と共に語ってもらった。映画への愛情と共に、どんな人生にも共通する”何か”がそこにあった。

11月9日(土)よりテアトル新宿にてロードショー!!





★涙の理由〜物を作る人間の気持ち

木原
映画、観ました。本当に良い映画でした。

中田
ありがとうございます。

木原
僕も映画が作りたくて、それでいて当時の映画に親しめなくて、結局アニメーションという道を選んで、宮崎駿の下に5年いた訳ですけれど、制作システムそのものの違いを承知していてもそれでも、現場の中身、劇中劇のような引き込まれるようでした。僕はアニメーションの現場にいただけで、プロの実写の現場にはいませんでしたが、集団作業として物を作る人間の気持ちや壁、悩みというのは皆、同じなのだなと。

中田
うんうん。

木原
ラストシ−ンで、ミオが涙を目に一杯浮かべますね。僕が初めて劇場長編映画「天空の城ラピュタ」という作品の制作をやった時の事ですが、ラッシュを観て、0号試写も観ていたのにもかかわらず、スタッフ全員で劇場を貸切にして、完成上映会をやった時に、一番後ろで壁にもたれて観ていて「これで映画が終わったんだ」と思った瞬間に、涙が止まらなかったんですよ。哀しいから泣いているのでもなく、嬉しいから泣いているでもなく。映画が好きで映画の裏方をやっていましたが「俺は何をやっているんだろう」と迷う事ばかりで、やめたいと思う事もあった。大阪から映画の仕事がやりたくて出て来て、なかなか職につく事が出来ず、何もない部屋に一人でいた時、これでいいのかと考えた時の事を思い出してしまって。後にも先にも映画が完成して泣いたのはあの時だけでした。決心をした時の何がそうさせたのか、自分でも未だに答えは出ないのです。
時は流れて行くのだけれど、自分の思いはスタジオに置いて来たと言うのか、映画を観ながら、監督の演出意図とは別に様々な事を考えてしまったわけです。時として主人公よりも主人公の後ろにいる人達の気持ちがわかったりとか。カメラを覗いている人ではなく、カメラの脇にいる人達の目の方が僕はわかるという事がありました。一回しか観なくても一回でわかる映画だと思います。

中田
ありがとうございます。





木原
ミオが一番綺麗に撮れていたと感じたのが、公園で写真を撮るアップカットでした。それ以外は現場での悩みを抱き続けた女の子と映りましたが、あのカットだけ女性らしさを感じました。相手を見詰める視線に温度があります。パンフレットに目を通すと、あそこが一番お気に入りだという事でしたね。

中田
映画のキモだと思うんで、実際の映画の現場は物凄くわさわさしていて・・天気が悪くて時間も押していたし。でもあそこは物語上の大事な映画人のスピリットがある場面で、偶然逢った二人で世代的にも開きがある二人、元大スターと映画スタッフという。彼女は基本的にはジョニーさんの話を聞くという役割が大きいのだけれど、でもやめようと思っているという事をはっきり言う「くだらないからやめたい」と。それに対して彼が言葉を返す。それが最後のシーンに繋がるわけで。重要だなと思ったし、力も入ってました。僕も木原さんと同じで一番好きなんです、あそこの麻生君が。カメラの角度がいいとか色々あるでしょうけれど、彼女自身がその気になってくれたというのが、一番大きいと思います。

木原
不思議にあそこだけ独立して見えるほどに、いい顔してる。

中田
そうですか(笑)

木原
ジョニーさんが、久々にスタジオに入った瞬間に上のライトの方を見て、ほんの一瞬、すっと背筋を伸ばしますよね、前屈みだったのが。これは監督が演技を付けられたのですか。

中田
背を伸ばして下さいとは、僕は言っていないんです。ただ、子供の頃のリフレインだと、ライトの方を見てくれとは言いましたね。元々ジョニーさんはあんなに背中は曲がっていないわけですが、ずっとそういう工夫をしてくれていたので、あの時だけ・・ご自分でされたのかもしれません。

木原
この映画では、描こうとした世界の背景には、随分、基礎取材をした様子が見て取れたのですが。監督の「こういうエピソードを入れたいんだ」というのは、幾つか散りばめられているんですか。

中田
僕が東映や日活の撮影所で見聞きしたエピソードをどうこうというより、脚本の若い二人に、アメリカの昔の「スタァ誕生」や「アメリカの夜」を見てもらって、そこからインスパイアされたものを書いてくれと。実際インスパイアされたものを書いてくれているし。それとプラスアルファで、舞台は日活ですから、日活だという売り方はしないものの、宍戸錠さんは出て来るクリップが出て来ますから、見る人が見ればばれちゃうと思いますけれど。ちゃんと1965年当時を知っている俳優やスターさん達の仕事の調整をやっていた人が今日活芸術学院で先生をやられているんですね、その方に二人がリサーチをかけてくれて、こっちはこっちで70歳代のキャメラマンにリサーチした物を彼等にあげたし、プロデューサーの一瀬さんは、今の現場、かなりカリカチュアは入っていますが、医者物のドラマでこういう人がいたよとか。脚本作りは四人でかなり粘って、一瀬さんもかなりこだわって直しましたが、主として脚本家二人がオリジナリティを発揮して書いてくれました。






★15日間で撮影出来た理由〜「朝8時から始める」

木原
撮る時に一番気をつけていた事は何でしょう。

中田
うーん・・まずは、昔と今の落差を付けるという事ですね。昔は結構リキが入っている撮影をしている、今は脱力してる。構成的な事ですけれど、真中部分で相当いい加減に見える撮影をやっていて、最後に世代の違う二人の映画人が魂のバトンタッチを、こう・・偶然出会った二人が、奇跡的に。それと「スタァ誕生」にあるような壊れた夫婦が、彼が最後にちっちゃな仕事をする事で関係を修復して終わる。ですから、その部分はメロドラマというかな。バックステージの映画人と夫婦としてのメロドラマ、この二つを最後に際立たせる為にどうすればいいかという事が、気をつけていた事でしょうね。僕にとっては、ここは色々反論する人は多いでしょうけれど、やっぱりストーリーテラーというか、物語をきっちり映像と音で語るという事が僕のまずの役割だと思うので、それで物語上のテーマがそこにあるとすれば、その前をどうしたらいいか・・脚本の段階で僕はかなり考えちゃうんで、撮影の時は押せ押せですから。これも15日で良く撮ったなと。

木原
これを15日で撮ったんですか。早いですね。

中田
15日しか撮れないバジェットだったんで。ただ「女優霊」の経験があるので、移動しなければやれるんですよ。場所移動のロスがないので。普段の撮影所は9時始まりなのを8時にして、午前中でかなり稼ぎました。昼飯後はどうしても能率が落ちるので、午前中にどれだけ撮れるかが、タイトな時は勝負なんです。

木原
なるほど、それが秘訣ですか。

中田
キャメラマンが日活出身の前田さんで、昔堅気の方ですから、7時半には現場に入っている、そうなると僕も7時25分には来ていなくちゃいけなくて。そうすると8時には「よーい、スタート」と言っているわけです。それもあって、午前中が凄く有効に使えました。それで取れてしまうと、一瀬さんが「何だ、やれるじゃないか」と、又・・(笑)

木原
それなら次もそれでと(笑)

中田
「タイトな方が中田にはいいんじゃないか」とチーフ助監督と話しているらしいです(笑)

木原
恐い話ですね(笑)

中田
(笑)






★鏡のある理由〜「スリーショットが撮りたかったんです」

木原
夫婦の話という事ですが、最期に奥さんが一言言おうとしてそばにいて、言えないままにずっと。おそらくご主人のそばにいて、その気がないから見えなかったものが、その気になった時に「ずっといたのよ」のような押し付けがましい事も言わずに、ただ座って、最後に見つめたであろう彼を見たまま時35年間の時は流れ、セリフの読み合わせをしまなくちゃいけないのは今も昔も変わってないのよと、ドラマは時間軸なしで繋がっていきますよね。ところが本人は若返っているわけではなくて、本人は意識するともなく自然に現在の自分と立ち止まった過去と一緒に同じ時間軸の中で気持ちを重ねられた時だけの“時”を過ごす。その時間的な美しさの背景に、鏡が置いてありましたが、あれはどういう意図で置いたのですか。いや、劇中劇のルームと化してしまう為に、普通はあまり鏡は置きたくないし、あそこにあるのは不自然で。

中田
あそこにあるのは不自然ですよね。

木原
これは鏡に映っているから幽霊じゃないと、作為的に見せる為にあるのかと思ったら、最後にもう一度鏡が置かれていた時に、鏡が生きたなと、もの凄く感激したんです。でも意味はともかく、バランスが妙に映ります。“気になる”というバランスも発生させています。何故置いたのでしょう。

中田
そんなに非常に高邁な考えで置いたわけではないんですが。とにかく凄く即物的に言えば、あの場面は二人しかいないわけですよね、西島秀俊と若村麻由美、ジョニー吉長と若村麻由美、かなりどちらのシーンも長さがある。長いツーショットだと安定し過ぎるんですよ。安定しているけれど何かが足りない、しかもあまり動きがない。それでスリーショットにしたかったんです。スリーショットに見えるように、鏡を置いたんです。鏡に映らないとまた別の映画になってしまいますが(笑)

木原
そういう理由でしたか。

中田
若村さんに「私はオバケですか」と質問されて、そういう質問は来るだろうと思っていましたから、若村さんにはこう言ったんですよ。「雨月物語」という映画がありましてという話をしたんですよ。奥さんはこの世の者ではありませんが、赤ん坊を守ってそこにいたという事が、最後には主人公にしっかりと伝わって感動的に終わりますと。だから恐いとかではなく、この世の者でない事は観る側はわかっていると。恐く撮るつもりはありませんと。それと僕は訳もなくそういう画面の中にもうひとつフレームがあるのが好きだという、本能的なものがあるんです。それには鏡が一番やりやすいし。

木原
一種のキュビズムのように感じました。動きがないから置いてあるのだなと。決して観る事が出来ない横顔や側面というものが、あれを一個置くだけで見えるから、動きがないのに正面から見ているのに全部わかるという工夫されているのと同時に、映っているから「ほら、人間じゃない」と思わせる効果もありましたね。

木原
三原健が女の子との逢引に失敗して、自分の手を見ながら鏡の中に迷宮を作るじゃないですか。あれは。

中田
あれは、アル中で手が震えてるのを撮った・・あれは東映で撮ったんですが、元々鏡は奥に備え付けの鏡があって、手前にも鏡を置いたのは現場でのアイデアだったと思います。






★わかりやすい理由〜「エンターティンメントじゃないと映画じゃない」

木原
とてもわかりやすい映画だったと思うんですよ。

中田
それは一瀬プロデューサーが「エンターティンメントじゃない映画はあるのか」という(笑)

木原
それはストレートに伝わって来ます。映画そのものの中で(笑)カットもその中に含まれた時間軸も全部コンテュニティで繋がっていてわかるか、後のシーンでわかるかで、ストーリー的な謎を持たずに感動を与えてくれる、気持ちよさで帰れる映画だと思って、うれしかったです。

中田
こういう、映画人を描くバックステージ物は好きなんです。

木原
何となくわかる気が。子供が初めてスタジオの中に入った瞬間に、ここはこの世の世界でないという場所に一瞬踏み込んだようなシーンが特に。一般の人はどう見るかわからないのですが、小道具などが一杯並んでいる中を歩いていくシーン。僕も自分が初めてアニメの仕事場に入った時に、棚にあったカット袋が何かわからなかった時の事を思い出しました。しばらくすると当たり前になる、入ったばかりの頃は別世界に見えていた場所がやはり現実の場所なのだというのは、実はこんなに話難い映画もないと思うんです。

中田
ほほう。

木原
あの映画の“映画”の世界の中に自分がいるんですね。ジャンルは違いますが制作をやっていた時は俺はここにいたんだというのが随所にあって、ここの一番端っこに俺がいたんだという。でもそれでいて客観的にお客さんとして観る事が出来たので、素晴らしく完結した映画だと思って、言葉になりにくいと思ったのですが、やはり監督を目の前にすると演出の事しか聞けない自分に戸惑ったりしています。

中田
今回は観て下さった方が、まず思いを語ってくれて、それぞれのインタビューが違うんですよ。だから同じ言葉で答えずにすむので、面白いですね。気に入ったポイント、気になるポイントがそれぞれ微妙にずれているので。ホラーをやっている時は「あそこは恐かったですね」ばかりで、同じ事の繰り返しになるので(笑)同じ映画の中で麻生久美子の側の話と若村さん側の話と、同じ男を相手にしているけれど昔の西島君と今のジョニーさんと二つの話がありますし。登場人物も多いですからね。

木原
それぞれに感じるものが違う。

中田
回りのスタッフも確かに自分達に近い立場だからこう、ヘタに演出が出来ないという。鏡の関係になりますから。向こうもこっちを見ているという。「女優霊」の時もそうでしたが、カメラとカメラが向き合うというのは、普通はないですから。でもこっちの所作を見ながら各パートが勉強してくれるわけですね。だからそういうディテールをないがしろにしないぞという思いがスタッフの方にも出てきますね。録音部は録音部をちゃんと演技指導してくれる(笑)一杯演出補がいるような現場になるので、ある意味では楽でした。「それちょっと違うよ」という声が掛かりやすい現場でした。たとえば照明係は、若い時に三原健に殴られても悪い意味ではなく良い意味での恩返しをする照明係にどうしても目がいくと言っていました。そういう色んな見方をしてくれてうれしいと思います。

木原
今、現場にいてリアルタイムでやめようとしている女の子ミオがいて、演技をしていた中で挫折があって35年間スタジオに遣り残した男と、35年前にミオと同じに「今ここでやめてやる」という目に遭いながら35年間そこにいた、三原に殴られたのに挫折しなかった男と、あるいは別の部門にいて一度はやめたけれど帰って来た男がいて・・というようなものが縄の如く綯われていて。ひょっとして一番真っ当な人生を歩んだのは、あの殴られた照明の男なのかななどと、映画を観る人間にとって最後の勝利者というのは、何があろうと最後まで現場にしがみついていた男だろうなと。、リストラの多い中、複雑な個人感情も発生する気がします。






★「ラストシーン」というタイトルの理由〜「一瀬プロデューサーの思い入れがあって」

木原
それぞれの感情とは別に、最後のシーンを作り上げる為にスタジオ中の全部門の皆が全力でやりだす中に、自分の仕事に徹するという綺麗さが、この映画にはあったように思います。映画に限らず、物を作っていくと必ず出くわすものなような気がして。最後にお聞きしますが。何故「ラストシーン」というタイトルだったんでしょうか。

中田
それは、一瀬さんとアメリカのプロデューサーが決めたはずです。外国での公開の為に英語の字幕を逸早く付けるべく、タイトルは英語になっていたわけです。日本で最初に公開する事になったわけですが、邦題という形で付けようかという話にもなったのですが、やっぱり「ラストシーン」がいいと。それ以上ないだろうと。英語だと”the”が付くんじゃないですかと言ったんですが、でも一瀬さんはそのままで、アメリカ人のプロデューサーも”the”がない方がいいと。

木原
”the”があると発音が濁って美しくないし、しかしスタッフ名は英語でした。でも英語で決めるなら”the”はいるわけだし、そこが不思議だったもので。

中田
僕は、メインタイトルはプロデューサーが決めてくれればいいと。もちろん尋ねられれば考えますが、メインタイトルは作品をどう見せようかどう売りたいかという事に関わってくるので、僕みたいに作家主義的でない映画監督の場合は。プロデューサーにまったくセンスがないと思えば譲りませんが、一瀬さんはそうでないので。これには彼も思い入れがあった凄くみたいで、現場に85%位来ていました。「リング」や「リング2」の時は35%位だったのに(笑)

木原
それだけこだわるのを聞いて、さすが一瀬プロデューサーだと感心しました。

中田
彼はこういうエンターティンメントで泣ける映画が好きで、彼が一番好きなのは「ベイブ」ですから。もう100回以上観て、毎回泣いているらしいですよ。僕の好きなバックステージ物と交差する部分もあるので、一瀬さんと僕の感性のラインは、まったくぴったりではありませんが、かなり交わった点があって、それがうまくいった映画かなと思います。

木原
あれはミオにとっての「ファーストシーン」で終わった「ラストシーン」という映画でした。気持ちいい映画でした。とっても優秀な怪談映画でした。

中田
ありがとうございます。

木原
本当の怪談というのは、ジャンルとしてくくられているものではなく、こうやって日常に自然と流れるものだからです。恐いものだけが前に出るのが怪談映画ではないのです。現代の方程式で解いた「雨月物語」のようだと思います。

(取材・構成 鈴木奈美子)

執筆者

鈴木奈美子

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