観たことのない映画を作り出す、鬼才とはこの人のこと!『恋する幼虫』DVD発売記念:井口昇監督インタビュー
まるぽちゃっとしたスタイルと片えくぼのキュートなルックスで劇団「大人計画」の公演や多くの日本映画にも役者として出演する一方で、美少女もののスカトロAV監督としてもカリスマ的な人気を誇る異能の人・井口昇。しかし本当の彼のすごさはその映画にある。
繊細で詩的でグロテスクでちょっとイジワル。97年に自主制作として発表した一般公開作『クルシメさん』では、コンプレックス多き2人の少女の友情以上同性愛未満な関係をギョッとするような設定で描き、多くの驚きと共感を呼び、映画ファンの間では知る人ぞ知る名作としてカルト化した。そして昨年、6年の歳月を経て発表した新作『恋する幼虫』ではその才能を確固たるものとして誰もが認めることとなり、映画監督・井口昇としての活動がいよいよ期待されている。
8月27日に『クルシメさん』をはじめ「刑事まつり」シリーズで好評だった『アトピー刑事』、幻の8ミリ時代の大傑作『わびしゃび』などを収録したDVD「愛の井口昇劇場」、9月1日に『恋する幼虫』のDVDが連続でリリースされ、今乗りに乗ってる映画監督だ。
作品すべて一貫して描かれるテーマは独創的で、まるで井口さんの分身のようなキャラクターたちの痛々しいまでの孤独が描かれる。アトピーというコンプレックスでときに風貌までが変化したり(『アトピー刑事』)、ケガした傷口が生命体となって生き血を求めだしたり(『恋する幼虫』)、大切な人をなぜか傷つけたくなるという衝動に駆られたり(『クルシメさん』)、彼の作品に出てくる不器用で、ときには肉体が変容する異形の登場人物たち。一見、偏執的で個人的な性癖を描いているように見えるが、井口マジックにかかるとそれらは観ている者にリアルに共感を与える普遍的な物語となって現れる。
※DVD「愛の井口昇劇場」は8月27日よりアップリンクから発売!
DVD「恋する幼虫」は9月1日よりキングレコードから発売!
※9月7日にはロフト・プラスワンにてトラウマ映像大会「昇祭」を開催!
—— 今年の1月公開になった『恋する幼虫』と、これまでの短編・中編を集めた『愛の井口昇劇場』という2本のDVDでほぼすべての井口作品が網羅できることになりますが感想は?
井口「ほとんど自主制作で作っていたものなので、作っているときはソフト化されてお客さんが観るってってことは全然意識にないんですよ。だからDVDになるのはすごく不思議な感覚。特に18歳の時に作った『わびしゃび』は、長い間自分でも忘れていた作品なので、忘れていた卒業アルバムを開いてみたような気持ち・・・(笑)」
—— 『恋する幼虫』も自主制作でしたが、結果的にはいくつかの映画祭に招待され、ロードショー公開もしましたしね。
井口「だいだいいつもその後のこととか予想してないんですよ。だから最近ようやく劇場公開もできるんだ、って思い始めました。どういう風に観客にアピールしていくかっていうことを考えずに撮っていたもので、普段やっているAV監督をしている時の方がユーザーを意識して作っていたので、自主制作の場合はそういうのはなかったんですよね。」
—— 「お客さんのことはあんまり意識していない」とおっしゃいましたが、観ているこちらからすればすごくサービス精神旺盛だと感じるんですが。
井口「そうなんですか?うーん、元々見世物小屋とかお化け屋敷とか人をびっくりさせたりするのが好きなので、それが無意識に出ているのかもしれないなぁ。」
—— 『クルシメさん』も『恋する幼虫』も、また短編『アトピー刑事』にしてもいつも”肉体の変容”を扱っていますね。
井口「自分自身の身体的なコンプレックスが強いというのもありますね。それに僕はマイノリティの話が好きなんです。ティム・バートンの映画のような、孤立した存在や孤独を描いたもの。どこにも属せない人々の物語を描くとなると、身体の変容であったり、精神的に欠陥があるようなそういった話になってしまうんですね。自分の作品の裏テーマはすべて孤独なんです。」
—— 井口映画の魅了のひとつに、まったく先が読めないというか、いい意味で映画の予定調和を裏切るところだと思うんですが。ストーリーの組み立て方は?
井口「いつも自分の中でははじめから行く方向性は決まっているんですよ。そこに至るまでの道筋をあえて見せないように、伏線がはっきり見えないように心がけています。観終わってはじめて「こういうことか」と作品全体を理解できるような風にしたいんです。着地点ははじめから僕の中にはあるんだけど、そこに行き着くまでいかに意外性をもたせて語っていくかはすごく考えています。」
—— 『恋する幼虫』も最後まで観てはじめて純愛映画だったってわかるんですよね。そこに至るまでは、不器用な2人のうじうじした感じだったり突然ホラーテイストになったり・・・。
「『恋する幼虫』に関しても、あのラストははじめから決めていたんです。そこに至るまでにホラーが出てきたりっていうのは僕の趣味っていうのもあるんだけど。あと主人公の2人がいかに孤立していくかっていうのを効果的にする意味でもホラーとかファンタジックな要素が必要でしたし。まわりがみんな滅びてゆくのは、僕が昔みた漫画や映画にはそういうラストが多かったのでその影響もありますし。「デビルマン」みたいなそういうラストは一度やりたいと思っていたことなんです。もう二度とやらないと思いますけど。」
—— 『恋する幼虫』DVD特典映像のために撮りおろした『幼虫のはらわた』は、これまたちょっと同性愛チックなお話しですが、そういう個人的な話でも井口さんが撮るとすごく納得力ある、普遍性のある物語として違和感かんじずに見れてしまいます。
「ゲイとか同性愛とかでも別に女装する必要はなくて、ルックス的なものではないんですよ。どう見ても男なのに、だんだん少女のように見えてきたりとかそうなればいいと思って作りました。だから外見上のことではなく立場や雰囲気的に、女性以外のものが女性に見えてくるように描く、というのも今回のテーマの中にあります。ホモの映画というよりは、普通の恋愛映画のように見えてくるようになってくれれば、というのが狙いです。」
—— 井口作品常連のデモ田中さんも役とご本人の素のキャラクターとほとんど変わらないような感じですよね。
「いや!実はあれはね、そういう風に演出しているんですよ。田中さんもそうだけどけっこう僕の周りのスタッフが役者として出ているんだけどやっぱりプロじゃなくて素人なのね、だから「いつもの田中さんのようにやって」っていっても絶対すぐにはそういう風に演技できないんです。それをどんどん演出していってやっと「いつもの田中さん」みたいに自分でやることが出来てくるんです。いままで色んな人に演出してきたけど、普段のようにやって、といってできる人ってほとんどいないものなんですよ。」
—— それは具体的にはどうやって?
「ヒントを少しずつヒントを与えてくんです。そうすると田中さんも「あー、こういう時の俺か・・・」みたくだんだんわかってくるんですよ。役の方からゆっていくんです。もっとぶっきらぼうに、とかもっとこうして、とか言ってると、田中さんの方でもどんどん自分の持っている本来の生理とシンクロしていって自然に「いつもの田中さん」になっていくんですよ。」
—— はぁー、すごい!ふらっと来てふらっと演じているわけじゃないんですねぇ。
「田中さんも『アトピー刑事』では「いつもの田中さん」じゃないような役をやってて、そっちを演じるほうが全然簡単なんですね。『恋する幼虫』にしたって新井さんに、「ふだんの新井さんみたいに」とだけ言っても新井さんでもできないと思いますよ。」
—— 18歳の頃に8ミリで撮った『わびしゃび』(DVD「愛の井口昇劇場」収録)は、後半の少女の顔のアップの長回しのシーンなど恋情と青春がすごく胸に迫ってくる作品ですね。顔のアップは現在の作品にも多いショットですが・・・
井口「人の顔大好きなんです。なんか、こう、確認じゃないですけど、側に寄ることへの欲求があるんですね。僕の映画は距離がテーマになっているものが多くて、『わびしゃび』はまさにそれだし、『クルシメさん』もコンプレックスの強い女の子2人が近づいていく物語、『恋する幼虫』もまったく恋愛関係の起きるわけない二人が手を結ぶまでの話。「接近していく」こと自体が僕の映画のテーマだから、ダイレクトな表現として、人の顔に近づいていくこと、というのがあるんだと思います。あとよく思うのは、洋画ってすごく人間の顔の印象が残るけど日本映画は引きの絵(編注:室内全体や広い景色を映すような広めの絵)ばっかりだなって。僕はすぐ顔がみたくなっちゃうんです。今どういう顔しているんだろう?とか。引きの絵で長回しで撮られているとすごく作家的な意識が強くでているような錯覚ってあると思う。日本人てそういう引き絵幻想があると思うんです。単館系の映画にそういうのが多い。それが間違っているとは言わないけど。僕は長回しなら、人の顔のアップで長回しっていうのはよくやります。それは自分でも誉めます(笑)。そんなこといっても実は撮っているときは無意識にやっているんですけどね。」
—— それは絵コンテの段階でもう顔アップ?
「そうですね。そこからもう顔アップ。説明カット(状況や場所などを表すための風景のカット)でもないのに引き絵っていうのが大嫌いなんです。だから実景カットも好きじゃないですね。顔から顔につなげてもいいじゃんって思います。」
—— 井口さんは作品にナレーション入れるのも好きですよね。
「あはは!そうなの、俺「わびしゃび」の時からひとつもナレーションの無い作品を作ったことがないんだよ!もう、やめてみようかなって思うこともあるんだけど、多分ナレーションが自分のなかでリズムを作っているところがあるんですよ。それもまったく無意識に入れてしまうんだけど、あえて言うならスコセッシの影響かも。あと日本映画でいうなら石井輝男の『恐怖奇形人間』とか中川信夫の『地獄』かも。『地獄』は大傑作です。」
— 作品すべてのテーマが一貫してて、「人間という単体ですでにおかしな生物たち同志が一緒にいようとするならば、そこになにが起ころうとも不思議はない」ということのカリカチュアであるように感じます。
「それは意識しています。人間の一番難しいところは、お互い不器用な生き物なのに、そういう者同士が関わっていくこと。特に恋愛なんかはそれがさらに悪化していくことですよね。心と心の複雑さはすごく興味があることです。あと、マイノリティや人間の孤独。それが自分にとって一番身近なテーマだからかもしれない。肉体的にも精神的にもコンプレックスを抱えた人が周りに多いし、僕自身もそうなんで、俺がやらなくて誰がやる!って思いはあります。意外とちゃんとそういうことが描かれているものって少ないと思うんですよ。」
—— ではそういうテーマとしたものでいま企画しているものや今後やりたいものなどありますか?
「いま、一番実現しそうなのは媒図かずおの「猫目小僧」の実写化です。小さいときに猫目に助けられた女の子が大人になって、それを忘れて金持ちの男の人と婚約したら猫目小僧が現れるという設定です。30歳近くになった猫目小僧が(笑)。男はみんな30すぎても小僧ですよ(笑)。阿部サダヲくんに目の周り黒く塗ってもらって、短パンでやってもらいたいなぁ(笑)。あくまでこれは希望ですけど。」
— 井口さんはAV監督の仕事や役者のお仕事もありますし一般映画の監督作は寡作ですが・・・。
「実は『恋する幼虫』を撮りおわるまで、職業として映画監督を意識したことはなかったんです。たまたま作りたいから作っただけなんで。「俺、映画監督としてやってていいの?」って今は思っています。だから作れるチャンスがあるんだったらどんどんやってみたいと思っています。今までは私小説の延長として映画を作っていた部分があるので、これからそういうのではなくてお婆ちゃんから子どもまで楽しめる映画、みたいのもやれるんであれば挑戦したいです。山田洋次監督の映画もすごく好きなんで将来的にはああいう『幸せの黄色いハンカチ』のようなきちんとした娯楽作も作れるようになりたいと思っています。」
— 最近は、演劇、脚本家というフィールドで活躍していた松尾さんや宮藤官九郎さんも映画を監督しはじめていて、映画という同じジャンルで活動する監督同志になるわけですが、ご感想は?
「僕もちょこっとだけ出演しているんだけど松尾さんの『恋の門』は見ましたよ。すごく面白かったです。松尾さんは演劇界からきた人だから芝居のつけかたもちょっと独特なんですよね。どういう役者がでてこういう芝居をしてこんな話しでっていうのが観なくたってわかるような映画が多いと思うんだけど、そういう意味では松尾さんの映画はすごく意外でしたね。松尾さんも宮藤くんも、今まで映画をやっていなかった2人が映画監督をすることは、身近なライバルというか意識する存在みたいな感じには思ってます。」
(インタビュー・文章:綿野かおり)
執筆者
綿野かおり