カンヌを騒がせた「ユマニテ」、「ジーザスの日々」 「映画は芸術として残していくべきもの」(ブリュノ・デュモン監督)
カンヌ映画祭で審査員グランプリを受賞した「ユマニテ」(99年)、カメラドール特別賞を受賞した「ジーザスの日々」が今春同時ロードショーとなります。前者では素人俳優ながら同映画祭で主演男優、主演女優賞も獲得。監督のブリュノ・デュモンいわく「選んでいる俳優は人物そのもの。動くだけで役が生きてくるんです」。1月25日、日仏会館で行われた記者会見では「映画作家として質問を受けるのは大変幸せなこと。どんどん質問してください」と挨拶し、その言葉通り、ひとつひとつ真摯な受け答えをしてくれました。
※「ユマニテ」はユーロスペースにて、「ジーザスの日々」はBOX東中野にて公開予定
——「ジーザスの日々」というタイトルについて。主人公フレディが辿った道はキリストの側面を現しているのでしょうか。
この映画を撮る前にまず頭にあったのはキリストの人生です。逆に言えばストーリーはなんでも良かった。どのように描くかは西洋の絵画が参考になりましたね。例えばヴィザンチン時代の絵画だとキリストは国王として描かれているし、前世紀のドイツでは百姓の姿をしています。私にとって、20世紀末にキリストを人間として描くことが重要でした。フレディの物語はキリストの人生を補うものです。
——“ジーザス”から「ユマニテ」へ。この連鎖性は。
私はキリスト教でもカソリックでもありません。次に興味を抱いたのは何か高いものを探している、人間の中で探している、そんな構図です。どちらにせよ、どんな映画もタイトルを含めて自分の歩んだ道を辿っているような気がします。
——2作品とも素人をキャスティングしています。
今までスクリーンに現れたことがない人、いうなれば観客にとってピュアな存在であること、それが監督としてのチョイスでした。私は俳優にシナリオを渡さないのですが、彼らとの映画作りは非常に直接的です。撮影の直前に“こういうことを言ってください、やってください”とお願いするのです。シナリオを読んで役を解釈するのではなく、あるがままに体現して欲しい。役をコンポジション(組み立てる)するのではなくデコンポジション(バラバラにする)です。プロの役者とは全く逆の仕事になるわけですね。選んでいる俳優はその役の人物像そのものなので、彼らが動くだけでその人物が生きてくるんです。
——素人でも1度使った俳優は2度と使わないのですか。
毎回、新しい人を探すでしょうね。いずれにしても産業的な映画作りは考えていません。1回うまくいったからといって繰り返すようなことはしたくないのです。
——プロと仕事をすることはない、と。
次作で起用するかもしれません。プロが必要ないというのではなく、監督にもいろんな選択があるということです。最悪な考え方はドグマ的にこうでないとダメだと言う事でしょうね。ひとつ言えることは「ジーザスの日々」、「ユマニテ」の場合、もしプロを使っていたら全く別の作品になったでしょう。
——性描写が問題になり日本で検閲を受けました。作品をご覧になられてどう思いましたか。
ショックでしたけど、日本で行われている検閲はまだマシな方ですね(笑)。少なくともショットは残っている。何が検閲されているのかわかりますので。イタリアの場合では一部カットされてましたよ。
——市場は商業映画全盛ですが、この現状をどう思いますか。
シネ=フィルと呼ばれる人たちは減り続け、アーティスティックな映画を作ることは次第に難しくなってきています。フランスでも完全にメジャー映画に依存している状況ですね。けれど、私は映画というのは娯楽ではなく、カタルシスだと思っています。芸術として残していくべきものだと。
執筆者
寺島まりこ