京都映画祭では「太秦スター特集」と題して太秦で活躍した出演作を特集上映しています。今まで上映される機会の少なかった作品が中心で、上映前には、作品ゆかりのゲストを招いてのトークが行われています。初日の23日は中村錦之助(萬屋錦之介)、美空ひばり等の大スターに信頼され、映画や舞台の世界を歩んだ沢島忠監督。時代劇の黄金期の才能のあるスタッフと共に、数々の名作を作り上げました。ミュージカルを思わせる歌や踊りを織り込み、テンポの速い演出は今もなお新鮮に感じられます。







「暴れん坊兄弟」の上映前、沢島忠監督が舞台の登場、拍手で迎えられました。場内は年配の方が多く、「懐かしい作品を何本も続けて見られるのがうれしい」と朝からずっといるという方も。会場の祇園会館は502席、スクリーンの大きさや椅子の配置などを始め、心地良く映画を観られる映画館で、沢島監督もお気に入りの映画館。監督もその日最初の作品からずっと鑑賞されていました。
沢島監督はロケハンで自分で写真を撮った経験もあり、カメラやレンズ、フィルムにとても関心がおありで、今回も当時のフィルムやレンズ、まだ戦前のカメラを使っていた話から始まりました。まだフィルム感度も悪く、カラー撮影はライトがとてもきつくて皆目を悪くしてしまい、撮影所に眼科医がいつも待機していたとか。

直前に上映された「鳳城の花嫁」はシネマスコープ第一作。松田定次監督の作品ですが、予告編を撮影したのは沢島監督、「いかにシネマシコープの凄さを伝えるか」と、まずは1/3程画面を見せ、両側を黒い画面で隠し、それから左右に広げていき、画面の大きさを印象つける工夫を考えたそうです。話しているうちに、説明に監督は壇上の紙や本を使い、立ち上がってしまうほどの熱の入れよう。「どの役者さんもどの役者さんも素晴らしい」「右を向いても左を向いてもスター、どっちを向いても名脇役ばかりの時代」「スタッフは飯食うよりも映画が好きな人ばっかり」「そういう中で私は映画を撮らしてもらいましたから」と、生き生きと語る監督ご自身の「映画が好きでたまらない」という気持が、こちらにも伝わって来るようでした。

「暴れん坊兄弟」は中村錦之助、東千代之介、中村賀津雄、進藤英太郎他、映画界では忘れられぬ顔が勢ぞろいしています。「私の作品というよりも、そういう人達が、いかに生身をキャメラの前にさらけだしているか。だから俳優さんは先に死んで、監督は長生きしているんです」と最後に笑いを誘いながらも「役者はいつも勝負ですから」と、誰もが羨むスターの過酷な面もさらりと披露しつつ、彼等への愛情の深さをも感じさせるのでした。この作品は貴公子然としたイメージだった東千代之介が、まったく違うのんびりした人物を演じています。当時の思い出も幾つか出ましたが「千代ちゃんは東映の中で一番お酒が強かった、力道山がアイツにはかなわんと言った」というエピソードが、街頭テレビで力道山やルーテーズの試合に熱くなり、空手チョップに声援を送っていた年代の方が多かったせいか、特に反応が良かったようです。




原作は山本周五郎の「おもいちがい物語」。それまで「これをやれ」と言われるままに撮るしかない新人だった沢島監督の企画が初めて通り、撮れたのがこの作品。影には脚本家の奥様のご尽力もあったそうです。沢島監督は脚本家としては10年先輩だった奥様と、ずっと二人三脚で沢山の作品を作り続けて来ました。脚本は夫婦のお名前を合わせたペンネームになっています。「非常にのろけた名前で」と照れる監督でした。

この映画のトップシーンは大空に翻る沢山の鯉のぼりから始まります。東映のセットでは当時、幾つかの組が同時に撮影していましたが、鯉のぼりの撮影の日だけ他の組には休んでもらい、セット中の屋根の上に鯉のぼりをたてて撮影したそうです。「ゴールデンウイークに封切りだから」そういうシーンにしたそうですが、東千代之介演じる典木泰助の途方も無いおおらかさをうまく暗示させていて、良いシーンです。

最後に監督は「私の為ではなくて、鬼籍に入った錦ちゃん、千代ちゃん、進藤さんその人達の生身をさらけだした演技を観て下さい、私じゃありません、その人達のおかげです」と挨拶され、贈られた花束も「祇園会館に」と辞退されました。

執筆者

鈴木奈美子

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