小津安二郎監督作品の名子役”突貫小僧”こと青木富夫さんの役者人生70周年と「2000年ナント(フランス)三大陸映画祭」主演男優賞を受賞したお祝いを兼ねたパーティーが新宿のホテルにて開催されました。対象作品は9月公開の3人の老人の切なく心温まる物語『忘れられぬ人々』(篠崎誠監督)。「役者に定年はない」とはいえ、6歳のデビューから実に70年間もの長きに渡り続けてこられたのは、並大抵の事ではありません。約250本、64人の監督作品に出演し、日本映画の黄金期を生き抜いてきた生き字引のような青木さんのパーティという事で、小津組関係者他、松竹、日活の映画に携わった方々、鈴木清順監督、中尾彬さん等が顔を見せ、『忘れられぬ人々』で共演した三橋達也、大木実さんの他、水之江滝子、朝丘ルリ子、吉永小百合、小林旭、宍戸錠、淡島千景さん等からも花束や祝電も数多く会場に届いていました。












1923年、横浜で生まれた青木富夫さん。「蒲田行進曲」の世界が現実だった松竹鎌田撮影所に遊びに行ったのが、役者になったきっかけ。小津監督に見出され『会社員人生』でデビュー。戦後改名するまでの芸名の由来ともなった小津作品『突貫小僧』で天才子役として評判になりました。それから出演作品は現在にいたるまで数百本を数え、数々の小津作品の他、『ビルマの竪琴』(56 市川崑)、『幕末太陽伝』(57 川島雄三)、「黒部の太陽」(68 熊井啓)、『華麗なる一族』(74 山本薩夫)、『無能の人』(91 竹中直人)等、多彩な作品に出演。最新作は鈴木清順監督の『殺しの烙印 ピストルオペラ』まで現役ばりばりの活躍ぶりです。
スクリーンの中そのままの飄々とした雰囲気の青木さんは「カクシャクとして」というのが失礼な位にお元気で、積極的に会場内を歩き周り、久しぶりの再会を果たした皆さんと旧交を温めておられました。
場内には子役時代から現在までの青木さんの出演作のスチールやポスター、絵画等も展示されていました。
パーティーは発起人の「巨匠とチンピラ・・小津安二郎との日々」(文藝春秋)の著者三上真一郎さんの挨拶で始まり、小津監督に師事した斎藤武市監督(小林旭「渡り鳥シリーズ」)が”お富さん”にひっかけて「切られ与三」の声色でが乾杯の音頭。俳優仲間の代表としては中尾彬さんが「くだらない映画祭ではなくてナント映画祭という所が良い」といつもの皮肉な調子ながら、長年のお付き合いの先輩に温かさのこもる挨拶。監督代表として長谷部安春監督(「特捜最前線」「あぶない刑事」)が日活時代の話を披露しました。
また『忘れられぬ人々』の篠崎監督が今日の為に自ら編集した青木さんのフィルモグラフィーも上映されました。無声時代の部分はパーティーの司会も務めた弁士の澤登翠さんの語りが入り、後の作品の説明は篠崎監督が。子役時代のモノクロームの小津の世界、戦後の小林旭や赤木圭一郎と共演する青木さんの姿を観ながら、当時を懐かしく思い起こし、それぞれに話す声も場内では聞かれました。篠崎監督のお勧めのシーンは『ビルマの竪琴』で猿を抱えて欠伸するシーン。市川監督が気に入られていたとか。ナントでの授賞式の映像も流され、フランスの美女にキスされて照れる青木さん、受賞の喜びも「初恋の人とキスした時より嬉しい」とコメントして、フランスの人々も大いに受けていました。
花束の贈呈もありました。『忘れられぬ人々』で青木さん演ずる伊藤民夫が一目惚れする吉川小春役の風見章子さんから花束を渡されて、青木さんは一途な老いらくの恋で小春を思う伊藤老人の笑顔で受け取りました。(生花の師匠の小春に会いたいばかりに、若い女性に混じって慣れない手付きで花を生ける伊藤と、それを見守る小春のほのぼのとしたシーンは印象深いものがあります。これから観る方は要チェック)また、ファンの方からの花束もありました。
最後には青木さんご自身からお礼の言葉もありました。「歳を取ると涙もろくなっていけません。一人で強く生きていくには泣いちゃいけないと思っていました。ずっと私は一人で生きてきたと思ってました。でも、一人でなかった。大勢の友達が僕を生かしてくれた事に気がつきました。真面目に、真剣にお礼を申し上げます。ありがとうございました」
長い人生の中には辛い事も苦労話も沢山あるだろうに、それを漏らす事もなく締めくくった言葉や、始終和やかだった会場内に、青木富夫さんのお人柄が偲ばれるパーティーでした。

執筆者

鈴木奈美子

関連記事&リンク

『忘れられぬ人々』作品紹介