マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」を脚色、映像化したラウル・ルイス監督「見出された時」が日比谷シャンテシネほかにて公開になる。マルセルが憧れる貴族社会の面々はカトリーヌ・ドヌーヴ、ジョン・マルコヴィッチ、エマニュエル・ベアール、ヴァンサン・ペレーズと華やかだ。「語り手のマルセルは登場人物の過去を知っているし、現実には観客もスターの若き日を知っている。知らずとして時の効果が作用しているんです」(ルイス監督)。2月8日、東京の日仏会館で行われた監督の来日記者会見を中継しよう。



ーー今日、こうした重厚なテーマを映画化するには多大な労力がいるように思いますが。
 ご存知の通り、映画は監督ひとりで出来るものではありません。制作するプロダクション、俳優、もろもろの人間が集まってできるものです。フランス政府では映画産業におけるアメリカの支配的なシステムに抵抗しようという動きがあります。私自身、ここで反米的なスピーチをするつもりは皆目ないのですが、アメリカ映画の独裁制にこそ、映画作りの欲望を刺激されたのだと思います。確かにハリウッドでもすばらしい映画はたくさんありました。けれど、今の映画産業はあたかも冷蔵庫を作るように、自動車を作るような体制になっている気がします。ある社会学者がアメリカ映画に対し”無意識を持たない映画”と分析していました。誰が観ても同じ解釈しかできない、両義性のない映画。私が映画を作るのはこれとは全く逆のことを表現したいからです。

ーーカトリーヌ・ドヌーヴ、ジョン・マルコヴィッチ、そうそうたるメンバーがスクリーンに登場します。配役に際し、意図した点は。
本作に出てくる俳優はマルセルを演じるマルチェッロ・マッツァレッラ以外、全員が国際的に知られるスターです。語り手であるマルセルは貴族社会に憧れています。同じように、キャスティング上でもマルセルがスターに囲まれるというシチュエーションにしたかったのです。語り手は貴族たちの過去から現在までを知っているし、観客も演じているスターの過去を知っている。ドヌーヴの若い頃の作品を私たちは簡単に観ることができますからね。そうした時の効果というのも意図しました。


ーーパトリス・シュロー監督がナレーションで参加しています。
シュロー監督とはお互いに敬意を持っている関係です。ただ、彼の起用を思いついたのは私ではありません。ナレーションには4人候補がいました。ただ、他の候補は声がちょっと感傷的過ぎたのです。シュローの声はその点、ドライなところがありました。何かを切り込むような感じ、そこで話が終わってしまうような冷たさがあったのです。また、同時に必要な場面では優しい声音も出せる人だったのです。

ーー原作にない部分も登場しますが。
基準は2つあります。ひとつはプルーストが覚え書きに使い、本文中ではカットしてしまった部分。もうひとつの基準は濃度を高めるもの。たとえば、ジルベルトが落としたティーカップを残しておくシーンは彼女の貪欲さを表したものです。

ーーもし、プルーストを知らない人が本作を観たらどう感じると思いますか。
それについては悲観的な見方と楽観的な見方があります。プルーストの名前すら知らない人が
この作品を観たら感じるところはないかもしれませんね。きっとわからないでしょう。けれど楽観的な見方をした場合、名前を聞いたこともない人は劇場に来ないでしょう(笑)。作品は読んだことはないけれどプルーストという名前に対し、なんらかのイメージを持っている人が観たならば、この映画で原作に興味を持つかもしれません。

執筆者

寺島まりこ