『なごり雪』 伊勢正三インタビュー
$ROYALBLUE 大林宣彦監督に、
『なごり雪』の僕の心象風景を
見抜かれてしまいました$
28年前、伊勢正三さん作詞・作曲の美しい歌が生まれた。『なごり雪』である。それから人々に愛され続けたこの歌…。大林監督と伊勢さんのあいだにかわされた一本の電話から、映画『なごり雪』となって新たな生命を得た。
28年前と変わらず、繊細な青年のような雰囲気を漂わせる伊勢さん。穏やかな口調でゆっくりと語ってくれた。
ーー 最初、『なごり雪』が伊勢さんの故郷を舞台にした映画になると聞いて、どうお思いになりましたか?
「率直に驚きました。『なごり雪』を作り上げたのは、当時住んでいた東京のアパートなんです。詞の設定は東京駅から出て九州に向かうブルートレイン。でも実は、僕の心の風景には、故郷の駅のホームと、そこに入ってくる汽車の絵がずっと浮かんでいたんですよね。だけど、それは人に話すことではないので…。聴いてくださる方それぞれの心の中でイメージを膨らませてもらうのが、一番うれしいので…。
そうしたら、大林監督が“『なごり雪』という映画を九州の臼杵市を舞台にして撮りたい”とおっしゃって。“見抜かれたなあ”と思いました(笑)。厳密にいうと僕の故郷は臼杵の隣町の津久見ですが、僕にとって全部ひっくるめて故郷のようなものなんです。
僕は、昔から大林監督という人をとても意識していました。映画を見るとわかるじゃないですか。監督の人となりも。
監督が故郷の尾道を舞台に映画を撮っていらしたのと同じように、僕が作る歌は、僕が子供時代を過ごした故郷の景色や風土や季節感…そういうものから生み出されているんです。僕は歌を作るたびに“こういう歌はきっと、大林監督みたいな人に理解してもらえるんだ”なんて思っていたんですよ。
尾道と臼杵は似ているんです。前が海で振り向けば山のみかん畑。大林監督の言葉を借りれば、同じ瀬戸内文化圏です。要するに内海なんですね。朝凪や夕凪の優しい海の表情が、子供の頃から好きでした。今でも凪いだ海を見ると、子供の頃の健やかな自分を思い出して“もう一度、背筋を伸ばそう”という気分になりますね。
だから、今回のお話はある意味すごく自然で、ある意味すごく不思議でした。初めて監督から電話がかかってきた時、僕が最初になんと言ったか。“お待ちしてました”と言ったんですよ(笑)」
ーー 映画の冒頭、臼杵市民会館で歌う伊勢さんの姿が大きく映っていますね。
「そうそう。撮影の時に“ホントにこれでいいんですか?”と監督に聞いたら“いや、いいんだ”と。こんなに『なごり雪』という歌を大切に扱っていただくのは、最高に名誉なことだと思います」
ーー 映画の中の臼杵、綺麗でしたね。灯りがたくさん点っている夜の風景とか。
「あれは“竹宵(たけよい)”っていうんです。竹筒の中に蝋燭を点すんですよ」
ーー お盆のシーンでも火が一面に…。
「あれは火祭り。石仏などがある臼杵一番の観光地で、火祭りがあるんです」
ーー 『荒城の月』の舞台となった場所も出てきましたね。
「宝生舞ちゃん演じるトシ子が、行ってみたいと言った岡城阯ですね。あれは、臼杵のそばの竹田にあるんです。滝廉太郎が少年時代の何年かを竹田で過ごして、のち岡城を思い出して『荒城の月』を作曲したっていいますよね」
ーー そういう風景や行事は、伊勢さんも子供の頃から親しんできたんですか?
「いや、隣の津久見から見ていて、子供の頃はあまり意識しなかったですね。大人になってから“臼杵みたいな町ってカッコいいよね”と思うようになったんです。
レコーディングで海外に行く機会が何度もあって、外国のミュージシャンとのセッションもいろいろ経験して。“僕は日本人だ。日本人の音楽をやるんだ”という気持ちが25歳くらいから強くなったんです。そういう観点から見ると、臼杵の町は理想ですね。古く美しい日本の姿がそのまま残っている。
映画『なごり雪』には、日本の美しさ、季節の美しさ、そういうものが十分に表現されていて、僕は素直に感動しました。臼杵の町並みが日本のいい部分として映っていた。竹宵や火祭り、民家の引き戸のガラガラという音まで…。最初に見た時、自分の故郷がすごく綺麗に映っているので、うれしいとともに面映ゆい気持ちにもなりました」
ーー 三浦友和さん演じる主人公の祐作と、伊勢さんが重なる部分はありましたか?
「祐作の設定は、50歳でフライフィッシング好き。釣具を文鎮代わりにして遺書を書くところから、この映画は始まるんです。僕も10年くらい前からフライフィッシングにはまっていて、今50歳。“もしかしたら僕?”と思いましたね。でもやはり、俳優が演じる人物と自分とはなかなか重ならないですよ。
今回、三浦友和さんという俳優を“すばらしい役者さんだな”と再認識しました。“残された最後の映画スターなんだ”って。“映画スター”という言葉自体、今はあまり使われないけれど、僕らの世代にとって“映画スター”という概念はまだ存在するんですよ」
ーー では、10代の頃の雪子を演じた須藤温子さんをどう思いますか?
「可愛くていい子だなと思います。映画の中の彼女は、特に声が可愛い。それと70年代の服がとても良く似合っていましたね」
ーー 10代の雪子と少年ふたりの切ない恋の物語。あの辺はいかがですか?
「まあ…シャイでなかなか想いを伝えられない拙さとか、僕そのものです。でも僕はあんなに洗練されていないし、あんなにカッコ良くもないですけれどね」
ーー 駅のホームで誰かを見送ったり、見送られたりしたことは?
「“皆さんのご想像におまかせします”っていうところで、止めておこうかなあ…。
僕は高校生の時から親元を離れて寮生活をしていたんです(その高校で南こうせつと出会った)。高校生の頃の恋愛はかなりリアルになってきますよね。だから恋愛に伴う別れも、とても痛みがあるわけで…。そういう自分の歴史の中に、汽車はよく登場していたんです。
汽車の別れは特別に辛い気がしますね。汽車はレールが固定されているから、引き返せないでしょう。車だったら、忘れ物をしたとか、やっぱり思い直したとか、引き返せる可能性があるじゃないですか。船だって飛行機だって、引き返せないわけじゃない。
だけど汽車は違う。ドアが閉まったあとは、遮断されて、強引に引き離されてしまう。その切なさが『なごり雪』のバックボーンなんです」
ーー 最後に、これから『なごり雪』を見る人にメッセージを!
「この映画を見ると“この頃、自分はとても純粋だったなあ”というように、好きだった自分に再会できるんじゃないかと思います。僕は心をこめて『なごり雪』を歌い、大林監督は心をこめて映画を撮りましたので…」
取材・構成/かきあげこ(書上久美)
執筆者
かきあげこ(書上久美)