7月21日に東映ビデオより「仮面ライダー1号・2号 DVDBOX」が発売されるのを記念して、HMVでは全店で『HMV仮面ライダーキャンペーン』を展開。4月29日に、企画イベントとして、藤岡弘、佐々木剛らをゲストに招いたトークショーが、HMV渋谷店で行われた。






■イベントレポート
HMV渋谷では、名シーンのパネル、新旧ライダーのサイクロン、旧1号スーツ等を展示する「仮面ライダー展」を4階にて開催、関連DVD、CD、書籍、玩具、ラーダーグッズを販売する「仮面ラーダーSHOP」もオープン。

今回のキャンペーンの目玉のひとつは、何と言っても、本郷猛と一文字隼人こと藤岡弘さんと佐々木剛のトークショー。DVDBOXの購入予約をした人が参加出来るイベントですが、早くから整理券を求める人達の姿が見受けられました。ほとんどが「仮面ライダー」をリアルタイムで見ていたとおぼしき大きなお友達ですが、チビッコの姿もあるのは「仮面ライダー」が長く愛されている証拠でもあります。

トークショーに先立ち、渋谷センター街を4人のショッカーの皆さんが暴れ回るパフォーマンスもありました。祝日で賑わうセンター街の路上を、人ごみを掻き分け、走り回るショッカーの皆さんは注目の的。手にしたチラシを集まった人達に配ろうとするのですが、悪の秘密結社の手先に安々と心を許してはならじと警戒するのか(?)、なかなか受け取らない人もいました。

ショッカーの皆さんは、その後、2階のイベントスペースにも潜入、司会のお姉さんが持っていたDVDBOX予約特典の”ショッカーライダー”(偽者は色違いという定説を作った、マフラーや手袋が黄色いライダー)のフィギュアを奪おうとしました。そこへ1号ライダーと2号ライダーが現れ、ショッカーを見事にやっつけ、フイギュアを無事に取り返してくれました。


トークショーは、300名限定。ぎっしりと詰まったお客さんは、藤岡弘さんと佐々木剛さんの姿を見ると、心は31年前に戻るのか、熱心に聞き入っていました。当時の思い出を交えて語るお二人にとっても、仮面ライダーは特別な存在なのが、言葉の端々に感じられました。

トークショーの後には、整理券の番号で抽選が行われ、30名がお二人との写真。思い思いに、肩を組んだり手を重ねたり、ポラロイドで撮影してもらい、お二人との握手も出来ます。何とプレスとしてスチール撮影をしていた人の中にも、DVDBOXを予約していたので抽選で当たってしまった人が。仕事中ながらもその時だけファンに戻ってお二人の間に挟まって撮影してもらい、仕事仲間の暖かい笑いを浴びていました。抽選に当たったのは、かつてライダーに目を輝かせた大きなお友達ばかりではありません。まだ幼稚園位の男の子と女の子もいました。けれども、男の子はいざとなったら緊張してしまたのか、泣き出してしまったのです。すると、藤岡弘は自分から舞台を降り、その男の子を抱き上げて、舞台に戻って来たのです。海外にボランティアでたびたび出かけ、世界中の子供達と触れ合う事が好きだという藤岡弘さんらしい出来事でした。



■コメント
−−まずはご挨拶をいただけますでしょうか。
藤岡弘
31年、あっという間でした。今日は1号、2号ライダーのDVDBOXの発売記念のイベントのお仕事をいただきまして、本当に感謝しております。31年も経ってもこうやって皆さんに仮面ライダーを愛され、関心を持って注目されている事、本当の心から感謝しております。仮面ライダーは僕等の青春のメモリーであり、忘れる事の出来ない思い出です。DVDは、こういう時代ですから、ぜひ子供達に見て欲しい、愛を希望を持って、正義とは何かという事を知ってもらえるとうれしいと思っております。ありがとうございます。

佐々木剛
今、彼がいった通りです。本当にありがとうございます。

−−31年前に仮面ライダー2号の役がお決まりになった時のお気持ちを、思い起こしていただけますでしょうか。

佐々木
勘弁して下さいと断ったんです。彼(藤岡弘)とは、養成所が一緒だったものですから、同じ釜の飯を食った仲で、初めて彼は掴んだ主役の座を、彼の怪我の後でというのは、ちょっと耐えられなかったものですから。彼の復帰するまでの繋ぎという約束でした。

視聴率的にも良い時でバトンタッチ出来たので、僕にとっても喜びでした。この時、鹿児島で彼が戻って来た時は、感無量でした。それがあったからこそ、皆、大人になった人達が今だに応援してくれているのだろうと。僕にとっても仮面ライダー一文字隼人は心の故郷です。

−−藤岡弘さんは変身後のスーツの中にも入られていたわけですが、入られてみて如何でしたでしょう。

藤岡弘
スーツに入って戦った時は、なんて息苦しくて窮屈で、おまけにレザーなものだから、汗をかくと締め付けてくるし、動きにくくて。自分の吐く息で目の所が曇って見えなくなって、不安でね。それでもやらねば!という気持ちで必死になってやりましたけれど、不安と恐怖ばかりが体中を駆け巡っていましたね。

−−画面で見ていると、素晴らしい勇姿でした。
藤岡弘
私よりも、ショッカーの皆さんがとてもプロで、ケアしてくれたおかげで、私も何とかやれたわけですし。彼達の素晴らしいアクションのお陰で、私は動けたわけです。むしろ、ショッカーの皆さんに助けられて、危険、恐怖を超えていったというか。仲間の団結心というか、仮面ライダーへの意気込みが凄くうれしかったね。スタッフ全員のね。あの懐かしいああいう時代を通過して、僕の親友である佐々木が、僕の怪我の後も助けてくれて。そういう友情にも支えられて。仮面ライダーというのは、皆の愛の結晶かなと、今も思います。

#−−撮影当時は、ご自分の出演されているTVをご覧になる機会はあったのですか。

佐々木
再放送の頃の方が見ましたね。

−−最近、レンタルビデオ等もありますね。
佐々木
そうですね。僕は仮面ライダーだけではなくて、すべての資料を火事で焼いてしまったものですから何もないと言ったら、仮面ライダーから何から何まで、送っていただきまして、また見る事も出来ました。

彼はスーツの中に入って大変でしたが、彼が怪我をした事で、絶対に入っちゃいかん、バイクも乗っちゃいかんという事になりましたが、サボテグロンや2、3本は入りました。何故かというと、一番大事な変身した後の部分をやってくれている大野剣友会の皆の、どれだけの痛みと苦しみと頑張りがあるのか、入って体験したかったものですから。これは本当に大変です。1日入ったら3キロは痩せますね。今入ったら痩せるどころではなくて死んじゃうんじゃないかと。

−−大野剣友会の皆さんとお話をした事があるのですが、自分達の気持ちをわかって下さる、そういう事をやって下さったお二人だからこそ、自分達も頑張れたと伺いました。
佐々木
着ぐるみを着ていて顔がわからないからと、数だけ1、2、3と数えているのではなく、彼等はきちっとセリフを覚えて、きちっと演技をしてくれたので、声を合わせるのも本当に楽でした。

#−−原作者の石ノ森章太郎先生は、どんな方でいらっしゃたのですか。
藤岡
とても優しくて温厚で。僕等、初めてお会いする時に巨匠ですから、とても緊張したんです。お会いした時は、にこっと笑って、本当に優しい言葉をかけて下さって。子供が大好きで仮面ライダーに凄く期待して下さっていましてね。監督とやられた事もあったんです。その時は凄く楽しい撮影になりました。子供達の未来をいつも憂いて、熱い思いを内に秘めて絵に託していたというか、我々にもそれが伝わってきましたね。

−−最近の仮面ライダーのシリーズについては如何でしょうか。
佐々木
あまり見た事がないんです。ただ、今もこうして仮面ライダーを支えてくれている皆が、こんなに熱くなっているかというと、作品を重視して、本当に予算の少ない中で一所懸命作っていた、子供達に向けて良い物を作ろうとしていた、それが最近は方向が違うんじゃないかと。

こんな事を言うと怒られちゃうかもしれませんが。当時は、本当に四苦八苦してやってた。今は技術的には進歩したけれど、どうかな・・それだけで仮面ライダーの心を、作品としてそれが出来上がっているのかなと、心配なんですけれども。

藤岡
今、佐々木が言ったのと僕も同感なんですよ。今のライダー、そこに何かこう、背負っていく動機というものが必要だと思う。どこから来て、何の為に存在して、何をしようとしているのか、そして何処へいこうとしているのか。たかが100年、されど100年、その短い時間の中で人間は何をしようとしているのか。お互い、そういう事を考えていくと、仮面ライダーと一言で言うけれど、仮面ライダーは中に深い物があると思うんですよ。

今の子供達に、正義とは愛とは友情とは、そういう色々なものを仮面ライダーの中から、知っていただきたいなと思うし。やっぱり彼も僕も仮面ライダーのファンだし。仮面ライダーは、我々の魂の深い所に残ってしまった。

−−32年経って今、お二人にとって仮面ライダーとは、いかなるものでしょうか。
藤岡
私にとっては、青春の燃焼、そして忘れる事の出来ない、真剣に命がけで取り組んだ思い出ですね。

僕はね、仮面ライダーの、痛みを背負って改造された苦しみを、誰にも話せないで戦いを続ける、二度と人間に戻れないという、その動機がいつも好きでね。とにかく、逃げない、負けない、諦めない、屈しないで戦い続ける。二度と俺のような犠牲者を作らせてなるものかという、それに向って敢然と孤独な戦いに突き進んでいく、その中に自分の未来を感じましたね。たぶん、人生ってそんなもんだろうと、孤独だろうと。しかしながら、その中に確たる信念を持って、正義とはこういうものなんだと教わった気がする。

佐々木
何度も言っていますが、仮面ライダーは心の故郷です。スカイライダーまで、ゲストで何度も出ていますし。主役が変わっても、ゲストで仮面ライダーに出る時は、本当にほっとして、とても楽しかったです。仲間に会えるという喜びで。

デビューして、一時僕が引退を余儀なくされるまでの10年という間でしたけれど、700本程TVをやらせてもらったんですけれど、その1割以上、70本程が仮面ライダーです。これがなかったら今の僕はないと思うし、こうやって支えてくれているのは99.9パーセントまでは、仮面ライダーのファンの方々だと思います。こうやって今、皆さんにお会い出来たのも、仮面ライダーのお陰だと思います。本当に応援してくれていてありがとう。

藤岡
ライダーをやっていて、お互いにそうだけれど、身体中傷だらけで、骨折もし、ヒビも入り、針金も入って・・裸になると見るも無惨な身体ですけれど、でもねえ、その傷跡を見る度に熱くなってくるんですよ。仮面ライダーというのはそういうものなんですよ。あの当時のスタッフ、今も応援してくれているファン、皆さんに本当に感謝しております。

執筆者

NAMIKO SUZUKI

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