ボスニアとセルビアの国境地である中立地帯“ノー・マンズ・ランド”に取り残されてしまった、敵対する両軍の二人の兵士。対立と束の間の和解を繰り返す二人と、彼らを巡ってそれぞれの思惑を巡らす、両国軍、国連防護軍そしてジャーナリストたち。緊張感漲るシチュエーションでありながら、すっとぼけたようなユーモアを全篇に盛り込み観る者笑わせつつ、その幕切れの重さは観客にずっしりとのしかかってくる。
 『ノー・マンズ・ランド』は、ボスニア紛争の戦場に自らカメラを持って立ちドキュメント映像を撮ったダニス・タノヴィッチ監督による長編劇映画デビュー作だ。今年のカンヌ映画祭での脚本賞受賞をはじめ、各地の映画祭で多くの賞を受賞している衝撃作だ。
 今年の東京国際映画祭の特別招待作品として上映されたこの作品。タノヴィッチ監督とプロデューサーのセドミール・コラール氏が映画祭参加のため来日を果たし、正式上映に先立つ11月2日に記者会見が行われ、作品を巡っての熱心な質疑が交わされた。










Q.ドキュメンタリー畑の出身で、ボスニア戦にも参加されているということですが、声高でメッセージ性が強い作品というこちらの先入観とは裏腹に、ユーモアを織り込みつつ、一歩退いた視線で作り得ていたと思います。何故でしょうか。また、劇中でチキが着ていたローリングストーンズのベロ・マークTシャツには意味のようなものがあるのでしょうか。

ダニス・タノヴィッチ監督——私にとってはドキュメンタリー=プロパガンダではなく、見たものを見る側の人が考え、結論をだして欲しというのがあります。世界をどう見るかということはフィクションだろうとドキュメンタリーであろうと、同じ視線を持って描いたつもりです。また、まさに自分はあの現場に生き、実体験をしていたので、普通の人よりは自由に語れると思うし、そういう点では、ユーモラスなこともあったと言い切ることができたと思うのです。
Tシャツに関して言えば、ボスニアにはあの戦争が起きるまで軍隊は存在せず、当然軍服もありませんでした。皆、自分のTシャツで戦っていたのでなんでもよかったんですが、自分としては都会人の心意気と、舌を出していることでボスニア人の反骨精神を出したんです。セルビア軍という欧州でも最強の軍に対し、戦いを挑むんだという思いを出したかった。また、主演のブランコ・ジュリッチは記者会見で、「人はまずビートルズ派とストーンズ派という風に音楽の趣味で分かれ、その後に宗教だ」と答えてましたが、そういったことも含めて、様々な思いをこめて着せたんです。

Q.主役のお二人以外でも国連防護軍の人間模様などもシニカルで面白かったのですが、そのあたりも監督の実体験からきているのでしょうか。

タノヴィッチ監督——そうですね。それと脚本を書くときには、勿論一人一人のキャラクターを書き込みたいんですけど、配分できる時間というのは限られてしまいますので、手短に紹介するにはクリシェ…陳腐なものステレオ・タイプ的なものを説明せざるを得ないと思うのですが、私は常々真実なんだけど繰り返し言われているうちにそれは真実になってしまうと思うんです。だからクリシェといいつつそこには真実があると思っていますが…を用いています。ご存知のように、現在ボスニアでは地雷の撤去作業が行われていますが、ほとんどがドイツの人たちです。国民性というか、そういう部分はあると思いますね。
それと容貌というものも、すごくキャラクターを表すものだと思うんです。フェリーニ監督はそのあたりの大家だったと思うんですが、要するに見ただけでその人の背景を説明しないでも済む。セルビア人の太った少年が出て来たのを見た方は覚えていられるかと思いますが、彼は実際の用心棒を生業とする人で、通りを歩いているところを見てイメージにぴったりだったんで、口説いて出てもらったんだ。そういった部分で、説明無しで皆さんに作品に入っていってもらえることを心がけ脚本を書きました。











Q.ボスニア問題の作品はたくさん作られていますが、往々にしてどちらかの側に立ったはっきりした視点で描かれていることが多いのですが、この作品は意識して中立の立場を取っているような印象を受けました。そうした立場を取ることでボスニア側からプレッシャーや批判のようなものはどうだったのでしょうか?

タノヴィッチ監督——僕はボスニア人ですから、ボスニア側ですよ。ただこの作品を撮ったとき、皆さんがボスニア戦争とはなんだったのか、誰が良い者で誰が悪者だったか知りたがると思いましたが、私としては作品の中で誰が一番悪いかということは言いたくなかった。あの悲劇は、もう事実として受け入れて先に進まなくてはならない。この作品を、50年経ってから見ていただいたときに、これはボスニアやセルビアの映画ではなく反戦映画、自分が50年後に見ても恥ずかしいと思わない作品をと作りました。兎に角僕は生き残ったんですから。どうしても人間である以上、戦場にいればやりたくない事もやらざるを得ないことが起きることも有り得るし、もっと言えばあそこに一度踏み出してしまったらもう戻れないのです。私はボスニア人ですから、それだけでボスニアが云々を主張する必要は無いと思うし、作ったということで伝えたいことは伝わってると思うんです。
人はそれぞれに対立する意見をもってると思いますが、それらはそれぞれの立場で正しい。主観的な映画を作りたいとも思いますが、反セルビア人映画を作る気は全くありませんでした。そうしたら、私たちも殺しに来たセルビアの人たちと同じレベルに落ちてしまうからです。ボスニアの人たちは、そういう私の気持ちは判ってくれました。この作品は昨日、サンパウロの映画祭で監督賞をいただき、その前にも様々な映画祭で賞をいただいています。これは、この作品が反戦映画だとわかっていただけたことだと思いますし、それが一番嬉しいです。これからも、映画を撮るときに政治的な声明を出すつもりはありません。

セドミール・コラールP——製作側の人間として言わせてください。私はセルビアなどにも跨るユーゴスラビア人ですが、ボスニア人の彼の映画を作らせてもらったということ、彼が作家としてプロデューサーに選択してもらえたということを有難く思います。現在私はフランスに住んでいますが、祖国に関してのこうした視点を持った映画を作りたいと思っていたんです。
先程批判の話が出ましたが、彼の場合は全く違います。彼の立場、映画は私に言わせれば不正直だと思います。彼は真実のユーゴスラビアは描いてないと思いますし、そういった点で彼は作った時点でボスニア側の批判や議論を呼ぶことを判っていたと思います。

Q.映画の製作にいたるまでの過程をお話ください。

タノヴィッチ監督——昂ぶっている時には何も生まれないと自分では思うんです。戦場を離れたばかりの自分は、まさに怒れる若者だったわけですが、その時は何かを生み出せる状態ではなかった。ですのでこの作品は99年に脚本を書いたのですが、戦争が終わってからそれまでの時間は冷却期間として必要な期間だったと思います。









Q.今回の映画の中でのメディアの在り方はとても複雑だったと思いますが、戦争においてのメディアの在り方についてどのように思われますか

タノヴィッチ監督——これは非常に複雑なことだと思いますが、ボスニア戦争の場合勇敢なジャーナリストの方は残ってくださって、繰り返し繰り返し行動してくださったからこそ最終的にNATOの介入があり、国連の介入…彼らが本当に助けに来たのか面子を守りに来たのかは吝かではありませんが…があったと思うので、多くの命がジャーナリストの方々により救われたことは感謝すべきことだと思いますし、それだけの力を持っていると思います。
でも、チェチェン紛争のように相変わらずそういった状況は続いているのに、世間はそれを知らないでいる。一番まずいのはジャーナリズムがビジネスになってしまっていること。私としてはジャーナリズムの皆さんに願いたいことは、本来ジャーナリズムというのが何であるかという倫理を持って欲しい。それと、どんな報道であっても、客観的にということは有り得ないと思います。報告である以上は、主観的なものですし主観的なものをやる以上、皆さんが何を報告するかがどれだけ大事なことなのかということを申し上げたいと思います。こうした質問を受けると逆にみなさんにお尋ねしたくなるんですが、ここがサラエボの戦場で皆さんはちゃんとした装備で取材中。今、ここで私が狙撃されたら私を助けてくれますか?それとも取材を続けますか?是非皆さんに考えていただきたいんです。お尋ねした以上、私の考えをお話すれば、人の命に勝るものは有り得ないものだと思いますから、私だったら速やかに報道をやめ撃たれたものを助けます。それが私の倫理だからです。

Q.次のプロジェクトのご予定は?またこれから作品を観られる方にメッセージをお願いします

タノヴィッチ監督——ありがたいことに、カンヌで賞をいただいてから忙しく、専らこうしてジャーナリストの皆さんと過ごしてますよ(笑)。勿論色々なオファーもありますので、近いうちにその中から自分で選んで次の作品にかかりたいと思っています。作品に関しましては、言いたいこと全て映画の中で言っておりますので、特にはありません。

なお、『ノー・マンズ・ランド』は2002年の春、渋谷シネ・アミューズを皮切りに全国でロードショー公開される予定だ。

執筆者

宮田晴夫

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