大漁を見て“海の底では魚の葬式”と歌う金子みすゞという女性。わからない…ヘンな人だね 『みすゞ』五十嵐匠監督インタビュー
『SAWADA』『地雷を踏んだらサヨウナラ』など、実在の人物をもとに人間愛あふれる映画を作ってきた五十嵐監督。今回は西条八十に天才と絶賛されつつ夭折した童謡詩人・金子みすゞを題材に『みすゞ』を制作。そのみすゞへの想いを、語っていただいた。
−−『みすゞ』を撮ろうとお思いになった理由は?
「実は最初、俳人の“山頭火”を映画化しようと思っていたんですよ。
それで山頭火の故郷・山口へ、生前の山頭火を知っている詩人の和田健さんに話を聞きに行ったんです。そうしたら和田さんが“キミ、山口には三人の詩人がいるんだ。ひとりは種田山頭火。ひとりは中原中也。もうひとりは金子みすゞだ”と…。20歳ごろのみすゞ写真を見せられて“ああ、綺麗な人だな”と。そして彼女の本の扉を開けてみたら『大漁』という詩が載っていて。
その『大漁』を読んだ時に、“なんなんだ、この人の物の見方は?”と驚いたんです。浜は大漁で賑わっているけれど、海の底では葬式だって歌っているでしょう?
僕は人間が好きなので、彼女の年譜を見てみました。そうしたら26歳で自殺している。前の映画で撮った『地雷を踏んだらサヨウナラ』の戦場カメラマン・泰造も26歳で殺されているけれど。みすゞは子供を残して自殺しているんですよ。それで“なぜこの人は?”と、興味を持つようになったんです」
−−大漁なのに“海の底のお葬式”を思い描く人はあんまりいないですよね。
「ええ。みすゞは白い雪を見ても、上の雪はどんな気持ちなのか、中の雪はどんな気持ちなのか、下の雪は重いだろうって歌うんですよ。ビックリしましたね」
−−それで、山頭火を撮ろうと思っていたのが、いつのまにか金子みすゞに?
「そう。いつのまにかみすゞになっちゃった。ヒドい話ですよね。“じゃあ、俺はどうなんだ”って山頭火は思ってるよね。まあ、次やろうと思うんだけれどね」
みすゞは“見つめる人”だった。
爬虫類みたいに木の枝から
ジーッと見ているんだ
−−みすゞの詩の、他には、どんなところに魅力をお感じになりますか?
「この人は“見つめる詩”なんです。みすゞは、見つめ、観察する人なんですよ。で、みすゞの詩って、不思議なことに責任を取らないんです。“なになにだ”って思うけれど“だからこうしたほうがいい”っていうことまでは書いてない。ただ見ているだけ。それいて詩の最後にオチがある。オチがあると、日本人の心にはスッと入るわけ。それに童謡詩だから言葉が簡単でしょ。歌いやすいんです」
−−みすゞの人柄については、どうお思いになりますか?
「“わからない”と思います。女の人はわからないですね。男だと…山頭火だと『行乞記』や日記を読むと何となくわかるんですよ。ああ、こういう気持ちでこの句を読んでいるんだろうって。でもみすゞはわからないんです。ヘンな生物。鵺のようでもあるし、爬虫類のようでもある。
爬虫類みたいにずっと枝にいて、まわりを見ているんです。動かないでジーッと見ている。そういう感じがするんです。ヘンな人ですよ。だからみすゞの旦那さんも大変だったと思う。だって男としては、妻に甘えたい時もあるでしょう。そんな時みすゞに母性を求めても、みすゞは母性よりも少女性が強いから拒絶する。すると男は何処へ行くかっていうと、やっぱり女郎の所になっちゃうんだよね」
−−監督は男性だから、みすゞの旦那さん・葛原の気持ちがよくわかるんですね。
「せつないでしょ、あの人。あれは実はあんまり悪役じゃないんですよ。みすゞに性病を移すけれど。葛原はみすゞの背中をずっと見守っていたんです。見守っていたのに、なんでお前は俺をわかってくれないんだという気持ち。せつないじゃないですか」
−−では葛原がみすゞに詩を作るのを禁じたのも、せつなさが理由でしょうか?
「そうじゃないかな。葛原もみすゞの詩を読もうとするじゃないですか。でも入り込めないです、みすゞの世界に…。だから葛原としては、もうやめろと。手紙も詩も書くのをやめろと…」
他人の人生なんてわからない。
わかったつもりになるな! と自分に言いながら
映画を撮っています
−−みすゞがたどった人生については、どうお思いになりますか?
「一番すごいと思ったのは、人生がドロドロの時の詩。つまり、旦那とどうしようもなくなって、性病で身体もおかされている。身体と心がボロボロの時に“みんなを好きになれればいいな”と書くでしょう。あれはやっぱりみすゞのすごさだと思う。普通は恨み辛みを吐き出すような時に、逆に綺麗な詩を書くでしょう。それがすごいと思う」
−−監督はいろんな方法で、みすゞについてお調べになったんでしょうね。
「まあ、できる範囲ではですね。やっぱり一番大きかったのは、みすゞの娘のふさえさんに会ったことです。ふさえさんは女学校を卒業するまで、自分のお母さんが自殺したって知らなかったらしい。で、遺書を見て初めて知った。それもすごい人生だよね。そこから、ふさえさんは文学はできるだけ読まないようにしたそうです。逆に嫌だから、辛いからって。それもすごいでしょ。
ふさえさんには何度も会いました。あと、矢崎節夫さんていう『金子みすゞの生涯』を書いた人にも…。みすゞの弟の正祐さんは、もう亡くなっていましたが」
−−山口県のみすゞの故郷も、念入りにお歩きになったんですね。
「ええ。ずっと滞在しました。最初に行った時の印象は、ここに泥棒はいないなあと思った。つまり“こんなに海が綺麗で、食べ物が美味しい所には泥棒はいないなあ”と…。山口には何ヵ月もいましたね」
−−みすゞの生涯を映画化なさる際に、いつも心に留めていらしたことは?
「“お前は何をやってもわからないんだ”と自分に言うこと。『SAWADA』も『地雷を踏んだら…』もそう。人の人生を映画にしているけれど、勝手にわかったふりするな。ただ“わからない”と自覚していることを大事にしろと…。自分の人生もわからないのに、他人の人生までわからない。ただ僕は映画で提示しているだけなんです。こういうことがあったって。ただその提示に仕方に、僕なりのメッセージがあるんだけれどね。
僕の『みすゞ』はそのまま詩集なんです。みすゞの詩の行間を映像化しているつもりなんです。それイコール、時間を刻印していることでもある。映画って、時間を切り刻むことができるんですよ」
撮影していたら
“こういう状況では私は泣かない”とみすゞの声が聴こえた気がした
−−撮影中、常に“みすゞの目”を感じていらしたということですが。
「うん。本物の場所で撮影してるでしょ。セットだけれど、実際、みすゞが生きてすわった場所にセットを作って撮影しているから、ちょっと気持ち悪いところがあるんですよ。見られている感じがする。『地雷を踏んだら…』の泰造もそうだったんだけどね。泰造が死んだところに行って、ビールかけたりしていると、なんとなく見られてる感じがするんです。それは“入ってる”ってことだと思うんだ。入ってない時はね、全然そんな感じがしない。“入ってる”時には、みすゞ役の田中美里さんの芝居を見ていて“これは違う”と思ったりするんですよ」
−−“こういう状況では、私は泣かない”というみすゞの声を感じたそうですね。
「うん、そう思った。でも結局、映画では泣いているカットを使ったんだよね。あそこだけはみすゞも、爬虫類から人間になってもいいかなと思って。だから泣いてもいいかな〜と。だってもう追い詰められちゃって、大変な状況じゃないですか。身体ボロボロでしょ。旦那から詩を書くなって言われてるでしょ。泣いてもいいよね」
−−“わからない”と自覚する対象に対して、“こうでもいいんじゃないか”という監督のお気持ちが入ることもあるんですね。
「うん。そうしないと映画できないもん」
−−では、旦那役の寺島進さんとのやりとりで心に残っていることはありますか?
「葛原は赤いマフラーしてたでしょ。あのマフラーがいいんですね。あれは寺島さんの提案で…女郎の象徴なんですよ。だからいつもしているんです。中には薄い綿が入っている。首への触り心地がいいように…」
−−あれは印象的でしたね。
「印象的過ぎなかったですか?」
−−かなり…。男の人の身勝手さを思う時に、葛原への憎悪みたいなものが、どうもマフラーのところに行くんですよね。
「じゃあ成功です(笑)。『みすゞ』には他にも仕掛けがあるんですよ。弟の正祐がみすゞと山道を歩いているでしょ。その時に『テルちゃん(みすゞの本名)、好きな人いるの?』ときいたら、みすゞが『黒い着物を着て長い鎌を持っている人』と答える。あれは何だと思いますか? 前、兄弟みんなでトランプをやっていたでしょ。あの時のジョーカー、つまり死神なんですよ」
みすゞは透明なんだよね。
どんな色にも染まらない
フィルターみたいなもの
−−最後、みすゞは亡くなる時には、ずっと後ろ姿ですよね。窓にもたれて。
「顔を見せたくなかったんだよね。その顔だけは観客に想像してほしかった。だから、あえて後ろ姿にしたんです。ただコップのアップで終えたかった…。あれね、美術の人に“ブルーのコップにしてくれ”と言ったんです。海の水のイメージにしたかったから。ブルーのコップで、上からちょこちょこ入れて貯めたかったの。それでもう終わり…」
−−海の水のイメージにしたのは?
「あのあと“見えぬものでも あるんだよ”という詩とともに海が出てくるでしょ。あれとダブらせたかったんです。でも青だけれど、夜明けの青。ほの明るいんですよ。海も荒海じゃなくて、チャポンチャポンって打ち寄せる…あの海にしたかった。
僕はね、いつも役に色を付けるんですよ。みすゞはね、紫なんだ。葛原が赤…。いつも色付けるの。そうするとスタッフに“持ち物、どうしますか?”と言われた時に、こういう風にしたいと言いやすい。その役の色と同じように、あのコップは僕にとって青なんですよね」
−−ということは、みすゞの着物などは、紫のトーンでまとめてあるんですか?
「僕が前の映画で8年も通ったベトナムでは、紫が一番高貴な色なんですよ。王朝で着るアオザイは、一番高貴なものは紫色なんです。みすゞは半襟などをそれとなく紫にしている。僕の中では、品格とか品性を紫で表せると思ったの。
だけど本当のみすゞは透明なんだよ。どの色にも染まらない。フィルターみたいなもの」
−−本物のみすゞは透明だけれど、この映画では紫というところに監督のお気持ちが?
「そうなんです。田中美里さんは紫。薄い紫。けしてどぎつくない透明感のある紫」
−−では最後に、これから『みすゞ』を見る人たちにメッセージをお願いします。
「今はなくなりつつある日本人の品性や品格というものを見てほしいなと。昔は小津安二郎監督の原節子さんみたいに、品格とか品性ある女性がけっこういたと思うんですね。それをみすゞで、田中美里さんで描きたかったんです」
執筆者
かきあげこ