中国が誇る大女優コン・リーの新作は、あの大ヒット作『心の香り』のスン・ジョウ監督による『きれいなおかあさん』だ。
 前作では、名優チュウ・シュイ演じる老人と孫の心の交流を描いたスン監督は、本作が8年ぶりの新作となる。この8年の間で、チェン・カイコー監督作『始皇帝暗殺』に燕太子という重要な役どころで出演していたのは、知る人ぞ知る話。『きれいなおかあさん』は、『始皇帝暗殺』の現場で、旧知の仲だったコン・リーとスン監督が意気投合し「一緒に映画を」となって作られた。
 ろうあの障害を持ったバツイチのシングルマザーが、必死に生きていく様を描いた感動作。彼女は、息子を施設に入れることを拒み、健常者の学校に入れないのなら自分で教育する、と奮闘する。そのなかで、勤め先でのトラブルや、彼女たちをあたたかく見守る人々との交流、子供の実父の死などが描かれていく。
 では、本作と、続く「周漁的火車(原題)」とコン・リーとのコンビを続けているスン・ジョウ監督の共同インタビューからお伝えする。

$blue 『きれいなおかあさん』は2002年6月8日、シャンテシネほか全国順次ロードショー
監督:スン・ジョウ
出演:コン・リー、ガオ・シン、シー・ジンミン、リュ・リーピンほか$



——『心の香り』でもそうでしたが、子供とオトナという感じでテーマの設定をされていますが、今回、こういう映画を作ってみようと思ったのは?
「この映画は、コン・リーとの関係なかで生まれました。チェン・カイコーから『始皇帝暗殺』(1998年)に出てくれと説得されて出演したときにコン・リーと話す機会があり、彼女のほうから私と何か映画をという話になりました。私は、彼女の真摯な態度に打たれて、映画を作ってみようという気になったわけです。
 本作の企画が出てくる前からコン・リーとはいろいろな話をしていたんですけど、コン・リーのための映画ということで、今まで彼女がどういう役柄を演じてきたのかふたりで分析しました。私はリアリティを描きたいという志向がありますし、彼女の従来とは違う面を見せたい。このスン・リーインという役柄は、彼女にプラスになると考えました」
——子供が障害児というところには、何か特別な思いがあったのでしょうか?
「意図があるといえば意図はあります。完全ではないということは、今の中国も同じように完全ではないということ。でも、完全になりたい、完璧になりたいという希望は持っているということです」
——とても可愛らしい子供で本当に賢そうで、コン・リーさんとの親子の役がとてもよかったと思いますが、どうやって彼を発見したんでしょうか? どのような演技指導をされたのでしょうか?
「ただ耳が聞こえないといっても、完全に話すことを放棄した手話だけの人と、話すように努力しリハビリをする人の2種類が聾唖者にはあります。私が欲しかったのは後者です。そういう子供を探そうとすると、中国では4個所、北京・上海・西安・広州(にある聾学校)しかありません。それらの学校から3人の子供が候補となり、最後にあのガオ・シンという子に決まったわけです。演技指導は、とにかく絵に描いてどういう意味かを教えました。ゆっくりゆっくりと話しかけました。彼は、私の口元を見て理解するのです。とても頭の良い子です。彼がうまく演技できないときには、私は難しい顔になるわけですけど、彼には『ハートが本当じゃないよ』と言い、コン・リーの演技を録画して見せて、『ママの演技はどうだ?』と尋ねます。すると、彼は賢い子なのですぐに悟って、『こういうふうにやるんだ。ママのはすごい』となリます」



——地味な映画ですが、今の中国でどのように受けとめられているのでしょうか?
「この映画(の成績)は、すごく悪くもなければすごくよくもないという状態でした。中国の現状とも関係があると思いますが、改革解放の進行中で、人々は本当に大切なものを見極める力や芸術を理解する力が欠けている状態だと思います。経済の発展を追及するために金銭が重要になってきて、現実と精神性の乖離があると思います。これはある課程にすぎません。中国は今、本当に激しい変化の中にあり人々の気持ちが落ち着かないわけです。これが安定してきたときに、自分と関係のない世界を見ても理解できる。あと何年かすればそういうことになると思います」
——障害を受けとめるのも母親の愛ではないかと思います。ヒロインは、子供を厳しくしつけて障害を克服させ普通学校に入れようとします。このような母親像をどうお考えなのでしょうか? 日本では、あそこまでやると虐待にとられかねません。
「私は、決して完全無欠な母親を描こうと思ったわけではないのです。夫もいない、経済的にも苦しいこの女性が子供を教育していくときに、生活の中のあらゆる困難の中でいろいろな決定をしていかなければならない。いろいろな決定をするその課程が、とても重要だと考えたわけです。彼女のする決定が、人から見てバカなことであろうが、賢い選択であろうが、そのことが大切なのではなくて、その課程を描きたかった。その課程のなかで、彼女は成長していきます。彼女は、息子が聾唖者であるということを元々は認めたくなかったのですが、最後に『あなたは他の子と違うのよ』と言うことで勇気を持ってそれを認めました。このときに、彼女は初めて成長した、と私は考えています。
 子供が虐待されているという一面がないとは言えません。母親の希望を無理に子供に押し付けようとする、そういう一面が映画の中にはありますね。でも、最後に子供のほうが自分より勇気があり、もっと大人だったのだ、ということを母親が発見するわけです。
 じつは、私の元々のシナリオでは、普通学校に母親が入れようとするところはありませんでした。学校の前まで行って、突然母親が『なんでこんなところに無理に子供を入れなければならないんだ? 私が子供を育てる』となるほうがもっと勇気がある母親を描けると思っていたのです。が、電影局(映画局)が同意せず、結局ああいう形になりました」
——今回の作品も前作『心の香り』も母親の存在を感じますが、父親の存在はとても薄いですね。それは今回の作品に限って言えば、母親との関係を引き立てるために敢えて描かなかったのでしょうか? それとも、中国も父親の存在が薄いのでしょうか?
「それを意識したことはありません。この映画に限っては、女性の立場でものを見るということで描こうとしたので、その意味で『心の香り』と『きれいなおかあさん』はまったく別のものだと思ってください。男性にはたくさんの欠点があり、自分の中で男性を描こうという衝動があまりないのです。が、女性には変化があって、すばらしい。女性には忍耐と勇気と——その勇気というのは内面の世界から出てくる勇気で——やはり女性を描きたい。そういう思いはいつもあります。
 次の作品の『周漁的火車(原題)』では、完全に女性を描いています。別のタイプの女性を描いています。ぜんぜん違います。もっと自分が撮りたかったものになります」

執筆者

みくに杏子

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